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みちびかれて 杜の揺らぎ
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 諏訪大社 上社

本宮:長野県諏訪市中洲宮山1

本宮:建御名方神

神体:御山(神体山)
   全国の諏訪神社の総本社であり、国内最古の神社のひとつ。諏訪湖の南に上社があり前宮、本宮と、北に下社の春宮、秋宮と四社で構成され、関係の摂社末社は60数社が郡内全域に鎮座している。7年に一度、寅と申の年に行われる「式年造営御柱大祭」、通称御柱祭(おんばしらさい)は、宝殿を造営し長さ約17m、重さ10tにもなるモミの巨木を人力のみで曳き、各社殿四隅に建てるという勇壮なもので、毎回20万人以上が訪れる諏訪大社で最大の神事。建物は本殿を持たない諏訪造りという独持の様式。


例祭
4月15日(御頭祭、酉の祭)


上社(かみしゃ)は、諏訪湖南岸、諏訪盆地の西南端にある。下社に対しては上流の位置にあたる。

本宮・前宮からなり、下社と異なり二宮は古くは本社・摂社という関係であった。御頭祭・蛙狩神事に見られるように狩猟民族的な性格を有している。

かつては本宮を主として上諏訪の中心地であったが、近世以後は北方の高島城城下町に移り、そちらに甲州街道の上諏訪宿も設けられた。



本宮は、赤石山脈北端の守屋山北麓に鎮座する。

社殿6棟が国の重要文化財に指定され、社叢は落葉樹からなる自然林で長野県の天然記念物に指定されている。
     
 諏訪大社 上社 前宮

長野県茅野市宮川字前宮2062



式内社 信濃國諏方郡 南方刀美神社二座 名神大
信濃國一宮
旧官幣大社

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御祭神
八坂刀賣神 (本地 千手観音)
御左口神(御社宮司神) 『諸神勧請段』『年内神事次第旧記』
   上社大祝の始祖とされる諏訪有員が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていた。大祝は神体と同視されていたことから、その居館は「神殿」と尊称され、周辺は「神原」と呼ばれた。当地では代々の大祝職位式のほか多くの祭事が行われ、摂末社も多く置かれた。大祝は祭政両権を有したことから、当地は諏訪地方の政治の中心地であった。

のち諏訪氏は兵馬の惣領家と祭祀の大祝家とに分かれ、政治の中心地は惣領家の居城である上原城に移った。そして大祝の屋敷もまた慶長6年(1601年)に移転したが、祭事は引き続いて当地にて行われていた。

江戸時代までは「前宮社」として上社境外摂社筆頭の社格[24]を有して鎮座していたが、明治以降上社の前宮と定められた。上社の祭政一致時代の姿を色濃く残していることから、現在境内は「諏訪大社上社前宮神殿跡」として長野県の史跡に指定されている。
     
 諏訪大社 下社

秋宮(上)と春宮(下)の幣拝殿(ともに重要文化財)

秋宮:長野県諏訪郡下諏訪町5828
春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193


主祭神
建御名方神
八坂刀売神
八重事代主神

神体 秋宮:イチイ(神木) 春宮:スギ(神木)
   下社

例祭
8月1日(御舟祭)


下社は、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北縁にある。上社に対しては下流の位置にあたる。

秋宮・春宮からなり、上社と異なり二宮の地位は同格で、御霊代が2月と8月に両社間を遷座する。南側が開けており古くから農耕が盛んな地であり、農耕民族的な性格を有している。

一帯は下諏訪の中心地で、近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられた。

祭神
建御名方神 (たけみなかたのかみ)
八坂刀売神 (やさかとめのかみ) - 主祭神
八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされる
     
 秋宮    秋宮は、下諏訪の春宮の町の東端に鎮座する。東方には承知川が流れている。

毎年8月-翌1月に祭神が祀られている。境内は社殿4棟が国の重要文化財に指定されている。周辺は温泉の湧出地で、境内にも御神湯がある。社殿の形式は春宮と同じで、古くは秋宮・春宮間で建築の技が競われた
     
 戸隠神社 奥社

祭神 天手力雄命
   天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、天の岩戸をお開きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。

戸隠神社の御本社として全国に開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの御神徳が広宣され多くの崇敬者が登拝されます。
参道は約半里(2キロ)、中程には萱葺きの赤い随神門があり、その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています
     
 九頭龍社    祭神 九頭龍大神 由緒・ご神徳 鎮座の年月不明ですが、天手力雄命が奉斎される以前に地主神として奉斎され、心願成就の御神徳高く特別なる信仰を集め、また古来より水の神、雨乞いの神、虫歯の神、縁結の神として尊信されています。 九頭龍社
     
戸隠神社 「中社」

中社

祭神 天八意思兼命
   戸隠神社「中社」のご祭神は「天八意思兼命」。天照大神が天岩戸にお隠れになってしまったときに、八百万の神様に“天岩戸を開くための”知恵を授けたことから、「知恵の神様」、「学問・受験の神様」として知られています。
そのようなことから、ご神徳は「学業成就、試験合格」のほか「商売繁盛、開運、家内安全」にもご利益があります。
     
 火之御子社    祭神 天鈿女命 由緒・ご神徳 承徳二年(1098)頃の創建で、岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。

  戸隠山の神様が神仏習合されていた当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。戸隠神社太々御神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。舞楽芸能の神、縁結の神、火防の神として尊崇されております。
近年は参拝される方が多く、境内には樹齢500年を超える『結びの杉(二本杉)』と有名な西行桜があります。
     
 宝光社  祭神 天表春命 由緒・ご神徳 杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、その荘厳さは多くの信者の尊信を集めています。

祭神は中社祭神の御子神様で、開拓学問技芸裁縫の神・安産の神・女性や子供の守り神として御神徳があります。 宝光社
     
 生島足島神社

長野県上田市下之郷中池西701

主祭神 生島大神  足島大神

神体 本殿内殿内陣の土間
   社格等
式内社(名神大2座)
旧国幣中社
別表神社



祭神

生島大神
足島大神

生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。『延喜式』神名帳では、宮中の神祇官西院で祀られる神々23座のうちに「生島神・足島神」の記載があり[1]、朝廷とつながりの深い神々であることが知られる。



創建は不詳。社伝では、建御名方富命(摂社諏訪神社祭神)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという]。この伝承から、生島・足島両神は当地の地主神であると見られており、伝承自体は現在も特殊神事の「御籠祭」に名残を残している。

一方『延喜式』神名帳には、宮中の神祇官西院で祀られる神23座のうちにも生島神・足島神の記載がある[1]。このことをもって、科野国造の多氏(並びに同族の金刺氏・他田氏)が国魂として宮中から両神を勧請したという説もある。この中で、金刺氏がのちに諏訪大社下社の大祝を務めたことと、摂社諏方神社の関連性が併せて指摘される。

なお、生島足島神社の南西方にある泥宮を旧鎮座地にあてる説もある。
     
 若一王子神社

長野県大町市大字大町2097


主祭神
若一王子  天照大神  伊弉冉尊  仁品王  妹耶姫
   社格 県社・別表神社

創建 (伝)垂仁天皇の時代(仁科濫觴記)


祭神

若一王子-- 熊野那智大社第五殿に祀られる神
天照大神
伊弉冉尊
仁品王
妹耶姫



鎌倉時代、安曇郡一帯を治める国人領主の仁科盛遠が紀伊国熊野権現に詣でた際、那智大社第五殿に祀られる若一王子を勧請し、以降「若一の宮」(若一王寺、王子権現)と称されるようになった。その際、盛遠は後鳥羽上皇の知遇を得て西面武士として仕えた。仁科氏が主家の武田氏とともに滅亡すると、織田信長以後の天下人は安曇郡を歴代松本城主の所領とし、松本藩の庇護を受けるようになった。

明治の神仏分離の際に、寺号を廃して現社名に改称した。昭和6年に県社に昇格し、昭和51年に神社本庁の別表神社に加列された。
     
 仁科神明宮



長野県大町市大字社宮本1159

主祭神 天照皇大神
   社格 県社

創建 崇神天皇から景行天皇の代に渡る、紀元前後のあたり?




仁科神明宮は北安曇郡社村字宮本に鎮座し、天照大神を奉祀している。安曇郡一帯は古来諏訪神社と穂高神社との力が交々深く及んでいた地方であるが、神明宮に関する限り、創祀以来御祭神は御一座のままである。神明宮の創祀は皇大神宮御領であった仁科御厨鎮護のため勧請されたことに基いている。
1192年(建久3年)8月、二所大神宮神主が職事の仰せによって神領の仔細を注進したものを編輯した「皇大神宮建久己下古文書」によれば、当時信濃国には僅かに麻績・長田・藤長及び仁科の四御厨しか現存せず、しかも仁科に限り「件御厨往古建立也、度々被下宣旨、所停止御厨内濫行也」と注記し、当時既にその創建の年次が不明であったことを述べている。神宮雑例集の記事によれば、信濃に初めて神戸が封ぜられたのは後冷泉天皇の1048年(永承3年)12月のことであるから、御厨の建立はそれ以後とみてもよいかと思う。新宮雑書信濃御厨の記事1192年(建久3年)にも、麻績、藤長、長田の御厨とともに仁科御厨の名を連ねており、しかも仁科御厨に限り、「件御厨往古建立地」と注記してあるので、信濃で一番古いことがうかがえる。信濃国内の御厨は全て伊勢神宮領であった。

承久の変に於いて仁科盛遠が、後鳥羽上皇の帷握に参じ奉り、越中礪波山の戦いに戦死してから、その所領であった仁科の地は一旦幕府に没収するところとなり、改めて後堀河天皇の御父守貞親王に奉献されたのであるが、親王はこれを皇女式乾門院に譲られ、門院は更に後堀河天皇の第一皇女室町院に伝え給ひ、ここに室町院領としての仁科庄が成立したのである
     
 穂高神社

本宮:長野県安曇野市穂高6079
奥宮:長野県松本市安曇上高地

主祭神
穂高見命 綿津見命 瓊々杵命

神体 穂高岳(神体山)
   社格
式内社(名神大)
信濃国三宮
旧国幣小社
別表神社

穂高岳(祭祀対象)

穂高神社、長野県安曇野市穂高にある神社。式内社(名神大社)、信濃国三宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、松本市安曇の上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称がある。また、毎年9月27日に行われる例大祭(御船祭)が有名である


祭神

本宮の祭神は
中殿:穂高見命 - 別名を「宇都志日金拆命」。綿津見命の子。
左殿:綿津見命 - 海神で、安曇氏の祖神。
右殿:瓊々杵命
別宮:天照大御神
若宮:安曇連比羅夫命  若宮相殿:信濃中将 - 御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる。


祭神について

穂高神社一帯は古来より安曇氏の定着地とされる『新撰姓氏録』には安曇氏に関連する記載として以下の3条が知られる

右京神別 安曇宿禰条 - 海神綿積豊玉彦神の子の穂高見命の後。
右京神別 凡海連 - 海神綿積命神の男の穂高見命の後。
河内国神別 安曇連 - 綿積神命の児の穂高見命の後。
     
 穂高神社    
     
 信濃国二ノ宮 小野神社

小野神社・矢彦神社



所在地
小野:長野県塩尻市北小野175-1
矢彦:長野県上伊那郡辰野町大字小野3267



主祭神  小野:建御名方命
      矢彦:大己貴命、事代主命
   小野神社・矢彦神社

社格
小野:信濃国二宮、旧県社
矢彦:旧県社

創建
小野:不詳
矢彦:(伝)欽明天皇年間(539年-571年?)

別名
小野南北大明神


小野神社・矢彦神社は、長野県にある神社。小野神社は長野県塩尻市、矢彦神社は長野県上伊那郡辰野町に位置する。

両社は同じ社叢に隣接して鎮座しており、かつては1つの神社であったと伝えるが、現在は別の神社である。小野神社は信濃国二宮で[1]、両社とも旧社格は県社。



祭神

小野神社祭神
建御名方命

矢彦神社祭神
正殿 大己貴命
事代主命

副殿 建御名方命
八坂刀売命

南殿 天香語山命
熟穂屋姫命

北殿 神倭磐余彦天皇 (初代神武天皇)
誉田別天皇 (第15代応神天皇)


創建年代は不詳。伝承では、建御名方命が諏訪に入ろうとしたところ諏訪には洩矢神がいて入れなかったため、建御名方命はこの小野の地にしばらく留まったという。
 小野神社・矢彦神社


矢彦:長野県上伊那郡辰野町大字小野3267
   矢彦神社社伝では、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったという[5]。そして欽明天皇年間(539年-571年?)、大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀売命を副殿に祀って祭祀の形が整ったと伝える。

創祀の年代等は明らかではないが、当地が古くから交通の要衝であったこと、社宝の神代鉾・鉄鐸・御正体があることなどから、古い時期から祀られた神社であると見られている

両社は古くは1つの神社を成していたといわれるが、小野盆地において飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって盆地が北小野・南小野に分けられたことに伴い、神社境内も分割された。北小野・南小野の境界線は南方の小川であるため、小野神社・矢彦神社とも境内は北小野の地籍であったが、社叢南半分の矢彦神社が南小野の氏神となり、矢彦神社境内は南小野の飛地という扱いとなった。そしてこの状態が現在に至る
     
 
王滝御嶽神社

御嶽神社・里宮


長野県木曽郡王滝村3315番地(王滝御嶽神社別殿)


主祭神
里宮、奥社:国常立尊 大己貴命 少彦名命
   社格 旧県社

別名 御嶽神社王滝口、王滝口御嶽神社

王滝御嶽神社は、長野県木曽郡王滝村にある神社。王滝口御嶽神社、御嶽神社王滝口ともいう。木曽御嶽山への山岳信仰に基づく神社。


伝承によれば木曽御嶽山頂上奥社は大宝2年(702年)信濃国司高根道基が創建し、ついで延長3年(925年)白川少将重頼が木曽御嶽山へ登山し神殿を再建した。 また、一合目里宮社は文明16年(1484年)再建、文亀3年(1503 年)再興と記録にある。 天明2年(1782年)に覚明行者が木曽御嶽山黒沢口登山道を、寛政4年(1792年)に普寛行者が木曽御嶽山王滝口登山道をそれぞれ開き、講社を作り軽精進潔斎による木曽御嶽山登山を奨励したことにより、御嶽講(山岳信仰・講)が全国に広まり、今日に至り、御嶽教の信者が参拝を欠かさない。 里宮、十二大権現、八海山神社、三笠山神社、田ノ原大黒天、頂上奥社の各社殿からなる。

御嶽神社里宮社殿 里宮一合目にあり、「本社」「若宮」「岩戸権現」とも呼ばれる。祭神は国常立尊・大己貴命・少彦名命。
十二大権現四合目下にあり、祭神は木花開耶姫命。
八海山神社五合目にあり、祭神は国狭槌尊。
三笠山神社七合目、三笠山頂上にあり、祭神は豊斟停尊。
田ノ原大黒天(たのはらだいこくてん)七合目にあり祭神は大国主命
頂上奥社 木曽御嶽山王滝口頂上にあり、祭神は国常立尊・大己貴命・少彦名命。

御嶽神社王滝口の里宮にある社殿社務所 別殿社務所・一合目
里宮社務所・一合目
里宮拝殿・一合目
八海山社務所・五合目
田の原社務所・七合目
遙拝所社務所・七合目
頂上社務所・木曽御嶽山王滝口頂上

長野県木曽郡王滝村3315番地 別殿(滝旅館内)
     
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風と空と雲と・・・・・・・
御朱印
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