Patrimoine de l'humanite
シュトルーヴェの測地弧   ロシア シュトルーヴェの測地弧は、ベラルーシ、エストニア、フィンランド、ラトヴィア、リトアニア、ノルウェー、モルドヴァ、ロシア連邦、スウェーデン、ウクライナの10か国にまたがる正確な子午線の長さを測るために調査した地点である。現存するエストニアのタルトゥー天文台、フィンランドのアラトルニオ教会など34か所(ベラルーシ 5か所、エストニア 3か所、フィンランド 6か所、ラトヴィア 2か所、リトアニア 3か所、ノルウェー 4か所、モルドヴァ 1か所、ロシア連邦 2か所、スウェーデン 4か所、ウクライナ 4か所)の観測点群。シュトルーヴェの測地弧は、ドイツ系ロシア人の天文学者のヴィルヘルム・シュトルーヴェ(1793〜1864年 ドルパト大学天文学教授兼同天文台長)を中心に、1816〜1855年の約40年の歳月をかけて、ノルウェーのノース・ケープの近くのハンメルフェストから黒海のイズマイルまでの10か国、2820kmにわたって265か所の観測点を設定、地球の形や大きさを調査するのに使用された。シュトルーヴェは、北部で、ロシアの軍人カール・テナーは、南部で観測、この2つの異なった測定ユニットを連結し、最初の多国間の子午線孤となった。この測地観測の手法は、シュトルーヴェの息子のオットー・ヴィルヘルム・シュトルーヴェ(1819〜1905年 プルコヴォ天文台長)等にも引き継がれ、世界の本初子午線の制定などへの偉大なステップとなった。シュトルーヴェの測地弧は、人類の科学・技術史上、顕著な普遍的価値を有するモニュメントである。
デルベントの城塞、古代都市、要塞建造物群 デルベントの城塞、古代都市、要塞建築物群は、ダゲスタン共和国の首都マハチカラの南東121km、カスピ海の西岸に面する5000年の歴史を有する古都デルベントにある。デルベントは、5〜6世紀にカスピ海の東西に展開したササン朝ペルシア帝国の北部の要塞であった。5世紀に造られた石造りの要塞は、カスピ海側とコーカサス山脈側に、300m〜400mの距離を置いて並行に建設され、その間に町が造られた。この地形的な特性を生かし、防衛の拠点とともにヨーロッパと中東を結ぶ交易の中心として発展した。現在も中世の面影をとどめたモスクやマドラサなどが残っている。デルベントの城塞、古代都市、要塞建築物群は、19世紀までコーカサス地方での戦略的なゲートとして、重要な役割を果たし続けた。
ノヴゴロドと周辺の歴史的建造物群 ノヴゴロドは、ロシア北東部のヴォルホフ川の岸辺にあるロシアの古都。9世紀に、ノルマン公のリューリク(?〜879年)に率いられたスウェーデンのヴァイキングの一派ルーシがロシアの起源といえるノヴゴロド国を建設した。ノヴゴロドとは、「新しい町」という意味である。ノヴゴロド国は、クレムリン(城塞)を築いた後、12〜15世紀には、ヨーロッパとロシアとの交易の要衝として、商業都市の隆盛を極めた。ソフィスカヤ側と呼ばれる西岸は、13基の塔のあるノヴゴロド城塞で囲まれ、11世紀の聖ソフィア大聖堂が建つ。ヴォルホフ川を挟んで東岸はトルゴヴァヤと呼ばれ、ヤロスラブ宮廷跡や14世紀のスパソ・プレオブラジェーニエ教会(救済教会)をはじめとする中世の教会などの歴史的建造物群が数多く残されている。また郊外には、1030年創建と伝えられるユリエフ修道院があり、フレスコ画が美しい。
プトラナ高原 プトラナ高原は、ロシア連邦の中央部、中央シベリア平原の北西端、北極海に突き出たタイミール半島の付け根にある高原で、シベリア連邦管区のクラスノヤルスク地方(旧・タイミール自治管区)に属する。中央シベリア平原の大部分はカラマツを中心とした針葉樹の森に覆われている。地質学的には、2億5000万年から2億5100年前、ペルム紀と三畳紀の間に起こった巨大火山活動で大量の溶岩が流れて形成された火成岩台地のシベリア・トラップとして知られている。プトラナ高原の主要部は、西にエニセイ川、東にコティ川の上・中流域、北にヘタ川の中・下流域、南にツングースカ川で囲まれ、長さが500km以上、幅が約250kmの長方形の形をしている。プトラナ高原は、山岳の平均の高さが900〜1200m、最高点は、1701mのカメン峰で、峡谷の深さが1500m、最も典型的な振幅の高さが800〜1000mで、2005年3月に、プトランスキー国家自然保護区に指定されている。ツンドラの自然美が美しく、世界最大級のトナカイの移動ルート上にあり、ビッグホーン(オオツノヒツジ)の亜種の生息地でもある。
ウフス・ヌール盆地 ウフス・ヌール盆地は、首都ウランバートルの西北西およそ1000kmにあるモンゴルとロシア連邦にまたがる盆地である。ウフス・ヌール盆地は、モンゴル側のウフス湖とロシア連邦側のヌール湖からなる。広大、浅くて塩分濃度が高いウフス・ヌール湖を中心にその面積は、106.9万haに及ぶ。氷河をともなう高山帯、タイガ、ツンドラ、砂漠・半砂漠、ステップを含み、中央アジアにおける主要な生態系が全て見られる。この辺りは中央アジア砂漠の最北地で、3000m級の山々がウフス湖を囲むように連なっている。そしてモンゴル側の7710平方km、ロシア側の2843平方kmがユネスコの生物圏保護区に指定されている。ここに残された豊かな自然は、美しい景観だけではなく、多くの野生生物の生息地となっている。動物では、オオカミ、ユキヒョウ、オオヤマネコ、アルタイイタチ、イノシシ、エルク、アイベックス、モウコガゼル、鳥類では、220種を数え、その中には稀少種、絶滅危惧種も含まれ、ユーラシアヘラサギ、インドガン、オジロワシ、オオハクチョウなどが生息する。植物では、凍原性のカモジグサ属やキジムシロ属の草、ツンドラのヒゲハリスゲ、ベトゥラ・ナナ、イソツツジなどの低木、山岳針葉木のヨーロッパアカマツやケカンバなどが挙げられる。
カザン要塞の歴史的建築物群 カザン要塞の歴史的建築物群は、タタールスタン共和国の首都カザン市にある。カザン要塞は、この地域が、汗の国の黄金軍団キプチャクの支配下にあったイスラム時代にその起源を遡る。その後、1552年にイワン雷帝に征服され、キリスト教のヴォルガ司教管区となった。カザン要塞は、ロシアに現存する唯一のタタール様式の要塞であると同時に重要な巡礼地でもある。カザン要塞は、10〜16世紀の初期構造跡を併合し16〜19世紀に建造された傑出した歴史的建造物群からなり、その歴史的価値は貴重。
クルシュ砂州 クルシュ砂州は、リトアニアの西部のクライペダ地方とロシア連邦の西部の飛地であるカリーニングラード地方の2国にまたがる世界遺産である。クルシュ砂州は、幅が0.4〜4km、長さが98kmで、バルト海とクルシュ海(淡水)に突き出ている。日本の天橋立が幅40〜100m、長さ3.6kmであるから、そのスケールは比較にならない。ニダ砂丘などが長く延びたサンビアン半島には先史時代から人類が居住してきたが、バルト海からの風と潮による自然の脅威に絶えずさらされてきた。リトアニアのサハラ砂漠ともたとえられるクルシュ砂州が消失の危機から守られたのは浸食作用に挑んだ人間の絶え間ない努力の結果にほかならない。その努力の軌跡は、19世紀に始まった植林などによる保護など、人間と自然との共同作品ともいえる文化的景観としての価値が評価され文化遺産として世界遺産に登録された。また、クルシュ砂州一帯のネリンガという地名は、エプロンで砂を運んでこの砂州を造り人々を災害から救ったといわれる伝説上の巨人の女神の名前に由来している。
サンクト・ペテルブルクの歴史地区と記念物群 サンクト・ペテルブルクは、モスクワの北西約620km、バルト海の奥深くにあるロシア第2の都市。1712年から約200年間、ロシア帝政時代の首都であったサンクト・ペテルブルクには、ピヨトール大帝(在位1682〜1725年)が西欧文化を取入れて造り上げた建造物など数々の名所史跡が多い。華麗な冬の宮殿で世界三大美術館の一つであるエルミタージュ美術館、スモーリヌイ修道院、夏の宮殿などが残されている。キリスト教の聖者ペテロに因んでつけられたサンクト・ペテルブルクは、ペテルスブルク、ペテログラード、そしてロシア革命後には、レニングラードと改名されたが、ソ連崩壊後の1991年に旧名のサンクト・ペテルブルクに戻った。国営天然ガス企業「ガスプロム」によって計画されている、高さ403mのオフタ・センター・タワーの高層ビル建設をめぐって、景観問題が深刻化、2010年5月、メドベージェフ大統領は、市の当局者に対し、歴史的な都市景観を損なわない様、高さ制限などの再考を促した。
セルギエフ・ポサドにあるトロイツェ・セルギー大修道院の建造物群 セルギエフ・ポサドは、モスクワの北東約70kmにある学問と宗教の中心として栄えた町。トロイツェ・セルギー大修道院の建造物群は、14世紀にモスクワ近郊のラドネジに住むセルギー(セルギー・ラドネシスキー)(1320年頃〜1392年)が人里離れた森の中に建てた小屋と聖堂がその起源である。1584年にイヴァン雷帝が築かせた延長1km、高さ15mの城壁内に、玉葱形の円蓋が三位一体となったウスペンスキー寺院をはじめ、トロイツキー寺院、ドゥホフスカヤ聖堂、優雅さと美しさを誇る五重の鐘楼などの建造物群が残されている。トロイツェ・セルギー大修道院は、ロシア正教のメッカとして、今も重要な位置を占め、セルギー・ラドネシスキーは、ロシアで最も崇敬されている聖人の一人である。
西コーカサス 西コーカサスは、黒海の北東50km、カフカス自然保護区とソチ国立公園を中心とするコーカサス山脈(カフカス山脈)の西端に広がる東西130km、南北50km、海抜250〜3360m、面積351620ha余りに及ぶヨーロッパでも数少ない人間の手が加えられていない広大な山岳地域。西コーカサスの亜高山帯から高山帯にかけて、オオカミ、ヒグマ、オオヤマネコ、シカなどの野生動物が生息し、低地帯から亜高山帯にかけての手つかずのオーク、モミ、マツの森林の広がりは、ヨーロッパでも稀である。西コーカサスは、コーカサス・ツツジなどの固有種、レッドデータブックの希少種や絶滅危惧種にも記載されている貴重な植物や動物が生息するなど生物多様性に富んでおり、ヨーロッパ・バイソンの亜種のバイソン・ボナサスの発生地でもある。また、この地域には、絶滅種のマンモス、オーロックス、野生馬の化石やホモ=サピエンス=ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の遺跡が数多く発見されている。
バイカル湖 バイカル湖は、シベリア南西部、アンガラ川をはじめ350もの河川が流入する水源にある。面積31500平方km(琵琶湖の約50倍の大きさ)、最大幅79km、世界最深(1742m)、世界最古(2500万年前)の断層湖で、「シベリアの真珠」とも呼ばれる。バイカル湖は、世界の不凍淡水の20%を貯える豊かな淡水湖で、さけ漁が盛んであるが、水生哺乳類のバイカル・アザラシなど100を超えるバイカル生物群など固有種が多く、「ロシアのガラパゴス」ともいわれ、珍しい淡水魚等も生息する動植物の宝庫。一方、バイカル湖がある東南シベリアは、石炭、鉄鉱石、森林などの資源の宝庫であることでも有名であり、1984年には、バイカル−アムール鉄道が開通している。最近では、これらの資源開発による環境破壊、湖の周辺部に立地する紙パルプ工場などの工場排水によって、水力発電にも利用されている湖水に注ぎ込むセレンゲ川をはじめとするバイカル湖の水質汚濁の問題が深刻化しており、環境対策が急務となっている。バイカル湖への観光は、「シベリアのパリ」と呼ばれる美しい町並みを誇るイルクーツクからの半日ツアーを利用することが出来るが、この様な状況にあることも認識しておく必要がある。
モスクワのクレムリンと赤の広場 モスクワのクレムリンと赤の広場は、モスクワの中心部を流れるモスクワ川の岸辺にある。ロシア語で「さく」とか「とりで」という意味のクレムリンは、12世紀初めに、ユーリー・ドルゴルーキー大公が木造砦を築いたのに始まり、その後次第に拡張された。全長2.2km、高さ5〜19mの城壁で囲まれた、日本の皇居のおよそ4分の1にあたる総面積28万平方kmの一画に、グラノヴィータヤ宮殿、チェレムノイ宮殿、ポテシュヌイ宮殿、ウスペンスキー大聖堂、アルハンゲリスキー聖堂、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂、イワン大帝の鐘楼、武器庫などが設けられた。またクレムリンは、トロイツカヤ塔、スパスカヤ塔、ボロヴィツカヤ塔、ウォドウズヴォドナヤ塔、ニコリスカヤ塔の5つの塔が印象的。一方、赤の広場は、15世紀末に、クレムリンの城壁の外側に交易の為に設けられた広場が始まりで、現在は、ロシアの革命家で生涯を革命と社会主義に捧げ、ソ連邦を建国したレーニン(1870〜1924年)の偉業をたたえたレーニン廟、それに聖ヴァシリー寺院などが置かれている。
ウラディミルとスズダリの白壁建築群 ウラディミルとスズダリは、モスクワの北東、黄金の環にある古都。ウラディミルは、モスクワの北東約180kmにあり、12〜18世紀のウラディミル・スズダリ公国の首都であった。石灰石を積んで築かれたウスペンスキー大聖堂、ドミトリエフスキー聖堂、黄金の門などの建造物が当時の繁栄を物語っている。また、スズダリには、11世紀以降に建設された50近い聖堂や修道院が残る。丘やカメンカ川の蛇行など自然の地形を利用したロジェストヴェンスキー聖堂(生神女誕生聖堂)は、青色に金色の星をちりばめた5つのドームが特徴で、入口の黄金の門には聖書物語が金メッキで描かれている。その他、クレムリン城塞など白い石灰岩でつくられた白壁の美しい建築物が残っている。
カムチャッカの火山群 カムチャッカの火山群は、カムチャッカ州(州都 ペトロパブロフスカ・カムチャッキー)のカムチャッカ半島にある。カムチャッカには、300以上の火山があり、そのうち10の活火山が今も活発に活動している、種類、広がりにおいて、世界で有数の火山地帯。最高峰のクリュチェフスカヤ火山(4835m 最近噴火1994年)や円錐形のクロノツキー火山(3528m)などを中心に5つの連なる火山帯をもつカムチャッカは、大陸塊のユーラシアプレートと太平洋プレートの間にある独特の景観を誇り、カラマツ、モミ、ヘラジカ、ヒグマなど野生動植物の宝庫でもある。
コミの原生林 コミの原生林は、ウラル山脈の北方西麓の328万haにおよぶ地中の永久凍土が凍結したままのツンドラ、および、山岳地帯で、ヨーロッパ大陸で最も広大な亜寒帯森林地帯。コミの原生林の構成資産は、ユグド・ヴァ国立公園、ペコラ・イリチ自然保護区、ヤクーシャ森林地区からなる。モミ、トウヒ、カラマツ、トドマツなどの針葉樹やポプラ、樺の木、泥炭地や河川、湖を含む広大な地域は、50年以上にわたり自然史研究の対象として研究され続け、ロシア語で、「北の原生林」という意味の針葉樹林帯のタイガに生息する動植物に影響を与える自然環境の貴重な証拠を提供してきた。ロシアで最初に登録されたユネスコ自然遺産である。
シホテ・アリン山脈中央部 シホテ・アリン山脈中央部は、ロシア南東部、沿海州、ナホトカの北東およそ400km、日本海に面する高地に展開する、シベリア・トラが棲む森林帯。最高峰は2003mとそれほど高くはないシホテ・アリン山脈はアジア大陸のなかではきわめて最近に誕生した。シホテ・アリン山脈は7000万年から4500万年の間に造られた溶結凝灰岩でおおわれている。シホテ・アリン山脈中央部のテルネイ地区は、シホテ・アリン自然保護区(401428ha)、テルネイ北部の日本海岸は、動物保護区(4749ha)に指定されている。シホテ・アリン山脈中央部の自然は、シベリア南部を横断する山地帯の東南の端で、原始のままのカラマツ、エゾマツ、トドマツ、モミなどのタイガ(針葉樹森林地帯)およびベリョースカ(白樺)とベリョーザなどの広葉樹林の混交林が大森林地帯となっている。そして、ミミズク、オオカミ、クマ、それに、絶滅の危機にさらされているアムール・トラ(シベリア・トラ、ウスリー・トラとも呼ばれる)などの野生動物の生息地としても知られている。シホテ・アリン山脈でいちばん大きな町は、鉱山町のダリネゴルスクである。
ソロベツキー諸島の文化・歴史的遺跡群 ソロヴェツキー諸島の文化・歴史的遺跡群は、ロシア北西部、白海のオネガ湾口にある大小6つの島、ソロヴェツキー島、アンツァー島などで構成される諸島に残る文化・歴史的遺跡群。行政上は、アルハンゲリスク州ソロヴェツキー区に属する。ソロヴェツキー諸島の中で最大のソロヴェツキー島に15世紀、2人の修道士によってロシア正教のソロヴェツキー修道院が建てられたのが歴史の始まりである。当初は、修道院、宮殿、作業場で構成されていたが、16〜19世紀にかけて多くの修道院が建設された。ニーコンの改革とそれに続く古儀式派への迫害はこの修道院にも及んだ。修道士たちは断固として従来の信仰を守り、皇帝の代理人を追放したため、皇帝アレクセイの軍隊による8年に及ぶ包囲攻撃を招き、最終的に多数の修道士が殺害された。クリミア戦争中は、英国海軍によるソロヴェツキー修道院への砲撃が行われた。ロシアの帝政期を通じて、修道院は強固な要塞として知られ、16世紀のリヴォニア戦争、19世紀のクリミア戦争、20世紀のロシア内戦と外敵を退け続けた。1917年の十月革命以後のソヴィエト時代は、作業場などが閉鎖され第一号の強制収容所(ラーゲリ)となったが、その過酷な環境での収容が有名になり、「北極圏のアウシュヴィッツ」と称された。また、諸島の戦略的な価値に気付いたソヴィエト政府は、戦争の開始とともに北方艦隊の基地を置いた。一連の遺跡群は、中世の宗教コミュニティの信仰・不屈・進取性を表す、北部ヨーロッパの荒涼たる環境における修道施設の傑出した例として、世界遺産に登録された。現在ではロシア北部における代表的な観光地となっている。
ノボディチ修道院の建築物群 ノボディチ修道院の建築物群は、モスクワ市の南西、モスクワ川の河岸にある金のドームが印象的な宗教建築物群。16〜17世紀にワシリー3世がリトアニアのスモレンスクとの連合を記念して建設した女子修道院である。ノボディチ修道院の建築物群は、城壁に囲まれたモスクワ・バロックと呼ばれる建築様式による傑作で、15の建物からなる。スモレンスク聖堂には、16世紀のフレスコとイコンが飾られている。ノボディチは、新しい処女の意味があり、その昔、ここで女奴隷市場が開かれていたことに由来する。ノボディチ修道院の建築物群は、1990年に世界遺産リストに登録された「モスクワのクレムリンと赤の広場」の登録範囲の拡大物件として、当初ロシア政府から提示されたが、単独物件として登録された。
フェラポントフ修道院の建築物群 フェラポントフ修道院の建築物群は、ロシア北西部ヴォログダ地方にある。フェラポントフ修道院は、類例を見ない保存状態の良さと建築物が完璧にそろっている点で、ロシア正教の修道院建築としては抜群。フェラポントフ修道院は、1398年に聖フェラポントフと友人であるキリル・ベロゼルスキーによって創建された。主要な建築物群は15〜17世紀にかけて建設されたが、それは、ロシアが統一されて国家と文化が発達した非常に重要な時代であった。フェラポントフ修道院の建築は様々な創意工夫と清浄な雰囲気に満ち、15世紀末の偉大なロシアの画家ディオニシーのすばらしい壁画で飾られている。
ヤロスラブル市の歴史地区 ヤロスラブル市の歴史地区は、モスクワの北東250km、ボルガ川とコトロスル川の合流部に沿って広がるヤロスラブル州の州都ヤロスラブル市にある。ヤロスラブル市は、1010年にヤロスラブル皇帝が創建、16〜17世紀にはボルガ川の最初の商業港として発展し、17世紀にはロシア第二の都市となった。歴史地区には、当時、商人が競って建設した教会などの建造物群が残されている。12世紀後半に建造され、1500年代まではロシアで最も豪華かつ堅牢であった赤煉瓦と明るいタイルが特徴のヤロスラブル様式のスパスクイ修道院、フレスコ画で有名な予言者イリア教会、伝説の神聖な熊が描かれているヤロスラブル建国記念公園などの歴史的な建築物や公園が数多く残されている。ヤロスラブル市は、1763年に女帝エカチェリーナ2世(1729〜1796年)がロシアの全都市に命じた計画的な都市改造の成果を顕わすお手本の一つでもある。