フ     ッ
   
   記憶の中に・・・・・・

何時であったか・・・随分と前のように思うが・・・・・

彼女から発せられた言葉はずいぶんと棘がある言葉を聞いた。

その後も・・・いくつかの記憶がある。

私の中でいつも 何かがあればその記憶がよみがえるのは 消えることのない悲しみかもしれない。

同じように 彼女も母に対してそんなことを言ってるのだろうか?

母の記憶をたどれば すべてが彼女や子供たちに注がれているはずのように思われる。

どんな時も そこを優先させて彼女のために・・・その思いで溢れていたように思える。

それは・・・・いくつかの心無い言葉によって消えてしまうほどの悲しみを今は満たしている。

母は記憶の中でその頃の思いを話す・・・・それだけ悲しみも深いのだろうか!!
   久しぶりの書き込みだ

中々 日々のことに追われて書き込みが遅れる。

母の心の内を推し量れば・・・・その悲しみ その口惜しさ その心の持って行き所・・・・

様々な思いがある・・・・話し合うことを以前は進めたが 聞く耳を持たなければ いかように模しがたいものがある。

母との時間の中で今までの過ぎた多くのことを問うてみたところで何もならないかもしれないが・・・それを今の母にぶちけてみたところで何になるのか・

何を言っても・・・お互いに言うが・・・・・・

話し合わなければ何も解決しない。

どこかでそんな単純なことをほどく機会さえも失ってしまったのだろうか?

人間はいくつもの思い違いや勘違いを繰り返すのだが話さなければその絡んだ糸もほぐれることはない。

様々なことは 話すことで心を解きほぐすのだが・・・お互いにそれをすることさえ避けれ歩む。

それでいいのだろうか?

私には その時間の流れが分からないが・・・私自身にもその言葉のいくつかが刺さる部分がある。

それは消えることのない痛みかもしれないが・・・・
 4月  季節が変わり 多忙な日が続く・・・更新がなかなかできない。

母の環境に変化があったようだ。知らされることのない変化は大きな心の痛みのようでもある。

だが 誰もが大人であるから・・・それを問うこともできない。
   ***なんと風邪を引いた。

何年振りだろうか・?  母がいるころは風邪をひく事さえ避けなければならない頃があった。

もう10年以上も風邪をひいていないように思う。

人間とはかく 脆く 他愛無く病に侵される。

それを繰り返しながら いつかは命の終わりを迎えるのだろう。

人は弱いものだ‥弱いから強い。

残された時間を柔らかく しなやかに生きていこう。風邪とも仲良く・・・!!
   記憶の中に・・・・・

過ぎた時間の中で すべてが修正の出来ないことなどないはずなのだ。

誰にも幾つもの思いを抱いて時間の中にある。

記憶だけが・・生きた時間をたどれるのであれば その記憶の中の自分を時には鏡に映すことができないのだろうか?

幾つもの疑問が私の心の中をめぐる。

何故という言葉だけが心を占めてやまない。

この年になり 残された時間を思えば心の中にたまった思いだけはつてなければ 絆を結んだ者同士心の闇を抱えて過ごすことになる。

自分の生き方がすべて正しいものなどいない・・・それでいいい。

だから人間は振り返ることができる。

だから差し伸べられた手を重ねることもできる。

そんな時間を取り戻すことができることを願うばかりだ。
  記憶の迷い

何処で掛け間違えたのか?思い出すことができないほど・・・・それは時間の中にあるように思う。

同じ時間を過ごしたように・・・同じ空気を吸ってきたように・・・・ 唯々そんな思いを感じている。

だがそれぞれにそれぞれの時間が食い違っていたことに今気が付く。

どんなに何故と言っても 私には答えが出すことができない。

お互いが知らない時間は沢山ある・・・その知らない時間の中で様々な出来事があったに違いない。

そしてその食い違いを解決することもなく心の痛みや傷を抱きながら過ごして来たのだろうか?

思い思いの時間の中で食い違いは大きくなり 歩む道も異なる歩み方になったのだろうか?

何が正しく  何が間違いなのか・・・

今となってはそれも他dすことができないのだろうか・・・

食い違ったことよりも・・それを正す事の出来ないことが心痛い。

幾つも間違うこともある いくつも思い違いもあるだろう・・・どこかで受け入れる事 どこかでその思いを伝えることができないのだろうか?

かたくなな心を解きほぐすことは今になれば不可能なのか?

諦めだけが選択だとは信じたくない。
   記憶の悲しみ

子供のころは大きな背中を見て育つ・・・

その背中に宿る深い悲しみを私は忘れない。

母のない寂しさと悲しみに満たされていた・・・それは年を経て今なお思い出から消えないようだ。

過ぎた日々を鮮明に覚え その中で幾つもの山谷を超えてきた。

その背中には屋はいつまでたっても悲しさと寂しさが混在してきたのかもしれない。

私は知ったのはいつのころだったのか?はっきりと記憶にはないが知らないうちに時折感じるその思いを知る機会があった。

それは 心の底に深く沈殿して私には取り除くすべもない。

年を経るごとに様々な悲しみと喜びを交えて年月は過ぎたが・・・・いつしか再び蘇った悲しみは消すことはできないようだ。

齢 90歳の年月の中でその時はやさしさに包まれていたことだろう。

今 私はその思いにこたえてあげることができるのだろうか?

笑顔は優しく 慈悲溢れるように温かい この手のひらに豊かな時を与え続けいていきたい思いがする。

そのひかりに包まれて私はここにいる。 その人生を与えられたことに感謝をしながら 今ある自分を誇りに思う。

この手の皴に 恥じないようにいきよう。
 3月  後悔 先に立たずという

後悔などしないように生きればよいのだが 人間は雑な思いを沢山抱えて生きている。

その中で幾つのも 後悔を重ねて・・・飽きもせずになお重ねながら生きる。

私自身の中にも幾つも思い当たる後悔の山がある。

その中で失うもの…捨てるもの・・・そして巡り合うことの二度とかなわないものがある。

捨てたものは巡り合うことはかなわない。 それは後悔という言葉とはまた違う思いがある。

失ったものは覚悟があった。

二度と拾えない思いもある。

そのどれもが生きた証の中にしこりの様に また 傷のように有る。

思うことは 今その思いに確かな思いを抱いて まっすぐに向き合っていこうと思うこと。

そのすべてのことが私自身を育てた。

様々な思いがあるが この思いの中であと少しの時間をまっすぐに進んでいこと思う。