東日本大震災後、日本全国の13火山が活発化




日本の気象庁などは26日、東日本大震災後、周辺で地震活動が活発になった活火山が少なくとも全国に13カ所あることを明らかにした。専門家は、「1~2カ月は注意深く観測する必要がある」としている。

地震の増加が観測されたのは、関東と中部では日光白根山、富士山、箱根山、焼岳、乗鞍岳、伊豆大島、新島、神津島、九州では鶴見岳・伽藍岳、九重山、、阿蘇山、南西諸島では中之島、諏訪之瀬島。

これらの地域の大半で、11日の大地震直後に地震が増えた。翌日は収まったが、箱根山、焼岳、富士山の周辺では25日現在も地震活動が続いている。

静岡大学の小山真人教授は、「巨大地震により、一部の地域は地殻のひずみが解放された一方で、他の地域のひずみは蓄積され、東日本全体の地殻の状態が不安定になってしまった」と警鐘を鳴らしている。
                                     浅間山  ライブカメラ
 http://orange.zero.jp/zad23743.oak/livecam/asama.htm                   LiveCam JAPAN 浅間山
 http://live.ueda.ne.jp/asama.html                                UCVライブカメラ
 http://homepage2.nifty.com/ma0011/livecamera.htm                    軽井沢周辺のライブカメラ
 http://www.seisvol.kishou.go.jp/vo/32.php                           気象庁
 http://www.ktr.mlit.go.jp/tonesui/camera/asama/index.htm                国土交通省 利根川水系砂防事務所
 http://bousai.maechan.net/volcano/asama/                         浅間山アーカイブページ     まえちゃんねっと
 http://www.city.saku.nagano.jp/system_shisetu/livecam/livecam.html           佐久市ライブカメラ
 http://www.kitakaruizawa.net/                                  北軽井沢ネットワーク
 http://www.sakuken-asama.jp/                                  佐久建設事務所 浅間山監視カメラ映像
 http://www.d3.dion.ne.jp/~snowro/yamalive.htm                        ヤン坊 マー坊 天気予報
 http://www.geocities.jp/az_prolog/webcam/webcam2/                    浅間山ライブカメラ
 ametan.com/view/y03.htm                                    l山を映すライブカメラ
 http://www.ken-labo.com/asama/                                浅間山加工可視ライブカメラ画像アーカイブ
http://www.mlit.go.jp/road/roadinfo/  国土交通省 交通規制・道路気象
 http://www.river.go.jp/  国土交通省 川の防災情報
 http://www.mlit.go.jp/river/sabo/index.html  国土交通省 砂防部 土砂災害にそなえて
 http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/volcano.html  気象庁 火山の資料
 http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/volcano/900/ 火山情報 - 全国の活火山
 http://www.pref.nagano.lg.jp/kikikan/bosai.htm  長野県website信州  長野県公式ホームページ<防災のページ>
 http://www.pref.shizuoka.jp/kinkyu/ ふじのくに   静岡県公式ホームページ<緊急・危機管理情報/県内気象情報のご案内>
 http://typhoon.yahoo.co.jp/weather/jp/emergency/  緊急・被害状況
 噴火警報・予報

過去に発表した噴火警報・予報 地図表示 火山の状況に関する解説情報

説明へ 噴火警報・予報 キーワード 火山名 発表日時
火口周辺警報 噴火警戒レベル3(入山規制) 桜島 平成24年03月21日11時00分
火口周辺警報 噴火警戒レベル3(入山規制) 霧島山(新燃岳) 平成23年03月22日17時00分
火口周辺警報 噴火警戒レベル2(火口周辺規制) 三宅島 平成20年03月31日10時00分
火口周辺警報 噴火警戒レベル2(火口周辺規制) 諏訪之瀬島 平成19年12月01日10時06分
火口周辺警報 噴火警戒レベル2(火口周辺規制) 薩摩硫黄島 平成19年12月01日10時04分
火口周辺警報 火口周辺危険 硫黄島 平成19年12月01日10時01分
噴火警報 周辺海域警戒 福徳岡ノ場 平成19年12月01日10時02分

噴火警報は、居住地域や火口周辺に影響が及ぶ噴火の発生が予想された場合に、予想される影響範囲を付した名称で発表されます。
噴火予報は、噴火警報を解除する場合や、火山活動が静穏(平常)な状態が続くことをお知らせする場合に発表されます。各火山の最新の噴火警報を表示しています。噴火予報は、過去1ヶ月以内に発表された最新のものを表示しています。
 噴火警報、噴火予報の説明
 気象庁は、平成19年12月1日より噴火災害軽減のため噴火警報及び噴火予報の発表を開始しました。噴火警報及び噴火予報は、全国の活火山を対象とし、火山毎に警戒等を必要とする市区町村を明示して発表します。
 このうち噴火警報は、居住地域や火口周辺に影響が及ぶ噴火の発生が予想された場合に、予想される影響範囲を付した名称で発表されます。 噴火警報は報道機関、都道府県、市町村等を通じて住民の皆さんにお知らせされます。噴火予報は、噴火警報を解除する場合や、火山活動が静穏(平常)な状態が続くことをお知らせする場合に発表されます。
 また、噴火警戒レベルを導入した火山では、噴火警報及び噴火予報で噴火警戒レベルを発表します。


 ※火山性地震の回数等火山活動状況をお知らせする場合は、新設された「火山の状況に関する解説情報」で発表します。
 富士火山  
約70万年前~20万年前、現在の富士火山の位置には小御岳火山と呼ばれる火山が活動していました。同時にその南側には愛鷹火山が形成されました。約8万年前、小御岳火山の南斜面から噴火が始まり、約1万5千年前までに何百回と噴火を繰り返し、古富士火山が形成されました。古富士火山の活動期には、大量のスコリア、溶岩流、火砕流を噴出し、また、山体崩壊による泥流も発生しています。山麓にはこの時期の泥流堆積物が見られます(白糸の滝の不透水層など)。その後、約1万年前から新富士火山の活動が始まりました。約1万年前から7千年前、新富士火山では粘性の低い大量の溶岩流を噴出しました。このときの溶岩流は、南側は富士市や三島市まで、北側は大月市猿橋付近まで流れ下っています。その後も新富士火山ではスコリアや溶岩流の噴出を繰り返し、山麓部に流下した溶岩流によって富士五湖が形成されました。また、新富士火山でも約2500年に東側斜面で山体崩壊が起こり、岩屑なだれが発生しています(御殿場岩屑なだれ堆積物)。

1707年(宝永4年)噴火
宝永4年の噴火は、富士火山の南東斜面(宝永第1~第3火口)から噴火が起こり、11月23日~12月8日の約半月間続きました。当時富士山は雪に覆われていて、高温の噴出物による融雪による泥流が発生して南東山麓の集落に甚大な被害を与えました。噴火によって吹き上げられた噴出物(軽石、スコリア、火山灰:宝永スコリアと呼ばれています)は、山麓部の須走村で一丈(約180cm)降り積もり、遠く江戸の町まで到達したことが古文書に記録されています。現在でも、東京近郊の遺跡の土壌中や、東京湾や霞ヶ浦の堆積物の間には宝永スコリア層が見つかることがあります。

.噴火様式と噴火災害の特徴
有史以来、富士火山は約10年から200年の噴火間隙で繰り返し噴火をしています。噴火ではスコリアや火山灰を空中高く噴出し、偏西風に乗った火山灰は遠く東方向に運ばれます。宝永噴火の後、富士山東部の御殿場周辺や神奈川県西部では、耕作地が甚大な被害を受けました。場合によっては溶岩流や火砕流が発生することもあり、火口付近では直径数メートルにも達する岩塊や火山弾が降ることがあります。富士山では山頂火口だけでなく、側火山(側火口)からも噴火が起こり、宝永噴火の噴火口や大室山、二ツ山など100個以上の側火山が分布しています。

 伊豆東部火山群

伊豆半島東部   標 高 580m(大室山)
 伊豆東部火山群は、伊豆半島東部の陸上に分布する多数のスコリア丘、溶岩流、溶岩ドーム、火砕流台地、マール、タフリング等の単成火山と相模湾の海底に分布する海底火山群の総称です。陸上部の単成火山群を「東伊豆単成火山群」、海底火山群を「東伊豆沖海底火山群」と分けて呼ぶ場合もあります。伊豆東部火山群には陸上部で70以上、海底部に30以上の火山があり、個々の火山は一度の噴火だけで活動を終える「単成火山」です。

伊豆東部火山群のうち、陸上部の東伊豆単成火山群の活動は、約14万年前に天城山の稜線上にある遠笠山の活動から始まりました。13万年前には、大仁町南部から伊東市北部にまたがる高塚山-巣雲山火山列が活動しました。10万年前には、伊東市の南部の一碧湖を中心に北西-南東方向の火口列での活動がありました。9万年以降には、伊豆半島中部から東部にかけてのいたる所で噴火活動が起こり、河津町の登り尾南火山、中伊豆町の地蔵堂火山、天城湯ヶ島町の鉢窪火山等が活動しました。約5000年前には伊東市の大室山火山が噴火し、大量の溶岩を噴出しました(現在の伊豆高原を作った溶岩)。約3200年前には天城山の山頂付近(カワゴ平)で爆発的な噴火がおこりました。約2700年前には、天城山の北東斜面で活動が始まり、岩ノ山、矢筈山、伊雄山を結ぶ北西-南東方向の火山列が作られました。その後、1989年の手石海丘の活動に至るまで、伊豆半島東部では火山噴火がない時代が続きました。

最近の噴火活動
カワゴ平の噴火活動(約3200年前)
天城山の山頂から西に約3kmほどの北側斜面にカワゴ平という比較的なだらかな地形があります。ここは、約3200年前の爆発的な噴火の跡です。このときの噴火活動は当然、歴史記録には残っていませんが、噴出物の詳細な研究や、14C年代測定等による研究から次のような活動であったと推定されています。噴火はまず軽石を噴出する活動から始まり、伊豆半島の広い範囲に軽石が降りました。続いて何度も火砕流が発生し、火砕流は北側の谷沿いを流下して中伊豆町筏場付近を埋め尽くしました。火口や火砕流から吹き上げられた火山灰は遠くは浜名湖まで到達しました。最後に厚い溶岩流が火口から北に向かって流下し、現在のカワゴ平の平坦面を作りました。

1989年(平成元年)の噴火
6月30日より伊東市の東方沖で群発地震が発生し、7月4日9:00頃からその頻度が急増して有感地震も感じられるようになりました。その後、地震回数は増減を繰り返し、7月11日からは火山性微動が観測されるようになりました。7月13日18時33分、海上に水面の盛上り、水柱、噴煙が上がり海底噴火が始まりました。この噴火は数十次にわたって繰り返され、海底にはそれまで無かった新しい海底火山(伊豆半島東方沖火山:手石海丘)ができました。翌、14日早朝に伊東市付近の海岸には玄武岩質溶岩が付着した多数の軽石が漂着しました。

.噴火様式と噴火災害の特徴
伊豆東部火山群では、最近約2700年間は陸上での噴火活動は発生していませんが、海底では前述の手石海丘の活動がつい最近あったばかりです。また、基本的に単成火山の活動であるために、次の噴火活動の位置は特定できません。しかし、噴火の前兆現象として、群発地震や火山性の微動、地形の変化(歪み形や伸縮計などの観測データ)等が見られることから、活動の直前にはだいたいの位置は特定できるものと考えられます。 もし、陸上で噴火が発生した場合には、スコリア・軽石の噴出や、溶岩流の流下、溶岩ドームの成長、場合によっては火砕流、マグマ水蒸気爆発などの活動が考えられます。また、風下側では降灰による被害も考えられます。海底での噴火が起こった場合には、海底噴火に巻き込まれないように海上の船舶は十分注意する必要があります。

 伊豆大島伊豆諸島北部 .伊豆大島火山
伊豆七島の最北端に位置する伊豆大島は、北北西-南南東に延びた長径15km、短径9kmの楕円形をした七島中最大の火山島です。島の中央部には直径3~4kmのカルデラがあり、カルデラの南東部には現在活動の活発な中央火口丘(三原山)があります。三原山の山頂には直径300mの三原山火口があります。伊豆大島の噴火活動は歴史時代にも多く記録されていて、特に三原山火口の噴火は「御神火」と呼ばれ、古くから大島観光の目玉となっています。


伊豆大島火山は、およそ3万年前に海面上にその姿を現し、100~数100年間隔で爆発的噴火を繰り返しながら山体を成長させてきました。伊豆大島火山が形成される以前、この場所には岡田火山、行者窟火山、筆島火山の3つの火山体があり、現在の伊豆大島はそれぞれの火山を覆うように成長しました。約8500年前と約1450年前には山体崩壊が起こり、岩屑なだれが発生しました。現在見られるカルデラは1450年前の山体崩壊の跡と考えられています。


伊豆大島の噴火活動では、三原山火口で噴火が起きる中心噴火と、山体斜面の割れ目火口や側火口から噴火が起こる側噴火が起こっています。最新の噴火活動である1986年~1987年噴火では、その両方が発生しました。

昭和61年(1986年)噴火
1986年の噴火は11月15日から三原山火口(A火口)から溶岩噴泉を上げる噴火が始まり(写真参照)、火口には溶岩が貯まって、カルデラに向かって流れ出しました。その後、6日間は報道ヘリが大島上空を飛び回り、テレビ局のカメラがカルデラ壁の御神火茶屋周辺にならび、久しぶりの御神火を見ようと多く御観光客が伊豆大島につめかけました。11月21日16時15分から噴火活動は劇的に変化しました。突然、カルデラ内に割れ目火口(B火口列)ができ、爆発的な側噴火が始まりました。割れ目火口からは溶岩噴泉と風下側にはスコリアが大量に降り注ぎ、溶岩流がカルデラ内を流下しました。このときの火山灰は、海を隔て房総半島の館山にもとどきました。御神火茶屋周辺ではすぐに避難命令が出て、人々は元町へ向けて避難を開始しました。御神火茶屋から元町に下る道路の途中、道路の路面に亀裂が入り、段差ができていているところがありましたが、何とか自動車が越えられる段差だったので皆無事に避難できました。その後、17時45分から、カルデラ壁の外側(まさに道路に亀裂があった辺りから)に新しい割れ目火口(C火口列)が発生し、溶岩噴泉と溶岩流を噴出しました。C火口列からの溶岩流は元町方向に流下していきました。C火口列は徐々に麓の方に延びていったので(実際には標高300m付近までで割れ目の拡大は止まりました。)、マグマが地下水や海水と接触して激しい爆発を起こすマグマ水蒸気爆発の危険性も考えられ、大島町全島に避難命令が出されました。

5.噴火様式と噴火災害の特徴
伊豆大島火山の噴火には、三原山火口からの中心噴火と側火口や割れ目火口からの側噴火の2種類があります。いずれの場合も火口から溶岩噴泉を上げ、火口周辺には岩塊や火山弾を、風下側にはスコリアや火山灰を降らせます。スコリアや火山灰は農作物や牧草に大きな被害を与えます。また、地形の低い方向には溶岩流が流れ下ります。標高の低いところや海の中に火口ができると、マグマ水蒸気爆発となって、爆発的な噴火を起こすこともあります(伊豆大島南東端の波浮漁港は9世紀のマグマ水蒸気爆発でできた火口(マール)です)。
 三宅島 伊豆諸島中部  三宅島火山
三宅島は東京から南に約200kmの伊豆諸島に位置する火山島で、海面より上では、ほぼ円形に近い直径約8kmの山体を形成しています。以前は、山頂の雄山を中心に外側に直径約4kmの桑木平カルデラ、内側に直径約1.8kmの八丁平カルデラがありましたが、2000年6月からの一連の噴火活動で、雄山を中心に陥没が発生し、直径約1.6kmのカルデラが形成され、八丁平カルデラの輪郭はほぼ失われました。山腹には数多くの側火口も見られます。
三宅島火山は大島火山と同様、激しい火山活動を断続的に繰り返していて、最近では1983年に割れ目噴火による噴火活動で大きな被害がでました。また、2000年6月末には島の西側海岸近くで小規模の海底噴火に続き、山頂火口で噴火と陥没を繰りかえしました。降灰や土石流、山頂火口からの大量の火山ガスの放出による危険により、全島避難が行われ、島民の島への帰還は未だ果たされておりません(2003年4月現在)。


三宅島火山の活動は、後期更新世になって海中噴火で始まり、火山砕屑物と溶岩流を噴出し、およそ1万年前までには成層火山を形成したと考えられます(主成層火山の形成)。主成層火山の形成後の最近1万年の活動は、1万年から4000年前までの大船渡期(活動の不活発な7000~4000年前を含む)、4000年前から2500年前までの坪田期、2500年前から15世紀以前までの雄山期(12世紀半ばから300年あまりの休止期を含む)、15世紀以降の新澪期の4つの活動期に区分されています(津久井ほか、2001)。また、三宅島の噴火は古文書などの古記録に残っており、記録されている噴火だけでも14回もあります。


1983年(昭和58年)の噴火
1983年10月3日~4日にかけて三宅島の南西麓におよそ4.5kmの割れ目火口群が開き、噴火が始まりました。初めに山頂側の割れ目火口群から溶岩噴泉とそれに伴うスコリアが噴出し、時間を追って活動の中心は相対的に海岸に向かって移動しました。海岸付近では、マグマが水と接触してマグマ水蒸気爆発を起こす激しい噴火となりました。割れ目火口群の東側には火山灰やスコリア、火山弾が降下し、坪田地区では堆積物が数十cmつもりました。割れ目火口群の西側には、数本の溶岩流が流下して、道路を寸断しました。そのうちの一つが海岸部の阿古地区へ流下して、400戸近い民家を押しつぶしたり、焼失させたりしましたが、幸いなことに人的被害はありませんでした。

三宅島2000年噴火 (ここでは、2006年4月までの活動について記述します)
2000年6月26日18時頃から島で地震活動が活発化し、傾斜計の変化が急速になりました。直ちに緊急火山情報が出され、島の西部の住民は頭部へ避難しました。地震域は島の西部へ移動し、さらに島外の西方海上へ移動したので、29日には避難が解除されました。27日午前中には島の西方沖で変色海域が認められ、その後の調査で、この変色海域の下で海底噴火が発生していたことがわかりました。7月4日から再び島内での地震が活発化し、7月8日午後6時40分過ぎに山頂の雄山で噴火が発生しました。翌日、上空からの観察などから、山頂に直径約800m程度の陥没が発生しているのが見られました。7月14日午前4時過ぎ、水蒸気爆発が断続的に発生し15日の昼過ぎまで継続しました。8月10日午前6時半頃、山頂の陥没火口から噴火が起こりました。この噴火の噴煙は高度約6kmに達し、北東側に火山灰の降灰をもたらしました。この噴火は、断続的に午前10時頃まで続きました。
8月18日午後5時過ぎに、それまでで最大の規模の噴火が始まりました。この噴火の噴煙は高度約15kmまで達し、全島に降灰がありました。また、多くの場所で噴石が降り、車のガラスが割れる被害がでましたが、人的な被害は皆無でした。この日の降灰は午後8時頃まで続き、噴煙の中へ航空機がつっこんだためにエンジンや機体に損傷を受けるという事故も発生しました。
8月29日午前4時半頃、噴火が始まりました。この時の噴煙は高度約4km程度までしか上昇せず、北東方向と南西方向に流れました。この噴火は午後5時半頃まで継続しました。8月中旬頃から、刺激臭などの報告が住民から寄せられ、気象庁の観測では9月初めから二酸化硫黄の放出量が増加していることが確認されました。
東京都と三宅村の両教育委員会は8月29日、小中高校の児童・生徒の避難を行うことを決めました。さらに、9月1日に東京都は、全島民を島外に避難させることを決め、9月2日~4日にかけて全島避難が行われました。
2000年中の活動では、噴火に伴う降灰は9月29日を最後に収まり、10月以降は有色噴煙が観察されなくなりました。2001年以降、各年の火山灰を伴う噴火活動があった日を整理すると以下の様になります。
2001年:3月19日、5月27日、6月3日、6月10日、9月26日~28日、10月11日、10月16日、11月1日。
2002年:1月23日、2月21日、6月15日、8月1日、9月16日、10月8日、11月24日。
2003年:3月28日。
2004年:11月30日、12月2日、12月8日、12月9日。
2005年:4月12日、5月18日。
2006年:2月17日。
二酸化硫黄の噴出量は2000年~2001年には8万t~1万tでしたが、時間とともに減少して2004年秋以降は0.2~0.5万t程度で推移し、依然として多い状態が続いています。2002年9月2日以降続いていた全島避難指示は2005年2月1日に解除され、2月2日には帰島第一陣が4年5ヶ月ぶりに三宅島に到着しました。

5.噴火様式と噴火災害の特徴
三宅島火山の最近の噴火は、主として山腹部の割れ目火口からの側噴火です。火口からは火山灰やスコリア、火山弾を放出し、風下側に堆積します。また、溶岩流は地形の低い方に向かって流下し、場合によっては海岸線まで達します。溶岩流のスピードはそれほど速くないので、人間が避難するには問題はありませんが、家屋や構造物、道路は大きな被害を受ける可能性があります。海岸付近に火口ができた場合には、地下水や海水と高温のマグマが接触して、マグマ水蒸気爆発という激しい噴火を起こし、非常に危険です。
火山情報
 焼岳 長野・岐阜県境  焼岳火山
長野県西部、岐阜県境に位置する焼岳火山は、穂高連峰の西穂高から連なる稜線上にできた火山です。その山頂部は溶岩ドームで形成され、山腹部には大きな浸食谷(ガリー)が刻まれています。焼岳の周辺には新穂高温泉、中ノ湯温泉、新平湯温泉など地熱地帯が分布していて、焼岳のすぐ南側に作られた安房トンネルの施工では、高温や温泉水の噴出など難工事が続出し、これを乗り越えてようやく開通することができました。また、大正4年の活動では、発生した泥流が梓川を堰き止めて、大正池を作ったことで有名です。


焼岳火山の活動開始の年代は、溶岩流のK-Ar年代測定から約15,000年前と考えられています。また、その後の活動では、西側流下した火砕流堆積物に含まれる炭化物からの14C年代測定から2500年前、2000年前、1500年前の活動があったとされています。焼岳火山はその成長に伴って火砕流、溶岩流、泥流、を何度も堆積させ、最上部に溶岩ドームを形成して今の山体を形作っています。


歴史時代に入ってからの焼岳火山の噴火記録は、1586年(天正13年)の火山泥流による下流集落の埋没の記録がありますが、これは火山噴火とは関係がない斜面崩壊によるものと考える見方もあります。近年の活動は、1915年(大正4年)の活動で、同年6月6日の噴火では山腹に南東方向の割れ目(大正火口)ができました。この活動では、泥流が発生して東側へ流下し、梓川を堰き止めました。その結果できたのが現在の景勝地である大正池です。しかし、その後の山腹部の浸食作用によって、大正池は年々埋積が進み、その姿を変えていっています。

.噴火様式と噴火災害の特徴
最近の噴火活動は水蒸気爆発が主体で、これに伴う降灰や噴石の降下が発生しています。1962年(昭和37年)には水蒸気爆発に伴う噴石で負傷者4名を出す災害が発生しています。また、泥流を発生する活動や、大量の降雨による泥流、土石流の発生も見られます。近年多くの観光客が訪れる上高地への途中に位置する焼岳火山は、その火山活動や斜面崩壊などの土石の流出には十分な注意を払う必要があります。
 草津白根山 群馬・長野県境  草津白根火山
草津白根火山は群馬県の北西部、吾妻川を挟んで南の浅間火山と相対する位置にある火山です。この火山は基盤山地の肩付近を噴出源とするために、非対称で東方向に延びた形をしています。比較的なだらかな山頂部には、白根山や本白根山等の火砕丘群が南北に並び、水釜、湯釜、涸釜などの火口がいくつも分布しています。また、東から南方向には安山岩質の溶岩流がいくつも流下していて、複雑な地形を呈しています。東側に流れた溶岩流(殺生溶岩)の末端の東側には、観光地としても有名な草津温泉郷があり、多くの人々に火山の恩恵を与えています。


草津白根火山の活動は、3つの活動期に区分されています(草津白根火山の活動史図を参照)。第1期の活動は、約60万年に形成された松尾沢火山の活動で、安山岩質溶岩と火山砕屑物を噴出して小型の成層火山を作りました。第2期の活動は、約55万年前~30万年前で、大規模な火砕流の噴出(太子(おおし)火砕流堆積物など)や厚い安山岩質溶岩を東から南方向に噴出しました。その後20~30万年間の活動の休止期を挟んで、約16,000年前から第3期の活動が始まりました。第3期の活動は主として山頂部での活動で、白根火砕丘や本白根火砕丘の単成火山を形成し、新期の溶岩流(殺生溶岩など)をやはり東から南方向に噴出しました。また、水釜や湯釜などの火口も第3期の活動で形成されました。


草津白根火山では、主として有毒ガス(硫化水素など)による災害が発生しています。また、山頂付近では、水蒸気爆発による建物被害や、死傷者が出た記録もあります。
1971年12月27日(昭和46年)火山ガス噴出 温泉ボーリングの掘削孔からの有毒ガスのガス漏れにより、6名が中毒死しました。
1976年(昭和51年)噴火
3月2日に水釜で小規模な水蒸気爆発が発生し、同年8月3日には本白根山白根沢(弁天沢)で滞留した火山ガスにより登山者が3名死亡しました。

.噴火様式と噴火災害の特徴
有史以後の噴火は山頂周辺でおきていて、水蒸気爆発による火山灰、噴石を噴出しています。また、山体の各所で硫黄の流出や、火山ガスの噴出があり、死者も出ています。草津温泉などでは、活動が活発化すると温泉の温度が上昇することもあります。泥流が発生した記録もあり、「草津白根山火山防災マップ」では、湯釜の火口壁が崩れて泥流がおきることも念頭に入れてハザードマップが作られています。