フ     ッ
   
   
 8月22日  昨日母は小諸に・・・・

何十年振りだろうか・母との時間がゆっくりと流れていく。

昔の記憶のペ-ジをめくるかのように 懐かしい思い出を話す。

長い時間の過ぎた記憶 母の記憶は鮮明に時をさかのぼっていく。

こんな時間を持つ事のなかったことが少し残念に思える。

家族の時間を数えるように 飛び石を超えていくように記憶が展開していく。

それは母にとって父との時間であり 私や妹との時間でもある。

私にとっては子供のころの母の記憶  母はいつも家にいない人であった。

仕事の忙しい家に母の姿はなく いつも一人で過ごしていたように思う。 母との会話をとりとめもなくする時間も無かったように思う。

子供のころは家の周りの子供たちは皆男の子ばかりだった。一人遊びが多かったように思う。

何より好きだったことは本を読むこと・・・ひたすら余る時間もなく本を読んだ。

母はいつ仕事から帰り いつ仕事に出ていったのかも思い出すことはできない。

父も祖母もそのように思う。

あの多忙の時間を 母との時間と重ねてもそれらしい記憶がないことは・・・少し寂しいように思う。

たぶん  母にとっても私と過ごした子供のころの記憶は無いであろう。

覚えているのは・・・・幼稚園のころだと思うが遠足に行った。三島の楽寿園・・・・そこで母と逸れて迷子になった事

運動会でお昼の時間におでんを買ってもらった記憶

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・思い出すことが無い。

母は忙しく ただただひたすら忙しい人であった。

90歳・・・・元気でいてくれることが何よりも感謝である。
 6月21日  母の手を握れば皴いっぱいの柔らかな手である。

家を支え 父を支え 姑に仕えた長い時間がこの手に有るのか。

数年前に 母と東京オリンピックを二人で見る約束をした。

加齢はまして 老人性の痴呆もあるがそれなりにまだまだ元気である。

自分の物忘れが気になるようで・・・随分と気にしているが・・・

長時間の移動も疲れようだが この貴重な時間を大切に過ごしたい。

私の中の母との時間を 新しい記憶に焼き付けておきたい。
 8月  8月も18日…月日の流れるのは早い。

庭の改修を始めてずいぶん経つ・3ヵ月が過ぎるかな?

バラを鉢に取り始めても3週間ほどが経つ、その間に様々な仕事があり 草むしりがあり 中々はかどらないけれど この単調な時間がたまらなく良い。

自分の描いた絵のように作り上げていく時間は掛けがえのない時間に思える。

人手を頼めば何十分の一なのかもしれないけれど 1本1本の草花の思いが感じられそうな気がする。

昨年は樹木の生い茂った庭 業者の方に大型重機で伐採をしてもらい・・・太陽の当たる庭になる。

今年は草むしりから始まった庭 見事な草原になった。草むしりが延々と続く・・・・その時間もまたよい。

バラを植え そのバラを大型の鉢に取り 庭の構成を始めてまた描く時間がある。

日々の煩わしさからほんの少し 心の自由を味わう時間 何よりも土のにおい 草のにおい ・・・・・・・・・・・・・・遠い子供のころの記憶が帰ってくる。

農家で会った実家の懐かしい思い出 あの頃の風景がにおいの中で揺れる。

そこには家族の顔があり 様々な時間の流れの中で過ごして来た私自身の時間でもある。

過ぎてきた時 失う時間 消えていく時間

この土の香りの中で そんな思い出に少しだけ浸りながら過ごす・・・・・

玄関から広がる土間の薄暗い光 その向こうに母の笑顔が見えた。

その母も89歳の老いを迎えている。 私は母の背中を追う。

思い出はいつまでも尽きず 母の背中を追う。
   小諸は雨の少ない年となった。

植えたバラたちもしんどそうに見える。

毎日の水やりが空気もしっとりと 花たちの色を楽しんで過ごす。

多くの地域に豪雨災害のニュ-スが流れているが 個々はほとんど降水量が少ない。

野菜の高騰が伝えられている。

昨年庭の樹木をすべて切り・・・今年は広がりを見せた庭の草は 元気いっぱいで抜いても抜いても復活してくる有様である。

2週間前くらいからバラを植えたものを鉢上げして草胎児をすることにしたが・・・・あまりに数が多くてまだ完結していない。

草退治には今少し  いやいやかなりの時間が必要なように思う。

おかげでかなり重症な腱鞘炎になる。

除草剤を撒けない・・・・大地が散皮を蓄えられなくなってしまうから・・・・・頑張って草むしりをしょう。

 8月7日  少し前まで雨が降っていた。

月がその雨の激しさを感じさせないくらい透明な美しい光をたたえている。

明日は母が富士に帰る。 何ともしがたい思いである。

少しずつではあるが老人性の痴呆がみられる。母との時間を大切にと思う。

母とつないだ手は皴の多い筋ばった手 長い間 家のために働いて母の人生を見るようである。

今は できる限りこの母との時間を共有したい。

母の顔もほりの深くなったまなざしが愛おしいように感じてならない。

母の笑顔 母のしぐさ  中天の輝く月のように優しさに満ち溢れている。

何時までも元気でいてほしいと願うばかりだ。

見上げる月は柔らかく 満月には少し早い姿を映す。
   
   
 7月30日  ひと月以上も個々のペ-ジに訪れる時間もなく過ぎた。

大地との格闘は今少し続きそうだ。

おかげで極度の腱鞘炎になり ドクタ-ストップなのだ。手が使えないことは苦痛だ。

雨が降るごとに草は大きくなっていく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・