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 6月11日  再び相談をかける

何故という問いかけが多い。

自分自身にかかわりないことに関してなぜそんなにかかわりを持とうとするのか?

利益・不利益がそこに存在するのか?

又は そこに自分が大きくかかわっているのか?

かかわりのないことに 己からかかわることは少なくとも良い結果には至らない。かかわりがなければ口を出してくる権利も存在しない。

何故ですか? その質問は限りなく続く・・・・・・
 6月9日  何故であろうか

人の意見を聞くという気持ちになれないのであろうか。

この問題に返事をしたはずなのに・・・自分の感情のままにぶつけてくる。

私なりに最善の方法をとったと思う・・・それには相談すべき人の意見を聞きよく考慮した様に思うが・・・・

どんなに考えてみても それを突き詰めても問題を解決する策にはならないのだ。

なぜならば 第三者が面白半分に言うことに対して どんなに抗議をしても根拠のない部分だけで成り立っているのだから 追及のしようがない。

犯罪までも行かない だからとほって置く事はかなわないにしても 単に嫌がらせなのだと思うしかないのかもしれない。

多くを問題として取り上げていく根拠にはならない 確たる被害が発生しているのではない。それが事実。

識者は言う「世間にはこんなことは往々にしてある こちらが騒げば騒ぐほど面白がり その行為は増長をする。賢く 障りなく己からそのラインを切ることが賢明」と聞く。

何らかの犯罪に書か有るのであれば別であるが あえて己からその渦中に入っても 何の益もないということ。

生きていくうえで 己一人が感情に任せて走ってみても それを取り巻くべき環境には予期しない出来事が起きてくる。

様々なことを正しく判断したほうが良いかと思うのだが・・・・・
 6月4日  自己嫌悪・・・・自分のはっした言葉にいくらかでも 心無い気持ちがあればそんな思いに駆られるのかもしれない。

今まで「話さない」という言葉を人に言ったことはないが・・・・この気持ちをいかにもしがたいことであった。

それだけの積み重ねられた許せない思いと 何度も解決の糸口を探したにもかかわらずそれはかなわないという思いからなのか・・・大人げない表現かもしれないが 今の私には自分の思い
をどのように決着をつけたらよいのかさえ 思い悩んでいることが現実である。

この ことが結局はお互いのためなのかもしれない。

受け入れる気持ちのないものを如何に話し合いを持っても 解決はしないであろう。

だがそこにはやはり 自己嫌悪という感情を持つ自分もいるのが現実だ。

この先も相容れる事の出来ないであろうこと・・・・なぜか無性に悲しくもある。

今少し時間がこの地震の中のいら立ちに落ち着きを取り戻すまで時間が必要である。
 6月  月日の流れるのは早い・・・書きたい事は思い出すごとにあるのだが PCの前に座る時間がない。

今しばらく大地との格闘が続く・・・・・
   
   
 5月  中々このペ-ジを書き込みに来れない。

今しばらく大地との格闘が続く予定・・・涼しくなるまでひと時お休みになりそうだ。