富士吉田市
  北口本宮冨士浅間神社

山梨県富士吉田市上吉田5558


主祭神
木花開耶姫命
彦火瓊瓊杵命
大山祇神

社格等
旧県社
別表神社
北口本宮冨士浅間神社は、山梨県富士吉田市上吉田にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

全国にある浅間神社の一社である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産のひとつである「富士山域」の一部として世界文化遺産に登録されている。

延暦7年に甲斐守である紀豊庭が現在地に社殿を造営したと伝わる。中世には同社が所在する郡内地方の領主である小山田氏からの庇護を受けた。社号について、甲斐国の地誌である『甲斐国志』では以下のように記される。

往古ヨリ此社中ヲ諏方ノ森ト称スルハ、浅間明神勧請セザル以前ヨリ諏方明神鎮座アル故ナリト云、古文書二諏方ノ森浅間明神トアル是ナリ

このように古来より社中に「諏訪の森」が位置し、諏訪神社の鎮座地に浅間神社を勧請したと伝わる。現在当社は浅間神社であり祭神も木花開耶姫命を主祭神としているが、当初は諏訪神社であったと考えられている。例えば天文17年5月26日、小山田信有[要曖昧さ回避]は吉田の諏訪禰宜に富士山神事の際に新宮を建てる場合は披露するように命じている。このように富士山神事に関わる案件に対しても、諏訪禰宜に宛てがわれている。永禄4年3月2日、武田信玄は吉田の諏訪の森の木を伐ることを禁止している。『甲斐国志』によると、同年に武田信玄が富士権現を造営したとある。これらの事柄から、永禄4年の信玄による富士権現造営が現在の北口本宮冨士浅間神社の元になるものであるとし、それ以前は諏訪社のみが鎮座していたとする。。

その後は元和元年、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立、貞享5年に社殿が造修された。一時荒廃していたが、享保年間になって、富士講の行者であった村上光清が私財を投げ打って再興し、富士講の参詣者を集めた。拝殿の前の両脇には樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の名を持つ大きな御神木がある。

富士登山道の吉田口の起点にあたる。江戸時代には富士講が流行し、周辺には御師の宿坊が百件近く立ち並んだこともあるが、これは神社に属さない独自の宗教活動であった。昭和初期には神社北の裏手から登山バス浅間神社 - 馬返線が運行していた。

同じ富士吉田市下吉田にある小室浅間神社に対して「上浅間」と呼ばれる事があるが、直接的な関係は無い。富士吉田地域に於いて、この神社が前述した富士講御師に依る対外的な信仰を集め、下吉田の小室浅間は農耕信仰を中心として地元民の生活に根差した文化があった。
 
 甲府市 金剛福聚山 法泉寺

山梨県 甲府市 和田町2595
 
  瑞巌山 円光院

山梨県 甲府市 岩窪町500-1
 
  山梨県護国神社

山梨県 甲府市 岩窪町608
 
  武田神社

山梨県 甲府市 古府中町2611
 
  万年山 大泉寺

山梨県 甲府市 古府中町5015
 
  愛宕神社

山梨県 甲府市 愛宕町134
 
  甲斐奈神社

山梨県 甲府市 中央3-7-11
 
  青龍山 瑞泉寺

山梨県 甲府市 中央3-7-17
 
  穴切大神社

山梨県 甲府市 宝2-8-5
 
  船形神社

山梨県 甲府市 国母7-4-3
 
  酒折宮

山梨県 甲府市 酒折3-1-13
 
  法蓋山 東光寺

山梨県 甲府市 東光寺3-7-37
 
  定額山 甲斐 善光寺

山梨県 甲府市 善光寺3-36-1
 
  定林山 能成寺

山梨県 甲府市 東光寺町2153
 
  甲斐国三之宮 玉諸神社

山梨県 甲府市 国玉町1331
 
  住吉神社

山梨県 甲府市 住吉1-13-10
 
  正木稲荷 稲積神社

山梨県 甲府市 太田町10-2
 
  山縣神社

山梨県 甲斐市 篠原190
 
 富士河口湖町 霊鷲山 常在寺

山梨県 富士河口湖町 小立139
 
  河口浅間神社

山梨県 富士河口湖町 河口1
 
  富士御室浅間神社/本宮

山梨県 富士河口湖町 勝山3951-2
 
   冨士御室浅間神社本宮

山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951
 御朱印は、本宮、里宮とも里宮の社務所
     
 富士吉田市 北口元宮 小室浅間神社

山梨県 富士吉田市 下吉田5221
 
  北口本宮 冨士浅間神社/諏訪神社

山梨県 富士吉田市 上吉田5558
北口本宮冨士浅間神社は、富士吉田市に鎮座し、主祭神には浅間大社と同様、
木花之佐久夜毘売命とその夫神であるニニギノミコト、それに父神になる大山祇
神を祀っています。
社の由緒によりますと、創建は景行天皇40年(110)、日本武尊が東征の折、
この地で富士の神霊を拝し、浅間大神と日本武尊を祀ったのが始まりと伝えられ
ています。
 
   新倉富士浅間神社(山梨県富士吉田市)

山梨県富士吉田市新倉3353
 
     
   新屋山神社 (山梨県)  新屋山神社 は、北口本宮冨士浅間神社から1キロほどの所にある神社です。
社の由緒によれば、新屋山神社の創建は、天文3年(1534)と言われ、明治23年に
本殿が造営され、さらに昭和48年に拝殿を造営、今日に至っているそうです。
     
   山神社  新屋山神社には、富士山の2合目(標高1,500m)に奥宮があります。
霊験あらたかな富士山2合目、「イヤシロチ(弥盛地)」(地磁気などの関係でそこにいると
気分のよくなる土地)にあると言われる奥宮は、近年『金運神社』として、テレビで取り上げられ、
全国的に知られるようになり、遠方より参拝に訪れる人も多いとのことです
     
 甲州市 乾徳山 恵林寺

山梨県 甲州市 塩山小屋敷2280
 
  高橋山 放光寺

山梨県 甲州市 塩山藤木2438
 
 笛吹市 甲斐国一宮 浅間神社/山宮

山梨県 笛吹市 一宮町一ノ宮1684
 
  瑞光山 長昌寺

山梨県 笛吹市 一宮町末木112
 
  金剛山 慈眼寺

山梨県 笛吹市 一宮町末木336
 
  宗前山 長寿院

山梨県 笛吹市 一宮町国分806-2
 
 南巨摩郡南部町 清月山 妙泉寺

山梨県 南巨摩郡南部町 万沢12014
 
  南巨摩郡身延町 身延山 久遠寺

山梨県 南巨摩郡身延町 身延 3567
久遠寺は、日蓮聖人が晩年の九年間を法華経の読誦と弟子たちの指導に明け暮れ
た場所であり、聖人の遺骨を心霊とともに祀っている日蓮宗の聖地でもあります。

寺の縁起によりますと、日蓮聖人は信者であったこの地の地頭;南部実長の招き
により、文永11年(1274)身延山に入山、草庵に住まいし、弘安4年(1281)に
は旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山久遠寺」と命名され、これ
が久遠寺の創建と言われています。

弘安5年(1282)、日蓮聖人は病身を養うためと、両親の墓参のためにひとまず
山を下り、常陸の国に向かいましたが、同年10月13日、その途上の武蔵の国池上
(東京都大田区)にて61年の生涯を閉じられました。日蓮聖人の遺言「いづくに
て死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」に従い、遺骨は身延山に祀られ
ることになったそうです。
 
   久遠寺 奥の院  奥の院は、身延山山頂(1153m)にあります。奥の院へは、急こう配のロープウェ
イで登ります。登山道を徒歩で登ると2時間半ほどかかる所をロープウェイでは7
分ほどで登ることが出来ます。
     
  常清山 妙泉寺

山梨県 南巨摩郡身延町 矢細工789
 
     
     
 南都留郡 無戸室浅間神社(山梨県南都留郡富士河口湖町)

山梨県
富士河口湖町船津6603 

河口湖フィールドセンター
 
  山中浅間神社(南都留郡山中湖村)

山梨県南都留郡山中湖村山中御所13
 
  八王子神社

富士河口湖町(南都留郡)勝山
5男3女の八王子がまつられる。小海集落の鎮守の森にある。
 
  妙本寺

富士河口湖町(南都留郡)勝山
日法上人(日連の直弟子)自筆の「板まんだら」が有名
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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