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 2月4日  時間の過ぎるのはなんと早いものか?

昨夜父の夢を見た。

父との約束は・・どんなことを言われても言い訳をしないこと・・

父も自分の父親を若い時に失くしている。かなり苦労をしてその時代を生きてきたようである。

人知れない苦労と努力をしてきたのだろう。

私が子供のころをおぼろげに思い出した頃の父は働く人であった。

記憶の中に製茶業をすでにしていたころの父の姿しか覚えがない。

朝早くから夜遅くまで働く背中がそこに在った。

父と過ごした時間は長く・・・それなりに多くのことを教えてもらったように思う。

体を壊してからの父は弱々しかったけれど私にとってはそこにいるだけで父の存在が大きかったように思う。

父の過ごして来た時代 母との苦労した時代 ・・・・子供には恵まてなかった父ではあるがもっともっと長生きをしてほしいとおもう時間があった。

私もすでに父の年を越えて・・・でもいつも父の背中を追っているように思う。

この父の子であったこと本当に感謝して この先も父の背中を心の中に抱いていきたい。

父との約束は口惜しいこともあった、悲しい時もあった。だがそこに父らしい考えがあったのかもしれない。

夢の中の父は何も語らないけれどいつも温かい目をして私を見ているように感じられる。

今少し 見守って欲しいと思う。
 1月末日  心の置き所

人は取り留めもなく自分の価値観や存在意義を主張する。

そこに在るのは虚栄心や自己アピ-るの何物でもない。

人間とは悲しい息もである。何らかの形で自分の存在意義を持とうとする。

人の在り方が問題なのか生き方が問題なのか・・・・

人としてあるべき姿をどこに持つか?

いいじゃないか いずれは朽ちて 風に飛ばされる見なれば・・・・あるがままの豊かな時間の中に身を置くことこそがすべての自由ではないか。

風のように 雲のように 水の流れのように   捉われることなく自然でいることの尊さを見出すことこそが何よりも豊かなのではないか。

  所詮 人間なんてものは・・・・・

どんなに足搔いても 人一人が生きていくことの限りには大したものはない。

自分の分を知り 自分の生き方が正しいと信じて歩む・・・それが正しいかは未定に・・・・

どんなに頑張っても両手の中の命はすくっただけの量しかない。

愚かな人間ほどよくにあえぎ 心貧しきものほど欲の中を生きる

ほんのわずかな命をそれほどまでにして生きる意味はあるのだろうか。

我の一歩  その一歩は取り返す事の出来ない日々の刻み。明日という日は帰らない 永遠の命などない。

いずれは枯れてこの大地の土となる。

それほど遠くない日に・・・・だからこそ 今を大切に 今何をすべきかを迷わない様に・・・・

自分を生きる。 

   人はそれぞれ・・・だから 祖の数だけ生き方がある。

多くの人が自分の生き方に迷う・・それは自然であり必然に違いない。

人の生き方に気をとられて 様々な批判をし良きにつけ悪しきにつけうわさ話に花をさかせる。

人はそれぞれ・・様残な生き方をし己の選択に迷いない生き方などはしない。

その中で迷い苦しみながら自分の生き方にたどり着く。

迷いも又 よし  苦しみも又 よし

人を揶揄する時間があるのであれば自分の生き方を確かな判断により近く生きたほうが良い。

人と比べることなく 人に惑わされることなく・・・人は様々
 1月某日 思い込み・・!!

多くの人は思い込みが強い・・・私がネットの中にレシピを書いているだけで料理が好きと思う。

またほかの趣味に抱けていればそれが好きという。

嫌いではないけれどそれ程  好きかという言葉に反応はできないよう縫い思う。

私の仕事の一部分でしかないことが多いから・・・なくてもいいこと 有ってもいいこと  位のことなのではないかと思う。

多くの人は 遣ればできる 只やらないだけ。

出来ないことと 遣ればできるかもしれないことは違う。  只それだけの事。

私自身の瀬克の中にも できないことは山のようにあり 遣ってみたいけれどやtれないことも山のようにある。

自分の生活の一部ならば少しだけ時間を割けばできることもある。

他愛無いこと・・・

だが多くの人は思い込み その羽部示唆にあきれる。

好きなんだねと・・・???

それは私にもわからないけれど その言葉が的確化と言えば当たらないように思う。

思い込みによってその人の評価をするのは良くない。

どこまで 私のことがわかるのだろうかと疑問を持つ。
 
自分と向き合う

このことを忘れることなく時を刻んでいく 今何が何が必要なのか・・・何をしなくてはいけないか・・・・

正しい目をもって 自分を映す鏡を持ち正しいあり方を問いながらこれからの時間を過ごしていきたい。

時を止めることはできない、自分の時の終わりを迎えるまでが私自身の時であり 生き方の時間なのだから正しく前を向いて歩かなければならない。

今は人生の大半が過ぎ 余すところわずかになる。

自分が向かう先は知れている。だからこそわずかばかりの時間を無駄に過ごしてはならない。

この青い星が病んでいるように 多くの人がこの大地の上で病んでいる。

この自然が病んでいるように 身近のすべての自然も壊れていくように感じる。

自分だけならという些細な気持ちを捨てよう。

この自然を愛して この有るがままの風景を愛して 壊すことで失うことの多いことを肝に銘じていこう。

豊かな自然 この大地の上でわずかばかりの命をつないでいる人間が思いもすることなく豊かさを壊している。

鳥の声も小川の音も 風のうなりや木々のざわめきも 思い上がりだけで壊れていく。

気が付ける人がどれだけいるのか・・・壊れたものは戻らない。

失うものの大きさを知る事の出来ない人も又多い。

悲しい叫び  それは自然の崩壊

大きな自然が引き起こす大雨や洪水や嵐や・・・・・・人はそのすべてを受け入れなければならない。

自分たちが壊した自然の叫びを・・・・・ 

 1月9日  2017年が明けてあれよあれよという間に日がたつ

やっと机の前に座る。

今年も変わらずに自分と向き合う時間をたくさん執るように心がけたい。

自分らしく ありのままに 有るがままに 穏やかな日々を送ること。

両手を子供のように大きく広げて好奇心いっぱいに歩いていこう。

雲のように優しく 水のように高き~低きに 風のように時には強く 時には荒々しく そして包むように優しく

今生きる時を大切に歩んでいく。