信濃三十三観音霊場



善光寺街道

麻績~坂井、青柳~西条~会田
第一番札所 仏眼山 法善寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

宗派 曹洞宗

開山・開基 (西谷寺)定恵(和銅年間)

東筑摩郡麻績村上町8147

TEL0263-67-2061

ご詠歌
逆縁も 洩らさで救う 西谷の 巡礼塔を おがむ尊さ


.
10世紀初頭に奈良興福寺系の寺院として創建されたと伝えられ、当時は法相宗岩龍山西谷寺と称していた。15世紀に廃寺となったが、明応元年に賢甫宗俊禅師を迎えて曹洞宗佛眼山法善寺となり、その後麻績城主服部清信が再興し、家庭円満の守り仏として檀徒、村民の篤い帰依を受け今に至っている。江戸時代には徳川三代家光から十三代家定まで年八石を賜る御朱印寺として将軍家の保護を受けた。
第二番札所 楊柳山 宗善寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

宗派 元曹洞宗

開山・開基 不詳

東筑摩郡麻績村上町8059-1

TEL0263-67-2061(法善寺)
ご詠歌
おしなめて 知るも知らぬも 宗善寺 寺へ参るは 後の世のため


.
一番法善寺より500メートルほどのところにある。北国脇往還・麻績宿の本陣臼居家の裏山に江戸前期の開創が伝えられるが、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、寺院は存在しない。本尊の十一面観世音菩薩と薬師如来は臼居家当主が寄進したものであったことから、廃寺以後、代々の当主が自家に安置し護持した。尊像は文化文政の作と推定される。平成8年より法善寺に遷座していたが、平成12年村宝に指定されたのを機に、村民の寄進により新しい六角堂が建立され、現在の地に安置されるに至った。
第三番札所 笹命山 岩井堂

ご本尊名 馬頭観世音菩薩

愛称 古司の尻つみ観音

開山・開基 不詳(江戸時代前期

宗派 無住

東筑摩郡筑北村坂井4747-1

TEL0263-67-2415(要事前連絡)
ご詠歌
安坂川 波間にむすぶ 岩井堂 うろくずまでも 浮かみこそすれ


.
開基など寺歴は不明ながら、源義経の家来だった佐藤継信と、その愛馬「するすみ」にまつわる伝説が縁起として伝えられている。古代、信濃は優良な馬の産地であった。継信は源平合戦で戦死した信濃駒を慰霊するとともに、優れた駒を調達して奥州へ向かう任務を帯びて通りかかったこの地で、義経から賜った名馬するすみが急死してしまう。愛馬を葬った継信から手厚い供養を依頼された村人が、後に堂を建立し、馬頭観音を祀るようになったという。
第四番札所 大里山 風雲庵

ご本尊名 聖観世音菩薩

愛称 清野観音

宗派 元黄檗宗

開山・開基 清野勝照(永正年間)

長野市松代町清野宮組452

TEL026-278-3203(宮本良雄宅)
ご詠歌
清野寺 立ち出でみれば 霧雲の 晴るるところは もとのすみかよ


.
開基は不詳だが、永禄4年年8月、川中島合戦の戦勝を祈願する武田信玄が、寺地を寄進して戦乱で荒廃した古寺を再建し、風雲庵の名称で深く信仰したと伝えられる。 翌九月、12年5回におよぶ川中島合戦のうちもっとも熾烈をきわめた第4回合戦で、武田信玄は上杉謙信と直接対決。その際、謙信が本陣を敷いたのは、奇しくも風雲庵の隣山ともいえる位置にある妻女山だった。廃仏毀釈で一時は廃寺になったが、信仰篤い近在の人々の尽力で復興し地域ぐるみで守り続けている。
第五番札所 倉科山 妙音寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 竹ノ尾観音

宗派 曹洞宗

開山・開基 坂上田村麻呂(延暦年間)

千曲市倉科竹ノ尾1192

TEL026-274-1707(小出恒信宅)
ご詠歌
くらしなと 思えばいずる 明星の ひかり田水に 浮かむ星影


.
開基は平安初期。坂上田村麻呂が、京の青年仏師に頼まれ、東征に向かう途中で当地に立ち寄り、一体の十一面観音を安置したのが始まりとの言い伝えがある。観音像は、青年のふるさとである倉科の里に住む恋しい娘の面影を映した姿。美しい恋人を忘れられずに京で仏師となった青年が、思いを込めて彫ったものを、征夷大将軍に託したと、伝説は伝えている。
第六番札所 洗淵山 観瀧寺

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 森の観音さん

宗派 真言宗智山派

開山・開基 坂上田村麻呂(延暦年間)

千曲市森大峯2650

TEL026-272-3730
ご詠歌
雨の宮 森の木陰に 寺見えて 参る心は 涼しかるらん


.
平安時代、征夷大将軍・坂上田村麻呂の東征に際し、妻・高子が戦勝祈願のために勧進したと伝えられる。また田村麻呂が苦戦から救ってくれた観音の化身に感謝して、この地に開基したとの別説もある。江戸時代に再建されたが、戦後、荒廃。尼僧さんが住んでいた時期もあるが、昭和五十年代より無住となり、地元の信徒が大切に守り続けている。あんずの里として知られる森の農道をたどった先の高台に位置し、地元では「森のお観音さん」という愛称で親しまれている。
第七番札所 虫歌山 桑台院

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 虫歌観音

宗派 真言宗

開山・開基 快雄法印(天文13年1544)

長野市松代町豊栄宮崎6531-1

TEL026-278-3967(福徳寺)
ご詠歌
虫生田に かげを隠すは 東条 有明月は 西にかたむく


.
「虫歌山」という山名や「桑台院」という寺院名が養蚕との関わりうかがわせる通り、この地方では古くから養蚕が盛んで「むしおだの観音さん」または「むしうたの観音さん」と親しまれ、蚕を病害から守り、養蚕の隆盛を祈願する人々が熱心に参拝したという。信心深い旅人が、無数の蚕の繭の中から響くさなぎの泣き声に驚き、僧を呼んで蚕を供養する堂宇を建てたのが始まりという昔語りも伝わっている。一丈八尺の大きな千手観音がおまつりされている。
第八番札所 時頼山 西明寺

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 吉窪観音

宗派 浄土宗

開山・開基 不詳

長野市塩生甲3074

TEL 026-229-3340
ご詠歌
水上を さし出でみれば 西明寺 岸うつ波に 船ぞ浮かめる


.
山号である「時頼山」は鎌倉幕府五代執権を務めた北条時頼が自ら名付けたと伝えられている。寺名の「西明寺」は、病を得て執権の座を退いた時頼が出家して名乗った「西明寺入道」にちなむ。一説には入道が堂宇を建立し、千手観音をまつった開基ともいわれる。嘉永5年、地元で学問や手習いを教えていた塩入離惣太という人が私財を投じて2キロほど山中より現地に移転。以来、塩入氏が代々堂宇を引き継ぎ、観音堂は村人たちの拠り所として親しまれてきた。
第九番札所 蓑堂山 蓑堂

蓑堂概観

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 べべ出し観音

宗派 不明

開山・開基 不詳

須坂市大字米子寺内34/(観音在所)樋口政宏宅 須坂市大字米子61

TEL026-248-2132
ご詠歌
井の上や 夜な夜なきたる みのん堂 雨はふるとも 身をばぬらさじ


.
名勝米子大瀑布への道筋に見える奇岩絶壁は雨具の「蓑」に似た山容から蓑堂山と呼ばれる。昭和40年代の松代群発地震によりかつて本道内に安置されていた本尊の十一面観世音菩薩は麓の樋口家宅にて大切に安置されている。俗に「べべ出し観音」とも呼ばれるのは、急峻な坂や岩場をよじ登って参拝する際、女性の着物の裾が乱れ、後ろから登る男性の目に思わぬ“ご利益”があったからだとか。江戸時代後期、祭事で村が留守の間に火事が起きたことから「お祭り嫌いの観音様」としても知られている。
第十番札所 妙徳山 高顕寺

ご本尊名 千手十一面観世音菩薩

宗派 真言宗豊山派

開山・開基 行基

須坂市仁礼中村868

TEL026-246-8583
ご詠歌
あづまやの 川瀬の波の 音聞けば み法の船の たがわざりけり


.
約千二百五十年前、中国の僧行基が開山したと伝えられ、鎌倉時代末期の元徳年間には32堂の伽藍を配す荘厳な寺であったという。本尊の千手千眼観世音菩薩は鎌倉時代末期の木彫仏で、平成19年に改修された観音堂に安置されている。明治の末頃の実話である。村有林盗木の嫌疑をかけられた炭焼きの老人が、拷問に耐えかねて嘘の自白をし、自殺をしようとしたところ、この観音が現れて「罪は晴れる」と告げて死を思いとどまらせたという。その後真犯人が逮捕され老人は観音様への感謝と功徳を伝えようと寺の鐘つき男として生涯を過ごした。
第十一番札所 明真山 清滝観音堂

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 清滝観音 養蚕観音

宗派 真言宗

開山・開基 行基(天平年間)

長野市松代町東条菅間

TEL026-278-3967(福徳寺)
ご詠歌
清滝や 川瀬の波の 繁ければ 心静めて 頼む後の世


.
奈良時代、僧行基がこの地を訪れた際、桑の巨木から立木のまま1丈6尺の千手観音像を三体刻まれ、そのうちの一体は奇妙山西中腹のこの地に安置したのが起源と伝えられる。もう2体は7番札所の桑台院と16番札所の清水寺に安置されたと伝えられ、昔からこの3寺を1度に巡礼するとご利益が大きいとされた。奈良時代坂上田村麻呂が東国制覇の折、祈願所として堂宇を建立したとされ、最盛期には36坊・7堂伽藍をそろえ、山岳信仰の一大霊場として栄えたと伝えられる。
第十二番札所 菩提山 無常寺

ご本尊名 馬頭観世音菩薩

愛称 子育観音 中見堂

宗派 浄土宗

開山・開基 誓林坊(永承3年1048)

長野市安茂里小市3-45-8

TEL026-226-4729
ご詠歌
中見堂 参りて拝む ありがたや よきもあしきも もらし給ふな


.
無常院は天台宗の僧・誓林坊が永承三年に開基し、一時衰退したものの、天正二年に京都知恩院派の古刹として地域の信仰を集めてきた。善光寺と同じ「立葵」を寺紋とし、古くから善光寺7院のひとつに数えられてきた由緒ある寺院である。秘仏である銅製鋳造の本尊も「善光寺仏」と呼ばれる一光三尊の阿弥陀如来像で、善光寺の前立本尊より古い鎌倉時代中期の作と推定され、長野市の文化財に指定されている。
第十三番札所 恵日山 開眼寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

宗派 臨済宗妙心寺派

開山・開基 龍天登大禅師(慶安4年1651)

千曲市八幡中原57

TEL026-272-5019
ご詠歌
開眼寺 後ろは山に 前はよし 北を流るる 志川なるらん


.
ご本尊の聖観音菩薩は「日不見の観音」と呼ばれ、厨子の扉を開けることを禁じられていた。扉を開けると北風が吹いて水害が起き、開扉した者は急死、住職にも不幸があると信じられていたからである。昭和46年2月、本堂の屋根葺き替えに際し信者一同が厨子を移動中、突然扉が開いた。金色の立像で、脇侍の阿弥陀如来、地蔵菩薩像とも、同じ仏師による江戸時代初期の作と推定され、藤原時代の古様式にならった洗練の彫技が見て取れ、荘厳かつ慈悲にあふれた雰囲気を持っている。
第十四番札所 姨捨山 長楽寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

愛称 姨捨観音

宗派 天台宗

開山・開基 不詳

千曲市八幡4984

TEL026-273-3578
ご詠歌
音に聞く 姨捨山を 来てみれば 月の都は ここにこそあれ


.
「古今和歌集」には、幾人もの歌人が「さらしなの地」や「おばすて山」を月の名所として詠んだ歌が編まれている。縁起によれば、木花咲耶姫神の姉の大山姫は姿醜く心悪しき女神だったが、妹神の娘である姪の木の花姫から北の国の満月を見て歌に詠めば心が清まると教え諭され、はるばる当地を訪れた。折しも中秋の秋の夜で、大岩の上から満月を見て徳念が生じ、昇天した。叔母姫が凡慮を捨てた岩ゆえ、以来この大岩を「姨石」 、この地を「姨捨」と呼ぶように」なったという。
第十五番札所 富蔵山 岩殿寺

ご本尊名 馬頭観世音菩薩

宗派 天台宗

開山・開基 学文行者(役行者直弟子)

東筑摩郡筑北村坂北13505

TEL0263-66-4036(事前連絡)
ご詠歌
罪科も 露と消えなむ 岩殿の 松吹く風も 御法なるらん


.
奇岩、奇峰を持つ岩殿山の麓。別所川のせせらぎが響く自然豊かな地に位置する古刹である。中世には七堂伽藍が立ち並び、75社4院12坊を連ねたとされ、岩殿山とその南の富蔵山一帯に広がる天台修験道場の中心寺院として格式と隆盛を誇ったが、江戸、昭和の大火で堂塔のほとんどが消失した。火難を免れた銅製懸仏の御正体と大日如来像は国の重要文化財となっている。なお、信濃三十三観音札所は当寺の前住職が生前、寝食を惜しんで復興に尽力され、現在に至っている。
第十六番札所 阿弥陀山 清水寺

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 保科観音

宗派 真言宗智山派

開山・開基 行基(天平14年742)

長野市若穂保科1949

TEL026-282-3701(要事前連絡)
ご詠歌
かりそめも にごる心を 求むなよ 影清水に 月は澄みぬる



天平14年、僧行基が自ら刻んだ三体の千手観音の一体をこの地に安置したのが始まりと寺伝にあり、延暦20年、坂上田村麻呂が蝦夷平定を祈願し、その成就に感謝して伽藍を建立したと伝えられる。足利時代には八代将軍義政の篤い帰衣を受け、三十塔をはじめとする三十余の同塔を連ねた一大霊場をなした。その後、数度にわたって火災に遭い、中でも大正五年五月の保科大火では、周囲の寺叢もろとも一山の伽藍を消失。奈良の石井寺より二十数体の仏像を迎えて再建した。
第十七番札所 福寿山 関昌寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 正命観音 今見堂観音

宗派 曹洞宗

開山・開基 (真言宗)青柳近江守清長/淵龍(元禄元年1688)

東筑摩郡筑北村東条405

TEL0263-66-2173
ご詠歌
昔より 大悲の御影 今見堂 後世こそ大事 助け給へや


.
中世から戦国期に当地を治めた青柳氏が、元禄元年、領民の無事安穏を祈願して創建したと伝えられるが、詳細は不明である。青柳氏は、真言宗の修験寺として坂北の山中に隆盛していた碩水寺を曹洞宗に改めて信奉したが、関昌寺はその末寺のひとつにあたり、善光寺西街道西条宿の入口に位置して関所のような役割りも果たしたと考えられている。本尊の十一面観音像は、明治以前には近くの今見堂の本尊であったが、廃仏毀釈で堂が廃れたさい、関昌寺に移された。
第十八番札所 金峯山 長谷寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 人肌観音・長谷観音

宗派 真言宗智山派

開山・開基 白助翁(舒明9年)

長野県長野市篠ノ井塩崎878番地

TEL 0262-92-2102
ご詠歌
はつせでら 松の葉ごしの影よりも 遠に見えゆく とをの山寺

ご詠歌
父母の菩提のためにはつせでら建ててぞ祈る大慈大悲を


.
信州屈指の古刹で、飛鳥時代、允恭天皇六代の孫・白助翁が善光寺如来のお告げを受け、両親の菩提供養に奈良初瀬から十一面観世音菩薩を勧請してこの地に奉安したのが始まりと伝えられる。大和、鎌倉と並ぶ日本三大長谷観音の一霊場として名高く、木曽義仲の兵火に遭って後、鎌倉時代中期に再建された荘厳な伽藍の面影を今によく伝えている。本尊十一面観世音菩薩は秘仏で、善光寺御開帳の翌年、四月の縁日を中心に数日間開帳される。白助翁の妻の化身にして、人の肌の温もりを失わない「人肌観音」として多くの信仰をあつめる。
第十九番札所 小菅山 菩提寺

ご本尊名 馬頭観世音菩薩

宗派 真言宗

開山・開基 不詳

飯山市瑞穂7082

TEL 0269-65-3406
ご詠歌
小菅寺 南を見れば あづまやの 誓を頼み 願ふ後の世


.
戸隠山、飯縄山とともに北信濃の三大修験道場のひとつとして名高かった小菅山の本坊、小菅山大聖院の山内寺院のひとつ「桜元坊」を前身とする。廃仏毀釈の際、大聖院は小菅神社となり、桜本坊が仏教寺院菩提院として残された。この時、本尊画像の両界曼荼羅図(県宝)をはじめとする什器が菩提院に移されたと考えられている。観音堂の片足立膝の馬頭観音は弘法大師の作と伝えられ、古くから家畜の病や災い避けに霊験あらたかと信じられてきた。
第二十番札所 鷲峯山 長安寺

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 岩井堂観音

宗派 臨済宗

開山・開基 [大平山]行基(天平勝宝年間)

松本市会田611

TEL0263-58-3178(牛伏寺)
ご詠歌
岩井堂 岩にぞ御堂 懸けつくり 谷をへだてて うつす水かげ


.
天平勝宝年間の頃、僧・行基が通りかかった際、奇岩・怪岩が横たわり青松が生い茂る当地を霊地と感じ、自ら千手観音を刻んで安置したと伝えられる。その後、諸国巡歴中の弘法大師もこの地の尊厳な様子に感銘し、爪彫りの大日如来、大黒天などを安置、供養塔婆を建てたと語り伝えられている。観音堂に安置されている千手観音は江戸時代の作。堂の周囲には数十体の石仏群や弘法大師像が建ち、付近の岩壁には地蔵尊の摩崖仏などもあって、森閑とした霊地のおもむきに浸ることができる。
第二十一番札所 常光寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 岡田観音

宗派 不明

開山・開基 不詳

長野市篠ノ井岡田裏1243

TEL 026-293-1947
ご詠歌
本山や 常の光の み寺にぞ 有明月に 朝日輝く


.
りんご畑の一画に観音堂だけが建つ小さな寺だが、そこに安置されている十一面観音像は、数奇な運命をたどってこの地にたどりついた。行基作と伝えられるこの尊像は、伊那の常円寺にあったのが、塩尻の常光寺に移されたものである。ところが廃仏毀釈で廃寺となった際に古美術商の手に渡り、大阪方面へ売られることとなった。時を同じくして、札所巡拝の信徒であった岡沢彦治郎氏がたまたま所用で松本を訪れ、大阪への旅の途上にある観音像と出会い、古美術商を説得し買い戻したという。しばらく自宅に安置した後に、観音堂を建立し、以前の寺名を冠して21番札所を復活させた。
第二十二番札所 羽広山 仲仙寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 羽広観音

宗派 天台宗

開山・開基 慈覚大師円仁(弘仁7年816)

伊那市西箕輪3052

TEL0265-73-5472(個人不要、団体要事前連絡)
ご詠歌
はるばると 登り向かえば 仲仙寺 いつも絶えせぬ 松風の音


.
弘仁7年慈覚大師が霊夢を得てこの地を訪れ、山中に求めた霊木に十一面観音像を刻んで奉安したのが開基とされる。この時、木片のひとつに経文を書いて埋めたことから、仲仙寺の背後にそびえるその山を経ヶ岳と呼ぶようになった。その後、数度の火災に逢うも、堂宇を寄進した歴代飯田城主をはじめ地域の人々の篤い信仰心に支えられ、その都度再建して今に至っている。
第二十三番札所 瀧洞山 宝蔵寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

愛称 岩谷堂観音

宗派 浄土宗

開山・開基 慈覚大師円仁(承和元年834)

上田市御獄堂84

TEL0268-42-2561
ご詠歌
宝蔵寺 見上げてみれば 岩谷堂 峯の松風 谷川の音


.
承和元年、天台宗の高僧・慈覚大師が信濃巡礼の折、この地で一本の柳の木から三体の観音像を彫刻された。その際、柳の胴の部分でつくった像をここに奉安したのが開基といい、「柳」「胴」に通ずる龍洞山と号したと伝えられる。頭の部分に刻んだ尊像は28番札所の龍福寺に、根本の部分に刻んだ尊像は平等寺に安置したとういう。切り立つ岩山の中腹に食い込むように建つ朱塗りの観音堂は、以前本堂裏の洞窟中に安置されていたことから「岩屋堂の観音さん」と呼ばれており、遠方からも参詣客が絶えなかったという。
第二十四番札所 法国山 阿弥陀寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 岩屋観音

宗派 浄土宗

開山・開基 (開基)念仏行者河西浄西(文禄4年1595)/(開山)弾誓上人(慶長3年1598)

諏訪市上諏訪唐沢7633-1

TEL0266-52-5269(阿弥陀寺)0266-52-0818(正願寺)
ご詠歌
唐沢や 岩間に結ぶ 観世音 誓いの水は 汲めどつきせじ


.
文禄4年、下桑村の念仏行者・河西浄西が開基し、尾張の弾誓上人が諸国を修行行脚の折、仏道修行の道場となしたと伝えられる。開基当時は裏山の岩窟に十一面観音をまつるのみの道場であったが、諸国から多くの行者が集まるようになり、堂宇が充実。現在も浄土宗の修業道場として名高く、仏道を志す若い僧が修行に明け暮れる姿が見られる。本堂の左手にそそり立つ岸壁の中程にある懸崖造りの建物が岩屋堂で、この奥に十一面観音を安置し、子授けのご利益が信じられている。
第二十五番札所 天陽山 盛泉寺

ご本尊名 千手観世音菩薩

愛称 水沢観音

宗派 曹洞宗

開山・開基 [若沢寺]行基菩薩(天平年間)

東筑摩郡波田町5997

TEL0263-92-3128
ご詠歌
参るより 心も清き 水沢の 誓も深き み寺なりけり


.
梓川の河岸段丘上部、北アルプスの前衛をなす山のひとつ白山の麓に位置し、天文21年創建と伝えられる。ここから1.5キロほど山へ入った水沢山一帯には、かつて行基が創建したと伝えられる若澤寺があった。平安時代に坂上田村麻呂が安曇野の八面大王征伐に際し、この水沢観音の加護の下に勝利したことから、堂宇を寄進したとされる。壮大な伽藍と深山のおもむきから、江戸時代には「信濃日光」と呼ばれ、隆盛をきわめた。
第二十六番札所 栗尾山 満願寺

ご本尊名 千手観世音菩薩

宗派 真言宗豊山派

開山・開基 坂上田村麻呂 小笠原貞慶
.
安曇野市穂高牧1812

TEL0263-83-2088(要事前連絡)
ご詠歌
ありがたや 功力も深き 観世音 導き給へ 弥陀の浄土へ


「信濃高野」の異称もある真言宗の古刹。寺伝によれば神亀年間頃、現地の上方山中にある長者ヶ池から一寸八分の黄金の仏像が現れ、聖武天皇の勅願によって堂宇を建立の上、安置したのが始まりという。坂上田村麻呂が有明山の八面大王成敗の折、このご本尊に悪夢で秘策を授けられたといい、自ら刻んだ琥珀物を本尊体内に奉安したと伝えられる。参道の入り口にある「微妙橋」は、欄干、屋根付きの美しい太鼓橋で極楽浄土への結界をあらわしている。
第二十七番札所 金峰山 牛伏寺

ご本尊名 十一面観世音菩薩

愛称 うしぶせ観音

宗派 真言宗智山派

開山・開基 不詳

松本市内田2573

TEL0263-58-3178
ご詠歌
来世にて 死出の山路は よも越さじ 金峯山へ 参る身なれば


.
眼下に松本平、遥か東に北アルプスの連山を望む深山幽谷の地に10万坪余りの寺域を持ち、信濃三十三番札所中最大規模の厄除け霊場である。寺の縁起によれば、天平勝宝7年、唐の玄宗皇帝が善光寺へ大般若経六百巻を奉納する旅の途中、経巻を運ぶ赤・黒二頭の牛がこの地で倒れた。十一面観音の霊力を知った使者は経巻をここに納め、二頭の霊をまつったことから、寺号を牛伏寺としたという。国の重要文化財を8体有する文化財の宝庫としても知られている。
第二十八番札所 龍頭山 龍福寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

愛称 鳥羽堂観音

宗派 元天台宗

開山・開基 慈覚大師(承和元年834)

上田市腰越向井1186

TEL0268-42-2196
ご詠歌
鳥羽の山 登りてみれば 龍福寺 田子の浮き舟 松風の音


.
承和元年、天台宗の慈覚大師の創建にして、大師が手ずから刻んだ観音像が本尊と伝えられる。伝説では、信濃錫巡中の大師がこの地を訪れた際、土地の民を苦しめる龍を封じるため、沼のほとりで修法を行ったところ、功徳を得た龍の昇天とともに霧が晴れ、柳の大木が現れた。その柳を伐って、木の上部でつくった仏像が、当時の聖観音という。地域の人々の信仰が篤く、毎年12月には奉賛会が主催する子ども餅つき大会で大いににぎわう寺である。
第二十九番札所 布引山 釈尊寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

愛称 布引観音

宗派 天台宗

開山・開基 行基(神亀元年724)

小諸市大久保2250

TEL0267-23-0520
ご詠歌
望月の 御牧の駒は 寒からじ 布引山を 北と思へば


.
牛に化身した聖観音に白布を奪われた老婆が、善光寺まで追いかけて仏教に帰依するようになったという「牛に引かれて善光寺参り」伝説ゆかりの寺院である。寺伝によると神亀元年、僧・行基の創建で、本堂のほか花成寺、額願寺、真福寺、一宝寺、神興寺、慈現寺の六ヶ寺が岩窟に伽藍を造営。懸崖に建立した観音堂を中心とする仏道修行の聖域だったとされる。朱塗りの観音堂は鎌倉時代の様式をよく伝えており、建築・美術史上きわめて貴重とされ、国の重要文化財に指定されている。
第三十番札所 歓喜山 正法寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

宗派 真言宗豊山派

開山・開基 坂上田村麻呂(大同年間)

上水内郡中条村日下野1874

TEL026-267-2319
ご詠歌
正法寺 月は三ヶ野の 峰に出で 下る片岡 寺のともしび


.
僧・行基が手ずから刻んだ聖観音像を奉安したのが創建とされ、大同年間に坂上田村麻呂が東征の折、この地に堂宇を建立したと伝えられる。本尊の木造聖観音立像は、行基より時代が下がる藤原時代中期の作。傷んではいるがふくよかな表情をたたえた美しいお姿が特徴。江戸末期、日照りに苦しむ村人がワラでつくった龍にこの観音様が生命を与え、たちまちに雨を降らせたという伝説があり、雨乞いのご利益で知られている
第三十一番札所 慈眼山 広福寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

愛称 乳出し観音

宗派 曹洞宗

開山・開基 不詳

上水内郡中条村御山里8859

TEL026-268-3364
ご詠歌
広福寺 誓を頼む 八重桜 峰の嵐も 吹きや散らさじ


.
虫倉山の西南麓、山懐に包まれるように観音堂が建っている。弘化4年の善光寺地震は、善光寺の周辺のみならず、水内郡下の多くの場所に地滑り、山崩れなどの被害をもたらしたが、中でも虫倉山の山崩れは大規模で、多くの被害者が出た広福寺の背後の斜面も大崩落を起こし、土砂が村に押し寄せたが、お堂を潰したところで奇跡的に止まった。そこで村人たちは、観音様が山崩れから村を守って下さったと喜び、五輪塔などを掘り出してまつり直した。また現在の本尊にあたる新たな観音像を迎え、観音堂を再建した
第三十二番札所 椿峯山 西照寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

宗派 元真言宗

開山・開基 不詳

上水内郡小川村椿峰4031

TEL 026-269-2568
ご詠歌
椿峰や 高き恵みは いかばかり 深き罪身も 浮かぶとぞ聞く


.
開基や盛衰の歴史について、詳しい記録はないが、付近の地名に「寺屋敷」「大門」「仏迎田」などが残っていることから見て、地域の人々の信仰篤い大寺だったことがうかがえる。善光寺地震による崩落をはじめ、数度にわたる山崩れに遭って、堂宇はことごとく地中に埋まってしまったが、地域の人々の尽力で、観音像や仏像はその都度掘り出され、観音堂も再建された。現在もみごとな彫刻の施された観音堂に本尊の聖観音をはじめ13体仏像が安置され、近隣の人々に大切に守られている。
第三十三番札所 宝珠山 高山寺

ご本尊名 聖観世音菩薩

宗派 真言宗豊山派

開山・開基 坂上田村麻呂(大同3年808)

上水内郡小川村稲丘7119

TEL026-269-2568
ご詠歌
高くとも 安く登れよ 寺坂を 九品浄土へ 参る身なれば


.
信濃三十三観音巡拝、結願の高山寺は、北アルプスの山並みを望む展望の地にある。端麗な三重塔は建久6年、源頼朝の建立と伝えられるが老朽化し、元禄時代に虫倉山中で修行中の木食山居上人に勧進を願い、五年がかりで十数万人の喜捨を集めて再建した。塔内には如来三尊が本尊としてまつられている。なお本尊は秘仏で、年に一度、8月10日に開帳している。雨乞い、火除けの観音様として名高い。
客番 定額山 善光寺

ご本尊名 一光三尊阿弥陀如来

宗派 天台宗・浄土宗

開山・開基 本田善光(伝・皇極天皇元年)

長野市元善町491

TEL026-234-3591
ご詠歌
身はここに 心は信濃の 善光寺 導き給へ 弥陀の浄土へ


.
創建以来約1400年の歴史を誇る「一生に一度は善光寺参り」と全国から多くの人々が参詣する。一貫して男女平等の救済を説く寺院として知られたこともあり、女性の参拝者が多きことも特徴である。数え年で七年に一度(現在は丑と未の年)行われる御開帳は善光寺最大の盛儀。信濃三十三観音札所のうち、多くが関東・関西から善光寺へと続く街道(北国街道、善光寺街道)沿いに点在する。善光寺参詣をめざす旅人が道すがら観音様を拝み、それぞれの願いを話し旅の安全を祈った様子がしのばれる。
客番 北向山 北向観音堂

ご本尊名 千手千眼観世音菩薩

愛称 別所観音

宗派 天台宗

開山・開基 慈覚大師円仁(天長2年825)

上田市別所温泉1656

TEL0268-38-2023
ご詠歌
いくばくの 人の心を 澄ますらん 北向山の 峰の松風


.
本堂が北に向いている全国でも珍しい寺で「北向観音」として親しまれている。善光寺が来世利益、常楽寺が現世利益をもたらすとされ、両寺に参詣しないと「方参り」になるとされる。天長二年、別所温泉を開いたとされる慈覚大師円仁によって創建され、天台教学の道場であり信仰の霊場として今日に至る。厄除観音としても信仰を集め、護摩祈祷が毎日行われている。
     
風と空と雲と・・・・・・・
寺社仏閣  古刹へ