Patrimoine de l'humanite
ドブロブニクの旧市街 ドブロブニクは、クロアチア南部のアドリア海沿岸のドブロブニク・ネレトヴァ郡にある「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しい都市である。13世紀に初めて要塞を築き、上下水道や養老院を設けた自治都市で、旧市街には、12世紀に建設され15世紀に再建されたクネズ宮殿(旧総督府)、13世紀の要塞、14〜16世紀の繁栄を伝えるロマネスクのフランチェスコ修道院、16世紀のスポンザ宮殿、18世紀の聖プラホ教会など数多くの歴史的建造物群が残っている。世界遺産の登録面積は、コア・ゾ−ンが96.7ha、バッファー・ゾーンが53.7haで、構成資産は、ドブロブニクの旧市街(コア・ゾ−ン24.7ha)とロクルム島(コア・ゾ−ン72ha)からなる。ロクルム島は、ドブロブニクの旧市街の沖合い700mに浮かぶ島で、山上には、要塞跡や塔が残っている。かつて、ドブロブニクが、ハプスブルク家の支配下になった時に、多くの皇族がこの島を訪れた。1667年の大地震、1991年の内戦などで、度々被害を被り危機にさらされたが、これらの苦難を見事に克服し、復興している。
ディオクレティアヌス宮殿などのスプリット史跡群 スプリットは、クロアチア南部のアドリア海に面した町。ディオクレティアヌスは、284年にローマ帝国の皇帝の位についた後、混乱し危機に瀕していた帝国の再建に成功した。しかし、305年に突如、出身地のスプリットに隠居し、以後、この町で余生を過ごした。この町には、彼の築いたディオクレティアヌス宮殿や広場、要塞、城壁などの遺跡が残る。
プリトヴィチェ湖群国立公園 プリトヴィチェ湖群国立公園は、クロアチア中西部のオトチャツ県にある。最も高い標高639mのプロシュチャン湖から流れるプリトヴィチェ川の流れが、階段状に16の湖を作る珍しい景観を形成している。これら石灰華の湖の階段は、幾筋もの滝となって渓谷を流れ落ち、時には急流となって隣接の湖へと流れ込みコラナ川への流れとなる。周辺の森林地帯には、ヒグマ、オオカミ、カワセミなどの動物も生息している。世界の七不思議の一つにも数えられている複雑な造形美の景観を呈するプリトヴィチェ湖群国立公園ではあるが、ユーゴスラヴィア内戦で多くの被害を受け、一時は危機遺産に登録されたが1997年には解除されている。2000年に登録範囲が拡大された。
アッパー・スヴァネチア アッパー・スヴァネチは、グルジアの北、ロシアとの国境のコーカサス(カフカス)山脈の山麓のザカフカス地方にある。アッパー・スヴァネチは、中世の趣を残す村落の姿とコーカサス(カフカス)山脈の雄大な自然景観とが融合している。外界から隔絶された山中にあるスヴァン族が住むチャザシの村には、今でも、独特の形をした200軒以上の伝統的民家が点在する。それらは、古くから、モンゴルなど諸民族の侵略を防御する砦の役目も果たしていた。
バグラチ大聖堂とゲラチ修道院 バグラチ大聖堂は、グルジア西部の古都クタイシのウキメリオニの丘の上にある。10〜11世紀の創建で、グルジア王国の初代国王であったバグラト3世(在位975〜1014年)の名前に因んだものである。オスマン・トルコと戦争中であった1692年に破壊、略奪されて荒廃し、今日に至っている。一方、1106年にダヴィド王によって創建されたゲラチ修道院は、クタイシ郊外のイメレティアの丘にあり、12〜17世紀の長期にわたって建設された。聖母マリア聖堂の壁面に描かれた宗教と歴史をテーマにした壮大なモザイク画やフレスコ画が、大変美しい。バグラチ大聖堂とゲラチ修道院と共にグルジアの中世文化の象徴である。バグラチ大聖堂の再建プロジェクトが履行された場合、世界遺産登録時の完全性や真正性を損なうことから、2010年の第34回世界遺産委員会ブラジリア会議で、「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録された。
ムツヘータの歴史的建造物群 ムツヘータは、首都トビリシの北約30km郊外にある古都。グルジアの首都は、5世紀頃に、現在のトビリシに遷都されるまでは、ムツヘータにあった。古代からヨーロッパのキリスト教徒の交流が行われ、一方において、ペルシャ、ビザンチン、アラブから支配されてきた。ムツヘータは、4世紀に創建され、その後、再建、破壊、修復され、中世建築の傑作とされるグルジア最古のスベティツホヴェリ教会、6〜7世紀に、ムツヘータの町の正面の山頂に建てられた、神聖で美しいジュパリ教会などが残っている。2009年の第33回世界遺産委員会セビリア会議で、これらの重要な建造物群の保護の観点から危機遺産リストに登録された。世界遺産委員会は、グルジア政府に、ムツヘータの歴史的建造物群に関する総合管理計画の採択と石造とフレスコ画の深刻な劣化、その他に、教会群の近くでの土地管理と世界遺産登録された建造物群内の真正性の喪失等の問題解決を要請した。
サンマリノの歴史地区とティターノ山 サンマリノの歴史地区とティターノ山は、イタリア半島の中部、世界で5番目に小さな国サンマリノ共和国の首都サンマリノ市にある。13世紀に都市国家として共和国の創建に遡るサンマリノの歴史地区とティターノ山を含み世界遺産のコア・ゾーンの面積は55haに及ぶ。サンマリノは、現存する国家の中で世界最古の共和国である。世界遺産に登録されたサンマリノの歴史地区は、中世の要塞塔、外壁、門などの要塞群、14世紀と16世紀の修道院群、18世紀のティターノ劇場、19世紀の教会堂や市庁舎などが構成資産になっている。サンマリノの歴史地区には、現在も人が住み、また、制度的な機能が保存されている歴史地区を代表するものである。サンマリノは、アドリア海を望む標高739mのティターノ山の頂上に位置することもあり、工業化から今日まで都市の変化に影響は少なかった。サンマリノの歴史地区とティターノ山は、第32回世界遺産委員会ケベック・シティ会議で、サンマリノ最初の世界遺産として登録された。
アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群 アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、オーストリアのケルンテン連邦州とオーバーエスターライヒ連邦州、フランスのローヌ・アルプ地方とフランシュ・コンテ地方、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州とバイエルン自由州、イタリアのフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州、ロンバルディア州、ピエモンテ州、ヴェネト州、スロヴェニアのイグ市、それにスイスのベルンやチューリッヒなど14の州の6か国にまたがって分布している。これらは、紀元前5000年から紀元前500年にかけて、アルプス山脈や周辺のモントゼー湖やアッターゼー湖(オーストリア)、シャラン湖(フランス)、コンスタンツ湖(ドイツ)、カレラ湖(イタリア)、ツーク湖(スイス)などの湖群、リュブリャナ湿原(スロヴェニア)などの湿地群の畔に建てられた先史時代の杭上住居(或は高床式住居)の集落の遺跡群で、現認されている937のうち111(スイス 56、イタリア 19、ドイツ18、フランス11、オーストリア5、スロヴェニア 2)の構成資産からなる。杭上住居群は、多数の杭によって湖底や河床から持ち上げられ独特の景観を呈している。幾つかの場所で行われた発掘調査では、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代初期にかけての狩猟採集や農業など当時の生活や慣習がわかる遺構が発見されている。アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、保存状態が良く、文化的にも豊富な遺物が残っている考古学遺跡群である。
スイスの地質構造線サルドーナ スイスの地質構造線サルドーナは、スイスの北東部、グラウビュンデン州、ザンクト・ガレン州、グラールス州にまたがる。グラールス州のピッツ・サルドーナ (Piz Sardona 3056m)を中心に標高3000mの7つの頂きを特徴とする東部スイス・アルプスの大自然の絶景とその特徴的な地形の山岳地域32850haが世界遺産の核心地域である。スイスの地質構造線サルドーナは、褶曲(しょうきょく)作用によって、約5000万年前の砂岩フリッシュ層の上に約2億5000万年から3億万年前のペルム紀の火山質礫岩(かざんしつれきがん)ヴェルカーノ層が重なってナイフの様な鋭い地質構造線の特異な地形が、氷河期後に、現在のヨーロッパに起こったプレート(岩板)のダイナミックな地殻変動による大陸衝突(移動)によって形成されたアルプス山脈、そして、地球の誕生と進化の謎を解明する鍵となり、地球科学の分野で重要な地球の上層部の変動をつかさどる重要な理論である「プレート・テクトニス理論」(プレート理論)を証明する上でも大きな意味を持つ地形で、フォーダーライン渓谷、リント渓谷、ヴァーレン湖に囲まれたリント川流域のグラールス・アルプス一帯の魅惑的な山岳景観が象徴的である。
モン・サン・ジョルジオ モン・サン・ジョルジオは、ティチーノ州のルガノの南方にある、地質学的、古生物学的にも重要で、動植物の生態系も豊かな南アルプスの美しい山である。モン・サン・ジョルジオは、中世には、隠遁者を惹きつける聖なる場所であった。一方、2.3〜2.4億年前には、恐竜が、メリーデ地域に住みついていたと思われ、三畳紀の地層から化石が発掘されている。土質が柔らかい泥の為か、これらの生物の骨格が完全に保存されている。メリーデには、各種の恐竜の骨格が発掘されており、発掘の詳細と出土した小物までも展示している小さな恐竜博物館もある。また、この地域では、多くの魚の様な無脊椎動物の化石が発見されているので、昔は、海の近くであったに違いない。2010年の第34回世界遺産委員会ブラジリア会議で、類いない重要性と多様性の価値がある三畳紀の海洋生物の化石が残っているイタリア側の「モン・サン・ジョルジオ」を構成資産に加えて、登録範囲を拡大した。
ラヴォーのブドウの段々畑 ラヴォーのブドウの段々畑は、スイスの西部、ヴォー州のラヴォー地域、シヨン城からジュネーブ湖(レマン湖)の北岸沿いからローザンヌの東の郊外までの約30kmに展開する文化的景観である。世界遺産の構成資産は、ブドウの段々畑とリヴァ、ヴィレット、シェクスブル、シャルドンヌ、グランヴィル、サン・サフォランなどの14の小さな集落群である。レマン湖とアルプス山脈を望むブドウ畑のあるラヴォーは、レマン湖の北東岸の地方名で、スイスを代表するワインの産地として名高い。その起源はおよそ800年前、修道士がブドウ栽培を始めたことによる。現在の段々畑の面積は830ha。もともと気候は温暖だが、段々畑の南斜面では、レマン湖の湖面に反射する日光の照り返し、それに、熱い部分とそれをしのげる部分を持つ石の斜面の作用で、ブドウを完熟させる。
市場町ベリンゾーナの3つの城、防壁、土塁 市場町ベリンゾーナの3つの城、防壁、土塁は、首都ベルンの南東およそ150kmにあるティチーノ州の州都であるベリンゾーナにある。ベリンゾーナは、過去千年以上にわたる栄光を秘めた重厚な中世都市で、古くからスイスとイタリアを結ぶ交通の要衝であった市場町。町を望む丘の上には、カステロ・グランデ、カステロ・モンテベーロ、カステロ・デ・サッソコルベーロのかつての代官の3つの城がそびえている。ドイツ語名でそれぞれウーリ、シュヴィーツ、ウンターワルデンの別名がつけられている。ここは、かつて、イタリアのミラノのヴィスコンティ家やスフォルツァ家の戦略的拠点であった。
ベルンの旧市街 ベルンは、1848年にスイス連邦が誕生した時からの首都。町は、大きく湾曲したアーレ川(ライン川の支流)に囲まれた丘の上に、スイスの貴族ツェーリンゲン家によって1191年につくられた。ベルンの語源は、熊を意味するドイツ語。ツェーリンゲン公が狩りの際最初に捕まえた獲物が熊であったことから名付けられ、市章は熊となっている。ニーデック橋を渡って、13世紀の城門の跡につくられた時計塔に至る旧市街には、高さ100mの塔がシンボリックなミュンスター大聖堂、中世からの市庁舎や16世紀の仕掛け時計塔、ヨーロッパ最長といわれる6kmのアーケードなどがある。また、モーゼの噴水、シムソンの噴水、ツェーリンゲンの噴水、アンナ・ザイラーの噴水など彫像で飾られた11の噴水が町のあちこちに配され、美しい花の町のアクセントとなっている。ベルン市内には、かのアインシュタインが相対性理論を確立した家であるアインシュタインハウス(現在は記念館)がある。
スイス・アルプスのユングフラウ-アレッチ スイス・アルプスのユングフラウ-アレッチは、ベルン州とヴァレリー州にまたがる雪を頂くスイス・アルプス。標高およそ4000m、総面積824平方kmの広大なエリアにアイガー、メンヒ、ユングフラウという3名山とユングフラウから続く西ユーラシア最大・最長のアレッチ氷河を擁する。アレッチ氷河は、氷河史や進行中の過程、特に気候変動と地球温暖化との関連において、科学的にも重要なものである。ユングフラウ-アレッチの壮麗で雄大な大地は、アルプスが造りあげた理想的な自然の芸術であり、また、自然保護活動の観点からも1930年のアレッチの森林保護区、「ヴィラ・カッセル」というスイス初の環境保護センターの設置などスイス・エコロジー運動の先駆的役割を果たしてきた。スイス・アルプスのユングフラウ-アレッチには、エーデルワイスやエンチアンなどの高山植物や亜高山植物も広範に生息している。ユングフラウ-アレッチの印象的な景観は、ヨーロッパの文学、美術、登山、旅行に重要な役割を果たした。この地域はその美しさに魅せられた国際的なファンも多く訪れたい最も壮観な山岳地域の一つとして広く認識されている。2007年の第31回世界遺産委員会クライストチャーチ会議で、世界遺産の登録範囲が539平方kmから824平方kmに拡大された。また、2008年には、登録名が変更になった。
レーティッシュ鉄道アルブラ線とベルニナ線の景観群 レーティッシュ鉄道アルブラ線とベルニナ線の景観群は、スイスとイタリアにまたがるスイス・アルプスを走る2つの歴史的な鉄道遺産である。レーティッシュ鉄道の北西部、ライン川とドナウ川の分水嶺(ぶんすいれい)でもあるアルブラ峠を走るアルブラ線は、1898年に着工し、1904年に開通した。ヒンターライン地方のトゥージスとエンガディン地方のサン・モリッツの67kmを結び、ループ・トンネルなど42のトンネル、高さ65mの印象的なランドヴァッサー橋などの144の石の高架橋が印象的である。一方、ベルニナ峠を走るベルニナ線は、サン・モリッツからイタリアのティラーノまでの61kmを結び、13のトンネルと52の高架橋が特徴である。ベルニナ鉄道(現在のレーティッシュ鉄道ベルニナ線)は、歯車を使ったラック式鉄道ではなく、一般的なレールを使った鉄道で、アルプス最高地点を走る鉄道として、すぐにその技術が大きな話題となり、後につくられるさまざまな鉄道計画のモデルになったといわれている。万年雪を冠った標高4000m級のベルニナ山脈の名峰や氷河が輝くスイス・アルプスの世界から、葡萄畑や栗林に囲まれた素朴な渓谷を越えるイタリアまでの縦断ルートである。標高2253mから429mまで、1824mの高低差を克服、驚くべき絶景が連続的に展開する。レーティッシュ鉄道は、20世紀初期から約100年の歴史と伝統を誇るグラウビュンデン州を走るスイス最大の私鉄会社で、アルプスの雄大な大自然を破壊することなく切り開き、山岳部の隔絶された集落を繋ぎ生活改善を実現した鉄道利用の典型である。レーティッシュ鉄道は、驚異的な鉄道技術、建築、環境が一体的であり、その鉄道と見事に共存しつつ現代に残された美しい景観は周辺環境と調和すると共に建築と土木の粋を具現化したものである。レーティッシュ鉄道は、最も感動的な鉄道区間として、今も昔も世界各地からの多くの観光客に親しまれており、最新のパノラマ車両も走る人気の絶景ルートであるベルニナ・エクスプレス(ベルニナ急行)の路線で、グレッシャー・エクスプレス(氷河特急)の一部区間でもある。レーティッシュ鉄道ベルニナ線は、箱根登山鉄道と姉妹鉄道提携をしている。
ザンクトガレンの大聖堂 ザンクトガレンは、スイス北東部ボーデン湖の南にある東スイスの中心都市。大聖堂は、ザンクトガレンにあるベネディクト派の修道院で、起源は7世紀にアイルランドの隠修士ガルスが営んだ僧坊に始まる。8世紀に入って司祭オットマーにより修道院が建てられ、当初建設したガルスの名をとってザンクトガレンと命名された。9〜11世紀には学芸、科学で名を知られ、また、繊維の町として発展した。火災や宗教改革での破壊にあって消失した大聖堂は、16〜18世紀にはバロック様式で再建された。また、僧院付属の図書館には、数千冊の初期中世の彩飾写本や古文書が納められており、大変貴重な財産となっている。
ミュスタイアの聖ヨハン大聖堂 ミュスタイアは、スイス東部、イタリアとの国境に近いチロル南端の谷間の町にある。ミュスタイアは、山あいの土地だが、スイスとイタリアを結ぶ峠越えの道があり、交通の要衝であった。聖ヨハン大聖堂は、フランク王国カール大帝時代の創建とされ、カロリンガ様式を象徴する四角い塔を持つ。内部を飾るフレスコ画は、「旧約聖書」と「新約聖書」を題材にして9〜12世紀に描かれたもので、質素な外見と違い、壮麗な聖書の物語が繰り広げられている。20世紀半ばの修復の際、発見された。損傷の激しい一部のフレスコ画は、現在、チューリッヒの国立民族博物館に保管されている。
ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロックル、時計製造の計画都市 ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロックルは、スイスの北西部、フランス国境のすぐ近くのジュラ山脈の麓のジュウ渓谷、ヌーシャテル州のショー・ド・フォンとル・ロックルにある時計製造の都市遺産である。ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロックルの世界遺産の登録面積は、283.9haで、バッファー・ゾーンは、4,487.7haで、構成資産は、ラ・ショー・ド・フォンとル・ロックルの2つからなる。ラ・ショー・ド・フォン/ル・ロックルは、18世紀に時計づくりの為に建設された対をなす工場都市群で、現在も、繁栄を続けている。ラ・ショー・ド・フォンは、時計産業の中心として知られており、ジラール・ペルゴ、タグ・ホイヤーなどの本社があり、また、世界最大規模の時計の博物館である国際時計博物館がある。一方、ル・ロックルは、その周辺にある小さな町ル・ロックルには、スイス屈指の高級時計の工房であるルノー・エ・パピがある。ショー・ド・フォンは、近代建築の巨匠であるル・コルビュジエの出身地であり、初期の住宅作品なども残っている。世界遺産の登録範囲内にある庭園での私有のガレージの建設が行われており、注視が必要である。
エーランド島南部の農業景観 エーランド島は、スウェーデンの南部、カルマル海峡を隔てて本土とエーランド橋で結ばれた大きな島で、南北の長さは130kmに及ぶ。エーランド島南部の農業景観は、およそ5000年前の先史時代から現在まで、過酷な環境条件の中で人間が居住し続けてきた一つの島での最適な土地利用や居住形態を示す顕著な事例である。その事は、バルト海に面した断崖、氷河が残したモレーンなどの複雑な地形、砂岩、粘板岩、それに、エーランド島特有の石灰岩の地質構造、不毛な平原など不自由な自然環境に適合させて人々が生活してきたことを物語るバイキングの集落遺跡、それに、歴史的な風車、牧草地、集落など多様な農業景観に見ることができる。
シュトルーヴェの測地弧 シュトルーヴェの測地弧は、ベラルーシ、エストニア、フィンランド、ラトヴィア、リトアニア、ノルウェー、モルドヴァ、ロシア連邦、スウェーデン、ウクライナの10か国にまたがる正確な子午線の長さを測るために調査した地点である。現存するエストニアのタルトゥー天文台、フィンランドのアラトルニオ教会など34か所(ベラルーシ 5か所、エストニア 3か所、フィンランド 6か所、ラトヴィア 2か所、リトアニア 3か所、ノルウェー 4か所、モルドヴァ 1か所、ロシア連邦 2か所、スウェーデン 4か所、ウクライナ 4か所)の観測点群。シュトルーヴェの測地弧は、ドイツ系ロシア人の天文学者のヴィルヘルム・シュトルーヴェ(1793〜1864年 ドルパト大学天文学教授兼同天文台長)を中心に、1816〜1855年の約40年の歳月をかけて、ノルウェーのノース・ケープの近くのハンメルフェストから黒海のイズマイルまでの10か国、2820kmにわたって265か所の観測点を設定、地球の形や大きさを調査するのに使用された。シュトルーヴェは、北部で、ロシアの軍人カール・テナーは、南部で観測、この2つの異なった測定ユニットを連結し、最初の多国間の子午線孤となった。この測地観測の手法は、シュトルーヴェの息子のオットー・ヴィルヘルム・シュトルーヴェ(1819〜1905年 プルコヴォ天文台長)等にも引き継がれ、世界の本初子午線の制定などへの偉大なステップとなった。シュトルーヴェの測地弧は、人類の科学・技術史上、顕著な普遍的価値を有するモニュメントである。
ドロットニングホルムの王領地 ドロットニングホルムの王領地は、首都ストックホルムの西郊、大小の島からなる外海のバルト海にかけて点在する約24000の島と岩礁一帯のストックホルム群島(アーキペラゴ)の一つであるローベン島の水辺にある。ドロットニングホルム宮殿は、ヴェルサイユ宮殿をお手本に18世紀に建てられた北欧の王室の住居を代表する、権力と富を象徴する絢爛豪華で荘厳なバロック様式の宮殿で、「北欧のヴェルサイユ」と称される。1982年以来、現国王一家の居城となっており、220室ある宮殿の一部は一般に公開されている。メーラレン湖岸の庭園の中に、王宮、1766年に建てられた宮廷劇場、中国館、ゴシック様式の塔が建っている。宮廷劇場では、夏の間、オペラやバレエが上演される。
ビルカとホーブゴーデン ビルカは、市街がたくさんの小島の上につくられていることから「北のヴェネチア」とも呼ばれる首都ストックホルムの西メーラレン湖のピョルケー島北西端に、また、ホーヴゴーデンは、アデルスユー島にあるヴァイキング時代の交易地の跡。9〜10世紀にはフリースラント商人がここを訪れ、または定住し、布、陶器、ガラス製品、フランクの剣などを交易していたことが出土品で判明している。
ルーレオのガンメルスタードの教会村 ルーレオのガンメルスタードは、スカンジナビア北部、ボスニア湾の奥に開けた中心都市ルーレオにある教会村。15世紀初頭にルーレオ川沿いに建築された石造りのカトリック教会の周辺にある424軒の中世的な平屋建ての木造家屋は、教会の行事のために遠方から訪れた礼拝者の為の宿泊施設として使われた。
エンゲルスベルクの製鉄所 エンゲルスベルクの製鉄所は、ストックホルムの北西150km、ヴェストマンランド県、ファーガシュッタ地方のエンゲルスベルクの町に残る産業遺産で、1681年にパー・ラルソン・ギレンフック(1645年〜1706年)が建設した。スウェーデンは、18世紀の初頭には世界の鉄の生産量の3分の1のシェアを占める世界最大の鉄の生産国で、例えば、イギリスの場合においても、自国の鉄の需要の3分の2をスウェーデンからの輸入に依存していた。なかでも、バリスラーゲン鉱床地域で産出される高品位の鉄鉱石を主原料として造られた特殊鋼は、スウェーデン鋼として世界的に有名であった。エンゲルスベルクの製鉄所は、15〜19世紀に、この国の基幹産業としての役割を担ったが、19世紀に、銑鉄を鋼に変える新たな製鉄法のベッセマー法が出現した為、競争力を失った。鋳造設備を含む木造板張りの工場が森の中に当時のままで保存されている。ベルクスラーゲン・エコミュージアムが管理運営している。
スコースキュアコゴーデン スコースキュアコゴーデンは、首都ストックホルム南部のエンシェデにある。スウェーデンの著名な建築家グンナー・アスプルンド(1885〜1940年)とパートナーのシグード・レーヴェレンツ(1885〜1975年)の設計によって1919〜1940年にかけて建設された森林墓園。もとは、砂利採集場の跡地もあった松林などの森林地帯で、首都ストックホルムの都市化で、避けて通れなかった新墓地の建設場所として土地利用された。基本設計は、広く国際コンペでアイデアが募られ、一等に入選したこの二人の作品が採用された。立方体の形をした礼拝堂と地下の火葬場(1935〜1940年建設)、そして遺骨が眠る墓地が一体化したこの森の墓園は、死者の魂を自然に帰してくれるような不思議な包容力を感じさせてくれる。死者の復活への願いを象徴している黒い十字架、あたかも自然の一部であるかのように調和して並ぶ墓石、緑のカーペットを敷き詰めたような芝生などの植栽や池、そして目立つことなく自然に溶け込んだ建造物など。これらが違和感なく周囲の森の自然に溶け込み、起伏のある地形と見事に調和した景観を呈している。墓地のスタイルも地域や国によって異なっているが、周囲の空間と風景を生かした墓園設計の手本として、斯界では世界的にも有名で、この二人の作風は後進の建築家にも大きな影響を与えている。
ハイ・コースト/クヴァルケン群島 ハイ・コーストは、スウェーデンの北東、南ボスニア湾の西岸にある。ハイ・コーストの面積は、海域の800平方kmを含む1425平方kmで、国立公園、自然保護区、自然保全地域に指定されている。ハイ・コーストの地形は、海岸、渓谷、湖沼、入り江、島、高地などからなり、景観も美しい。9600年前の氷河期から100年あたり90cmのスピードで土地が隆起を続け、この間、285〜294mにもなり、地質学的にも氷河後退後の地殻上昇の現象が随所に見られる。ハイ・コーストは、1997年に開通した世界屈指の吊橋、ベガクステン橋(ハイ・コースト橋 1210m)でも有名である。また、海岸線に集積する先史時代の遺跡や人間と自然との共同作品ともいえる文化的景観など歴史・文化遺産の価値評価についても着目されている。2006年、フィンランドのクヴァルケン群島を追加し、二国にまたがる物件となった。
ファールンの大銅山の採鉱地域 ファールンは、森と湖の美しい自然と民族的伝統が色濃く残るスウェーデン手工芸の宝庫であるダーラナ地方の中心都市。ファールンは、中世商業と製材業が盛んであり、20世紀末に閉山したが、スウェーデン経済を支え、何世紀にもわたって、ヨーロッパの経済、社会、政治の発展に強い影響を及ぼした有名な銅鉱山があった。ファールンの大銅山は、全盛期には世界の3分の2の銅を産出したといわれている。ファールンの大銅山とその文化的景観は、ここが鉱工業の最も重要な地域の一つであったことの名残りを銅鉱山の巨大な露天掘りの採掘現場、坑道跡などに見られるように今も色濃く留めている。構内には立派な博物館もあり鉱山の歴史や模型、採掘道具などが展示されている。
ヴァルベルイの無線通信所 ヴァルベルイの無線通信所は、スウェーデン南西部のグリムトン地方行政区のヴァルベルイ市の東7kmにある。ヴァルベルイは、スウェーデンで最も人気があるシーサイド・リゾートの一つである。ヴァルベルイの無線通信所は、1922〜1924年に建設され、大西洋横断の無線通信の先駆けとなった。20世紀初期の通信技術の発展を示す象徴的存在として、顕著な記念碑と言える。また、放送センターとしての典型的な建物であり、保存状態も良好である。
カールスクルーナの軍港 カールスクルーナは、スウェーデン南部のバルト地方の温暖で風光明媚な港町でブレーキンゲ県の県都でもある。この町はバルト海の戦略的な位置にあり、暖流の影響等で冬場も海が凍らない地理気候条件から、1680年に、スウェーデン国王のカルル11世によって、スウェーデン海軍の軍事拠点として計画的に造られたスウェーデンの最も重要な海軍基地の1つである。ヨーロッパの計画された海軍の町の良く保存された例であり、類似の海軍基地をもつ町のモデルとなった。カールスクルーナは、これらの生き残った軍事基地のなかで最も保護され完全なものである。また、カールスクルーナには、1985年に建造されたこの町最古の建物であり、木造の聖堂としてはスウェーデンで最大のアミラリテート聖堂がある
ターヌムの岩石刻画 ターヌムの岩石刻画は、ノルウェーとの国境に近いオスロ湾に面したストレムスタート南部の小さな村にある。ターヌムの岩石刻画は、紀元前1000〜紀元前500年頃の青銅器時代の岩絵で、狩猟する人物、槍を持った男性、子供を宿した女性、呪術師、トナカイ、ウマ、ウシ、シカ、イヌなどの動物、船やそりなどの日常道具の絵が岩に刻まれている。ターヌムの岩石刻画は、大胆ながらも繊細さを保っており、きわめて芸術性が高いといわれている。
ハンザ同盟の都市ヴィスビー ヴィスビーは、ゴトランド島のヴァイキングの跡地で、12〜14世紀にかけてのバルト海のハンザ同盟都市のなかでも中心的な存在。13世紀に建てられた城壁と200を越す倉庫群、同時代に建てられた貿易会社などがあり、北欧の要塞都市として、最もよく保存されている。
ラップ人地域 ラップ人地域は、スカンジナビア半島北部のアジア系少数民族で先住民族のラップ人<サーミ(サーメ)人>の故郷。広大な北極圏で暮らす彼等は、毎年トナカイと共に、そりで、この地域にやってくる。遊牧生活を送るサーミ人の伝統文化が残る最大にして最後のラップランドは、高山植物も見られる山岳、氷河で運ばれたツンドラの堆石によってできた深い渓谷のフィヨルド、湖沼、滝、そして、川が流れる雄大な自然景観が素晴しい。かつてのサーミ人の交易の中心地のユッカスヤルビの近くには、サーミ人の博物館、ラップランド唯一の木造教会、トナカイファームなどが見られる。また、イェリヴァーレの郊外には、サーミ人のキャンプ、ヴァグヴィサランがあり、伝統的な白樺の木で組んだ可動式のテントの“コータ”(Kaota)が建ち、トナカイが飼育されている。
アタプエルカの考古学遺跡
アタプエルカの考古学遺跡は、スペインの北部、カスティーリャ・イ・レオン自治州ブルゴス県アタプエルカ村の石灰岩台地に広がる洞窟遺跡群。ブルゴスの東15kmにあるアタプエルカ山脈では、西欧最古の人類 ホモ・アンテセソール(Homo Antecessor)の人骨が発見され、考古学史上、世界でも最も重要な古生代地層の一つとされている。19世紀後半の鉄道工事中、偶然にこの遺跡群が発見され、その後1978年に本格的に発掘調査が始められてから、見つかった洞窟は約40。そのうち4つの洞窟(象の空洞、ギャラリー、グラン・ドリナ洞窟、マヨール洞窟・シロ洞窟)で現在も調査が進められている。グラン・ドリナ洞窟からは、約80万年前の原人の化石が、また、その近郊のマヨール洞窟からは約33体にあたる人類の化石が約2500個発見されている。
アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区 アルカラ・デ・エナレスは、スペインの中央部、マドリッドの東約30kmにある。大学の中心地として設計され建設された最初の都市で、ヨーロッパやアメリカの学問の中心のモデルとなった。理想の都市のコンセプトである神の都市(Civitas Dei)は、アルカラ・デ・エナレスが最初で、広く世界中に普及した。1517年には、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語など数か国語の対訳聖書を世界で初めて発刊。語学教育に秀で、宗教的思想のみならず、知的分野での先駆けとなった。大学機能は、1836年にマドリッドに移転したが、本部建物は、見学可能。騎士道の理想が現実の前に破れさるありさまを悲喜劇に描いた「ドン・キホーテ」(1605年)の著者で、ルネッサンス末期の世界の文豪ミゲル・デ・セルバンテス(1547〜1616年)の生まれた町としても知られている。
アヴィラの旧市街と塁壁外の教会群 アヴィラの旧市街と塁壁外の教会群は、スペインの中央部、マドリッドの西北120km、標高1130mにある「石と聖者の町」、古都アヴィラにある。アヴィラの町を囲む11世紀末に完成した城壁は、全長2.5km、幅3m、高さ12mで、88の櫓を持つイスラム教徒への防壁であった。建設にはローマ時代の城壁や西ゴート族時代の城壁の石材が再利用された。城壁内には中世の教会や貴族の館などの歴史的建造物が建ち並ぶ。1091年に建てられた大聖堂は、要塞の役目も果していた堅牢強固な建物で、後陣部分は、「シモロの塔」と呼ばれる城壁の一部とつながっている。アヴィラは、中世の面影を残す要塞都市であり、城壁外には、サン・ホセ修道院やエンカルナシオン修道院などが残っている。
ウベダとバエサのルネサンス様式の記念物群 ウベダとバエサのルネッサンス様式の記念物群は、スペインの南部、アンダルシア自治州のハエン県の小さな都市、ウベダとバエサにある。ウベダとバエサのルネッサンス様式の記念物群の歴史は、ムーア人の9世紀からレコンキスタの13世紀にまで遡る。16世紀に、ウベダとバエサの両市は、ルネッサンス運動の高まりのなかで都市の再生を遂げ繁栄し、エル・サルバドール教会、大聖堂、サン・フランシスコ修道院、サン・アンドレス教会など数多くのルネッサンス様式の宗教建築物群、宮殿、邸宅が建てられ、アンダルシア・ルネッサンス様式建築の首都となった。それは、イタリアの新しい人間主義的な考え方が、アンドレ・ヴァンデルヴィラによりスペインに紹介されたことにより都市計画にもその考え方が導入された。そして、ウベダとバエサのルネッサンス様式の記念物群は、ラテン・アメリカの建築様式にも大きな影響を与えた。
カセレスの旧市街 カセレスの旧市街は、スペインの西部、エストレマドゥーラ自治州カセレス県の県都カセレスにある。先住民を駆使した後に駐留したローマ軍が築いた旧市街地には、この時代に築かれた城壁、それに、「プルピトス」、「オルノ」、「エスパデロス」、「ブハコ」などの見張り塔が残っている。城壁内の旧市街には、ローマ時代の遺跡をはじめ、イスラム様式、ゴシック様式、ルネッサンス様式などの数多くの歴史的建造物が残っている。なかでも、シグエーニャス邸(コウノトリ邸)、ベレタス邸(風見鶏邸)、猿の家などの15〜16世紀建造の貴族や富豪の館が際立っている。また、13世紀末に建造されたゴシック様式のサンタ・マリア教会は、この町で最も重要な教会で、多くの地元の著名人が埋葬されている。これらの建造物群の数々からは、大航海時代に新大陸との貿易を独占したカスティーリャ王国の繁栄ぶりが偲ばれる。この地方からは好戦的な中世の騎士団が誕生している。
グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン グラダナのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシンは、スペインの南部、アンダルシア自治州の都市グラダナにある宮殿、庭園、地区である。スペイン最後のイスラム王朝の手になるアルハンブラ宮殿(アルハンブラは、アラビア語で赤い城の意)は、14世紀に完成。王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘネラリーフェ庭園の4部分からなり、イスラム芸術の楽園として繊細な美しさを今に伝える。王宮には、中央の水場と両脇の生垣の緑が美しいアラヤネス庭園、12頭のライオンの石像に支えられた噴水があるライオンの中庭などがある。外観は質素に見えるが、内部は、豪華そのもの。ゴシック、ルネッサンス混合様式の大聖堂や王室礼拝堂などが歴史地区を彩る。アルバイシン地区は、かつてはアラブ人たちの居住区で、今でも白壁の家や細い路地が当時の面影を残している。
古都トレド 古都トレドは、スペインの中央部、カスティーリャ・ラ・マンチャ州の州都で、タホ川に囲まれた丘陵にある天然の要塞都市。6世紀に西ゴート族が占領し西ゴート王国の首都となった。その後、イスラム教徒による支配を経て1085年にはキリスト教徒による支配が復活、1561年にフェリペ2世がマドリッドへ遷都するまでスペインの首都として繁栄した。13〜15世紀のゴシック建築、270年かかって1493年に完成した、スペイン・カトリックの大本山であるトレド大聖堂、長方型の建物に赤い屋根、四角い塔が四隅にある王城のアルカサル、11世紀にローマ遺跡の上に建築されたメスキータ・デル・クリスト・デ・ラ・ルス、14世紀のトランシト・ユダヤ教会、ルネッサンス様式のサン・フアン・デ・ロス・レイェス修道院などあらゆる時代の文化遺産が古都トレドの栄光を物語っている。古都トレドは、スペイン絵画を代表する画家エル・グレコゆかりの地でもある。
サンタ・マリア・デ・グアダルーペの王立修道院 サンタ・マリア・デ・グアダルーペの王立修道院は、スペインの西部、エストレマドゥーラ自治州カセレス県のグアダルーペにある。1320年、グアダルーペ川のほとりの地中から掘り出された聖母マリアの彫像は、聖ルカが彫ったもので、イスラム教徒から逃れてきたキリスト教徒によって埋められたものである、とされる伝説によって、アルフォンソ11世がこの村に建設を命じ造らせた。当時イスラム教徒と対峙していたが、1340年のサラードの戦い(国土回復運動の戦い)で、イスラム軍を破ったことから、グアダルーペは一躍有名になり巡礼地となった。この修道院は、コロンブスがカトリック両王を謁見し、アメリカ大陸への航海用のカラベラ(中型帆)と乗組員の便宜を図る旨約束した手紙を受け取った舞台ともなった。
聖ミリャン・ジュソ修道院とスソ修道院聖 ミリャン・ジュソ修道院とスソ修道院は、スペインの北部、首都マドリッドの北東約200kmのラ・リオハ自治州サン・ミリャン・デ・ラ・コゴヤの丘の上にある。6世紀半ばに聖ミリャンが洞窟に引き篭もり40年近く隠遁生活を送った。聖ミリャンの死後は、巡礼の地となって、彼を称えてロマネスク風のスソ修道院が建てられた。今日世界で広く通用している言語であるスペイン語(カスティーリャ語)は、この地で生まれたカステリア語から派生している。「サン・ミリャンの注記」はカステリア語で書かれた最古の文献で、このスソ修道院で発見された。16世紀前半に、修道団体は新しく建てられた聖ミリャン・ジュソ修道院に組み入れられたが、今も宗教活動は続いている。
タラコの考古遺跡群 タラコの考古遺跡群は、スペインの東部、カタルーニャ自治州バルセロナの西南西およそ80kmにある。タラコは古代ローマ帝国の主要な行政、貿易都市で、イベリアにおいて最大の規模をもっていた。ローマ時代のイベリア半島は、セビリヤを中心としたベティカ地方、メリダを中心としたルシタニア地方、それにこのタラゴナを中心にしたタラコネンセ地方の3地方に分割されていた。そのタラコネンセ地方の首都タラコ(現タラゴナ)は重要な要衝で、イベリア半島最大の地方首都へと発展し、他の地方都市のモデルともなった。今日良好に保存されているローマ城壁、帝国崇拝の囲い、フォルン・プロビンシアル、サーカス、フォルム(公共広場)、円形野外競技場、円形闘技場・大聖堂・ロマネスク教会、初期キリスト教の墓地、水道橋、エスシピオネスの塔、採石場、セントセジェス霊廟、ムンツの別荘、バラの凱旋門の14の構成資産からなるタラコの考古遺跡群から当時の繁栄ぶりを窺い知ることが出来る。
ドニャーナ国立公園 ドニャーナ国立公園は、スペインの南部、アンダルシア自治州ウエルヴァ県、セビリア県、カディス県、この地方を流れるグアダルキビル川の河口にある面積730km2のスペイン最大の国立公園、ヨーロッパでも最大級の自然保護区で、ヨーロッパの野生動物にとって最後の楽園だと言われている。マリスマスという湿原地帯、アレナス・エスタビリサダスという固まった砂地、ドゥナス・モナレスという動く砂丘、サンゴ礁などの変化に富んだ地形と、地中海性気候がつくりあげた自然と植物層からなる。雁、カモ、オオフラミンゴなどの渡り鳥や水鳥、食物連鎖をなすアナウサギ、イベリアオオヤマネコ、マングース、カタジロワシなどが生息している。ドニャーナ国立公園の複数の入り口には、一般向けの案内所がある。1980年にユネスコの「人間と生物圏計画」(MAB計画)に基づく生物圏保護区、それに、毎年50万羽以上の水鳥の越冬地となるこの地は、1982年にラムサール条約の登録湿地にもなっている。2005年には登録範囲の拡大が行われた
ブルゴス大聖堂 ブルゴス大聖堂は、スペインの北部、カスティーリャ・イ・レオン自治州にある宝石のように洗練された大聖堂。ブルゴスは、かつては、カスティーリャ王国の首都として栄えた。ブルゴス大聖堂は、13世紀にフェルナンド3世の命により建設が始まり、16世紀に完成したスペイン・ゴシック建築の最高傑作で、随所にスペイン独自の技巧と装飾を凝らした芸術性の非常に高いものである。セビリア、トレドに次いでスペインで3番目に大きい聖堂で、13の礼拝室がある内部の装飾も各時代の特徴を反映したバラエティ豊かなものである。ブルゴスは、レコンキスタ(国土回復運動)の英雄エル・シドの故郷としても有名で、大聖堂には、彼と妻の墓が収められている。
ポブレット修道院 ポブレット修道院は、スペインの東部、カタルーニャ自治州バルセロナの西約80kmのタラゴナ県コンカ・デ・バルベラ郡ビンボディ町にある。ポブレット修道院、すなわち、サンタ・マリア・デ・ポブレット修道院は、1149年にラモン・ベレンゲール4世が計画、1151年に着工、シトー会派の修道士が何世紀にもわたって建築した。外壁の総延長が2km、内壁の防壁延長が608m、厚さが2mの三重に囲まれた壁の中には、礼拝堂、王室、図書館、食堂、回廊などがある。ポブレット修道院の修道士たちは、700年もの間、外界とは隔絶して清貧と祈りの生活を送っていた。20世紀初頭に国の文化財に指定されるまでの間、無残にも荒れ果てた状態が続いた。その後修復工事が行われ、1940年以降はシトー派修道会の修道士が再び修道生活を始めている。
ラス・メドゥラス ラス・メドゥラスは、スペインの北部、カスティーリャ・イ・レオン自治州とガリシア自治州の中間にある。ローマ帝国は、紀元後1世紀頃にラス・メドゥラスで、水力による金の発掘を始め、約100年続いた。採掘場の面積は全長3km、最も深いところでは100mにも及ぶローマ帝国の最大規模の鉱山の一つに数えられ、およそ800tの金が採掘されたと推定されている。その後、この地はさしたる産業の発展もなかった為、当時の技術による採掘の現場、坑道、残滓などの名残り、そして、荒廃した廃坑の奇異形景が手つかずのまま斜面に広がっている。当時の事業の規模の大きさと、技術の高さをうかがい知ることのできる貴重な遺産。
ヴィスカヤ橋 ヴィスカヤ橋は、スペインの北部、バスク自治州ヴィスカヤ県ビルバオ市郊外を流れるイバイサバル川の河口に架かり、ポルトゥガレテとゲチョの町とを結ぶ。ヴィスカヤ橋は、バスクの建築家のアルベルト・デ・パラシオ氏によって設計され1893年に完成、開通した。長さが160m、水面からの高さが45mにあるヴィスカヤ橋は、19世紀の鉄作業の伝統と当時の鉄のロープの新しい軽量技術を併合する。吊り下げられたゴンドラの上に人と車を運搬する為の世界で最初の運搬橋で、今では幾つかしか残っていないが、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカで多くの運搬橋のモデルとなった。軽量鉄ケーブルの画期的な使用と共に、ヴィスカヤ橋は、産業革命の顕著な建築学上の鉄の建造物として見なされている。通称、吊り橋、運搬橋、ポルトゥガレテ橋とも呼ばれ親しまれている。
アラゴン地方のムデハル様式建築 アラゴン地方のムデハル様式建築は、スペインの東部、アラゴン自治州のテルエル県やサラゴサ県の教会群で見られる。12世紀にイスラム教徒から支配を取り戻したアラゴン王朝の下に残ったキリスト教徒が、12〜16世紀に、テルエルの聖ペドロ教会、サルバドール教会、聖マルティン教会、サンタ・マリア・デ・メディアビーヤ教会、サラゴサの大聖堂、聖パブロ教会、アルハフェリア宮殿、カラタユのサンタ・マリア教会、セルベラ・デ・カニャーダのサンタ・テクラ教会、トベスのサンタ・マリア教会にその痕跡を沢山残した。ムデハル様式とは、キリスト教とイスラム教の2文化が融合した様式で、レンガやタイルを複雑に組み合わせた幾何学模様や寄せ木細工等はその特徴のひとつ。
アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代の洞窟芸術 アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代の洞窟芸術は、スペインの北部、カンタブリア自治州、アストゥリアス自治州、バスク自治州に展開する。スペイン北部の旧石器時代の洞窟芸術は、紀元前35000年から11000年にかけて、ウラルからイベリア半島にかけてのヨーロッパで発展した旧石器時代の洞窟画を代表するものである。なかでも、カンタブリア自治州サンティリャーナ・デル・マルにあるアルタミラ洞窟は、スペイン北部の旧石器時代の洞窟画を代表するもので、1879年、ピクニック中の父娘により発見された。アルタミラ洞窟の全長は270mあり、その中には、後期旧石器時代(紀元前15000〜12000年)に描かれたバイソンやイノシシ、ウマ、シカなど狩猟に関連した動物が、彩色で写実的に描かれている。入口の高さは2m、奥には天井の高さ12mの大広間と呼ばれる空間がある。呪術的儀式を行う宗教空間であったと考えられている。焚火跡も発見された。最近は洞窟内部の気温や湿度、炭酸ガスの含有量の変化によりかなりの傷みが目立つようになった。第32回世界遺産委員会ケベック・シティ会議で、1985年に世界遺産登録された「アルタミラ洞窟」に17の旧石器時代の装飾洞窟群を構成資産に追加、登録範囲を拡大し、現在の登録遺産名に変更した。
イビサの生物多様性と文化 イビサの生物多様性と文化は、スペインの離島部、西地中海に浮かぶ美しい砂浜と快適な気候に恵まれたバレアレス諸島の西部イビサ島、フォルメンテラ島、フレウス小島群で構成される。この一帯は、松林、アーモンド、いちじく、オリーブ、ヤシの木などの植生に恵まれ、地中海でしか見られない重要な固有種の海草「ポシドニア」、それに、草原状の珊瑚礁が、海洋と沿岸の生態系に良い影響を与え、絶滅危惧種の地中海モンクアザラシなどの生息地にもなっている。イビサ島は、紀元前654年に、カルタゴ人によって建設されたが、地勢的に地中海の要所にある為、歴史的にも、ローマ帝国、ヴァンダル人、ビザンチン帝国、イスラム諸国、アラゴン王国など様々な勢力の間で、支配権が争われてきた。イビサには、フェニキア・カルタゴ時代の住居や墓地などの考古学遺跡、スペイン植民地の要塞の発展に大きな影響を与えた軍事建築の先駆けともいえる16世紀の要塞群で囲まれた旧市街(アルタ・ヴィラ)の町並みが今も残っている。
エルチェの椰子園 エルチェの椰子園は、スペインの東部、ヴァレンシア自治州ヴァレンシアの南約140kmにあるヨーロッパ最大規模の200万平方メートルもの椰子園。エルチェの名を広めた椰子園(パルメラル)は、8世紀にアラブ人がイベリア半島を支配していた時期に北アフリカのアラブ式農法を導入したもので、今も昔ながらの景観を引き継いでいる。エルチェの気候は、温暖な地中海性気候で、見事な灌漑施設がある椰子園には、約20万本の椰子が植わっている。これらはエルチェ市内にあるクラ植物園の植物と共に独特な文化的景観を創出している。
ガラホナイ国立公園 ガラホナイ国立公園は、スペイン本土から南へ約1000km、北アフリカの大西洋岸に位置するカナリア諸島のゴメラ島にある国立公園。ゴメラ島は大西洋上にある常夏の火山島。最高峰のガラホナイ山(標高1487m)を中心に広がる約40平方kmのガラホナイ国立公園には、太古の植物群が残り、半分以上がカナリア月桂樹の森林に覆われている。氷河作用の影響を受けていないこの島には、数百万年前の地中海沿岸に分布していた植物の残存種が植生している。ハトなどの鳥類、ラビシェ、トゥルケなどの小動物、それに、昆虫などの固有種が存在するなど、種や生態学の研究にとって、かけがえのない貴重な自然が残されている。
コア渓谷とシエガ・ヴェルデの先史時代の岩壁画 コア渓谷とシエガ・ヴェルデの先史時代の岩壁画は、ポルトガルの北東部、ポルトの東100km、ドゥーロ川の上流域、それに、スペインの西部のカスティーリャ・イ・レオン自治州サラマンカ県シエガ・ヴェルデに展開する。1993年に考古学者によって発見された2万年前の旧石器時代の岩壁画は、人間文化発展の黎明期における作品である。コア渓谷(フォス・コア)の先史時代の岩壁画は、コア渓谷に沿った15kmの範囲にわたり16箇所に点在する。馬、鹿、牛やその他の動物など人類初期の生活を描いた数多くの岩壁画は、当時の社会、経済、精神生活に光明を投げかける。この地域は、当初、ポルトガルの電力会社の水力発電用のダム建設が計画されていたが、この遺跡保護の声が高まり中止された経緯がある。「コア渓谷の先史時代の岩壁画」は、2010年の第34回世界遺産委員会ブラジリア会議で、スペイン側のカスティーリャ・レオン州サラマンカ県にある動物などが645も描かれた「シエガ・ヴェルデの先史時代の岩壁画」を構成資産に加えて、登録範囲を拡大し、登録遺産名も「コア渓谷とシエガ・ヴェルデの先史時代の岩壁画」に変更になった。
コルドバの歴史地区 コルドバの歴史地区は、スペインの南部、アンダルシア自治州セビリアの北東約130kmにあるコルドバ県の県都コルドバ市にある。ウマイヤ朝の785年に建造されたメスキータ(回教寺院)は、13世紀に町がキリスト教徒に奪回されるとキリスト教の大聖堂に改造された。メッカのカーバ神殿に次ぐ世界第2の規模で、内部は1000本近くの柱から構成されており、イスラム教とカトリック教の融合が美しい。その他、グアダルキビル川に架かるローマ橋、ローマ時代の広間や中庭、アラブ様式の見事な庭園を持つ14世紀のアルカサル城砦、14世紀のムデハル様式のユダヤ教会など、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の3つの文化が交錯し複雑な歴史を伝える。コルドバの歴史地区は、1984年に「コルドバのモスク」として、世界遺産登録されたが、1994年に登録範囲を拡大した。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ(旧市街) サンティアゴ・デ・コンポステーラは、スペインの北西端、ガリシア自治州にある。9世紀初頭に、イエス・キリストの12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の墓が発見されてから脚光を浴びる様になった。この地は、エルサレムやヴァチカンと同様、キリスト教徒の精神的な支えとなり、憧れの聖地として、スペイン、フランス、ドイツなどヨーロッパ各地からの巡礼者で賑わった。旧市街、なかでも、オブラドイロ広場に面したロマネスク様式の大聖堂<カテドラル>は、サンティアゴ・デ・コンポステーラのシンボルで、スペイン・ロマネスク様式の最高傑作と評価を受けている「栄光の門」は、キリスト像や十二使徒の像で飾られている。内部中央祭壇には、聖ヤコブの像が祭られ、祭壇下へ通じる階段を降りると聖ヤコブの遺体を納めた銀の棺がある。サンティアゴ・デ・コンポステーラは、略称サンティアゴと呼ばれている。
セゴビアの旧市街とローマ水道 古都セゴビアは、スペインの中央部、カスティーリャ・イ・レオン自治州の南部にあるセゴビア県の県都で、グアダラマ山脈の北西麓、標高1000mに位置する。ローマ時代から戦略上重要な位置にあり、中世にはカスティーリャ王国の主要都市として繁栄した。城壁に囲まれた旧市街には、マヨール広場を中心に11〜12世紀時代の大聖堂や教会がある。また、12世紀のカスティーリャ王国の城塞であるセゴビア城(アルカサル)は、1474年にイサベル女王がカスティーリャ王国の国王として戴冠式を行った場所であり、「白雪姫」のモデルになったとも言われている。それに、現在も使用されている100年頃のローマ時代にトラヤヌス帝によって建てられた巨大なローマ水道橋は、花崗岩を積み上げたもので、全長728m、119のアーチからなっている。
テイデ国立公園 テイデ国立公園は、スペイン本土から南へ約1000km、北アフリカの大西洋岸に位置するカナリア諸島の7つの島々の中で最大のテネリフェ島にある。テイデ国立公園は、スペイン最高峰のテイデ・ビエホ火山(3718m)を中心に展開し、海床から山頂までの高さが7500mになり、世界で3番目に高い火山体構造で、自然景観、それに、地形の発達における大洋島の重要な地学的な進行過程がわかる地球史上の主要な段階を示す顕著な見本である。テイデ国立公園の世界遺産の登録範囲は、核心地域が18990ha、緩衝地域が54128haで、イエルバ・パホネラ、チョウゲンボウ、もず、ラガルト・ティソンなどの動植物の生態系も多様で、稀少種や固有種の生息地となっている。
バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院 バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウ病院は、スペインの東部、カタルーニャ自治州バルセロナの市街にある。ガウディと同時代の建築家ドメネック・イ・ムンタネルによるカタルーニャ文化を表現した建築物。ドメネック・イ・ムンタネル(1850〜1923年)は、モデルニスモ(アール・ヌーヴォー)の理論的な提唱者としてカタルーニャ文化を代表する芸術家として知られている。カタルーニャ音楽堂は、1905〜1908年に建設された光と空間に溢れた力強い鉄筋建築で、外部には、古今の有名音楽家の胸像がずらりと並んでいる。内部は、ステンドグラスの天井、クジャクの彫刻のある柱など、ドメネック・イ・ムンタネルの工法の集大成ともいえる装飾が施されているユニークなコンサート・ホール。サン・パウ病院は、1901〜1930年に建設された力強さに溢れたデザインのドーム状の建物で、外壁をレンガで覆う工法で、病院としての設備も完備している。
ヘラクレスの塔 ヘラクレスの塔は、スペインの北部、ガリシア自治州のアルタブロ湾の西端の岬に聳え立つ古代ローマ時代の灯台である。ガリシア自治州ラ・コルーニャ県の港湾都市ラ・コルーニャ市のシンボルで、市のエンブレムにもなっている。ヘラクレスの塔は、2世紀のローマ時代に、先進的な建造技術と天測航法の知識で建てられた世界最古の灯台で、「死の海岸」とも呼ばれる荒波と強風の危険な海域を照らす灯台は、その長い歴史を誇り、今もなお、大西洋の海の安全の為に使用されている。ヘラクレスの名前は、ギリシャ神話の主神ゼウスの息子のヘラクレスの名前と戦争から民衆を救った英雄伝説に由来する。ヘラクレスの塔の高さは約68m、石造で、その石積み技術は、大変素晴らしい。1791年に、軍事技師のウスタキオ・ジャンニーニによって機能的に改修された。ヘラクレスの塔は、ユニーク、完全、真正性のあるモニュメントであり、地中海から新世界への海洋文化を象徴する文化遺産である。ヘラクレスはエルクレスとも表記する。
マドリッドのエル・エスコリアル修道院と旧王室 マドリッドのエル・エスコリアル修道院と旧王室は、スペインの中央部、マドリッドの近郊、北西約50km、グワダラーマ山脈の麓の町サン・ロレンソ・デル・エスコリアルにある。エル・エスコリアル修道院と王宮は、フェリペ2世が対仏戦勝記念として1563年に建設を始め、21年後に完成。建物のデザインは、余分な装飾を省き簡素であるが、花崗岩が使われており、そのスケールは、東西206m、南北161mと壮大。王室の修道院は、離宮と一体化したスペイン・ルネッサンスの代表建築で、制作者エローラの独自性がよく表われており、エローラ様式と呼ばれている。エル・エスコリアル修道院の内部には、6つのパティオ(中庭)があり、「王の中庭」は側面のむきだしの壁と正面の装飾を施したファサードとの対比が見事。また教会部分の丸天井にルーカス・ホルダンによるフレスコ画が描かれている高さ92mのドームも印象的。
ルーゴのローマ時代の城壁 ルーゴのローマ時代の城壁は、スペインの北部、ガリシア自治州ルーゴ県ルーゴ市にある。ルーゴが2世紀後半にルークス・アウグスティと呼ばれるローマ帝国の町だった頃、この町を防御するために建造された。ルーゴの町の中心を取り囲む城壁は、周囲が2117m、高さは8mから12m、幅は4mから7mで、ローマ時代のミミャ門、ファルサ門、サン・ペドロ門、ノバ門、サンティアゴ門、それに、ア・モスケイラの塔の遺跡など周りがすべて損傷なく残存している。ルーゴのローマ時代の城壁は、西欧で見られるローマ帝国時代の城砦建造技術を今に伝える最も見事な事例である。
アランフエスの文化的景観
アランフエスの文化的景観は、スペインの中央部、マドリッドから47kmのところにある緑豊かな町アランフエスの自然環境と人間との共同作品で、素晴しい庭園に囲まれた美しい王宮がある。タホ川流域の肥沃なこの平野には、15世紀から王族が住み始めた。現在の王宮と庭園は、17世紀のスペイン・ブルボン王家によって建てられた。度重なる火事の為、何度も修復が行われたが、均衡のとれた美しさは元のまま。パルテレ庭園には、彫像、イスラム庭園には噴水がある。英国式の庭園、プリンシペ庭園には、カルロス4世によって建てられたネオ・クラシック様式の狩猟館、カサ・デル・ラブラドールがある。王宮周辺のアランフエスの町は、18世紀に入ってからフェルナンド4世によって建設が始められた。街路や家屋の設計は当時の啓蒙運動の考えに沿ったもので、数々の邸宅や歴史的建造物なども素晴しいものがたくさん残っている。昔からスペイン王室が好んだこの地には彼らの王宮(離宮)がある。それから“漁夫の家”と呼ばれるものも、この近くにあり、これもまた王室のもので、18世紀、19世紀の王様や御后の個人的持ち物であった川遊び用の船を保管、展示してある。アランフエスは、スペインの作曲家ホアキン・ロドリ−ゴの名曲「アランフエス協奏曲」でも有名である。
アントニ・ガウディの作品群 アントニ・ガウディの作品群は、スペインの東部、カタルーニャ自治州のバルセロナとサンタ・コロマ・デ・セルヴェロに分布し、スペインの孤高の建築家でカタルーニャ・モデルニスモの旗手アントニ・ガウディ(1852〜1926年)の作品、グエル公園(1904〜1916年)、グエル邸(1886〜1890年)、ミラ邸(1906〜1910年)などからなる。グエル公園は、もともと未来指向の住宅地として計画されたが、後に公園に転用された。デザインとレイアウトは、カラフルで美しい波うつようなセラミック・ベンチの広場や「百本柱」の空間などガウディ独特の奇抜な彫刻などで飾られた夢とおとぎの不思議な世界。グエル邸は、建築材料として、鉄材とセラミックを多用した豪華な住宅。ミラ邸は、別名「ラ・ペドレラ」(石切り場)とも呼ばれ、大胆な曲線を多用した風変りなアブストラクト彫刻の集合住宅。鬼才ガウディによるこれらの作品群は、建築素材の持ち味を生かした独創的なデザインで芸術的。2005年、サグラダ・ファミリアのイエス降誕のファサードと地下聖堂(1884〜1926年)、ヴィンセンス邸(1883〜1885年)、バトリョ邸(1904〜1906年)、サンタ・コロマ・デ・セルヴェロにあるコロニア・グエル教会の地下聖堂(1898〜1905年)の4つの建造物群が新たに登録範囲に加えられ、登録遺産名も変更された。
イベリア半島の地中海沿岸の岩壁画
イベリア半島の地中海沿岸の岩壁画は、スペインの東部のアンダルシア、アラゴン、カスティーリャ・ラ・マンチャ、カタルーニャ、ヴァレンシア、ムルシアの各自治州に群在し、地中海付近の主な山岳地帯を中心に700か所以上で発見されている。中石器時代の岩絵は、ヨーロッパの岩壁に描かれた岩絵の中で最大級のものであり、人間文化発展の胞芽期における、狩猟などの人間の生活場面が描かれ生活記録的な性格が強い。赤、黒、黄などで描かれた彩画で、洞窟内のものもあるが、ほとんどが岩壁に描かれたもので、外気にさらされながらも保存の状態がよい。最も集中しているのがレバンテ地方(ヴァレンシア自治州一帯)で、紀元前6千年から1万年前に狩猟で生活を支えている人々が力強く描かれている。人類文化の初期の生活を知る貴重な資料として、今後の一層の解明が待たれる。
オヴィエドとアストゥリアス王国の記念物 オヴィエドとアストゥリアス王国の記念物は、スペインの北部、アストゥリアス自治州オヴィエド市にある。8世紀にイスラム教徒の侵入を撃退、アストゥリアス王国を建国、国土回復運動(レコンキスタ)の拠点となった。8〜11世紀に王国の首都オヴィエドを中心に、ロマネスク建築の先駆となる独特の様式の建築物が建てられた。サンタ・マリア・デル・ナランコ教会、サン・ミゲル・デ・リーリョ教会、サンタ・クリスティナ・デ・レナ教会の3つの教会は、その代表的な建物で、古代ローマのバシリカ建築の影響を受けている。1998年に登録範囲を拡大し、カテドラルの聖院(カマラ・サンタ礼拝堂)、サン・フリアン・デ・ロス・プラドス教会、フォンカラーダの泉の3つの構成資産が新たに加わった。
クエンカの歴史的要塞都市 クエンカの歴史的要塞都市は、スペインの中央部、カスティーリャ・ラ・マンチャ自治州クエンカ県の県都で、首都マドリッドの南東約130kmにある。ムーア人によって建設されたコルドバの防衛基地で、中世の要塞都市であった。壮大な田園風景に取り囲まれ、12世紀にはアルフォンソ8世によって、王家の町として繁栄した。スペイン最初のゴシック様式の大寺院や、フーカル川を臨む絶壁にぶら下がる様に建てられた独特な家並みは、見事な景観を見せている。「宙づりの家」、「不安定な家」とも呼ばれているゴシック建築の建物は、現在、抽象美術館やレストランになっており、夜のライトアップも美しい。
古都サラマンカ 古都サラマンカは、スペインの西部、カスティーリャ・イ・レオン自治州サラマンカ県の県都である。1250年に、アルフォンソ10世によって、スペイン最古のサラマンカ大学が開かれ、学問の中心となった。サラマンカの旧市街には、サラマンカ大学をはじめ、12世紀のロマネスク様式の美しい回廊をもつ旧カテドラルや16世紀の新カテドラル、ガーリョ塔、15世紀の邸宅など貴重な建造物が点在する。なかでも、マヨール広場は、スペイン・バロック建築の最高峰の一つで、単一の様式でまとめられた、スペイン一美しい広場とされている。また、「貝の家」はファサードに300にも及ぶ「サンティアゴ巡礼」のシンボルの帆立貝の殻の装飾が施されたユニークな建物で、現在は図書館として使われている。
サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナは、スペイン本土から南へ約1000km、北アフリカの大西洋岸に位置するカナリア諸島のテネリフェ島の北東にある町。1497年に湖岸につくられた歴史的に由緒のある町で、何世紀にもわたって、テネリフェ島の政治、軍事、そして、宗教、文化の中心都市として重要な役割を果たした。16〜18世紀にかけて、広い街路やオープン・スペースに、荘厳で芸術的なサン・フランシスコ教会、クリスト・デ・ラ・ラグーナ教会、サンタ・カタリナ修道院などの教会、美しいタウン・ホールなどの公共建築物、民間のマンションが数多く建てられた。植民都市として理想的な要塞のないこの町の計画的なコロニアル様式の町並みは、その後、スペインがアメリカ大陸で展開する多くの植民地の町づくりのお手本となった。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道は、スペインの北部、11世紀には、年間50万人以上の巡礼者がサンティアゴ・デ・コンポステーラをめざして旅していたといわれる巡礼の道。キリスト教徒は、8〜15世紀のレコンキスタの間もヨーロッパ各地からスペインの聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラをめざしてピレネー越え2ルートが合流するプエンテ・ラ・レイナから北部ログローニョ、ブルゴス、レオンを経て中世の道800km余を歩いた。巡礼の道筋に当時建設された教会、修道院、病院、塔、橋などの遺跡が多数残り、今も続く巡礼の旅人を敬虔な気持ちにさせてくれる。欧州評議会は、1987年にサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道を「文化の道」として選定している。
セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館 セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は、スペインの南部、アンダルシア自治州セビリア県の県都セビリアにある。セビリア大聖堂は、15世紀に建てられた後期ゴシック様式の建物。ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次ぐ世界第三の規模を誇る。レコンキスタ以前には、この地には巨大なモスクが建っていたといわれ、ヒラルダ(風見)の塔は、かつてはモスクの尖塔であった大聖堂に付設された高さ98mの鐘楼である。セビリア大聖堂の中には、新大陸を発見したクリストファー・コロンブスの棺が置かれている。セビリア大聖堂の向かいに建つアルカサルは、13世紀の王宮で、華麗なムデハル様式。後の王による改修でゴシック様式、ルネッサンス様式も混在する。インディアス古文書館は、元は、商品取引所であった。16世紀から200年間にわたるアメリカ大陸関係の文書や地図、貿易関係の資料を保存している。セビリアでは、2009年6月に第33回世界遺産委員会が開催された。尚、1494年にスペインとポルトガルの両王が定めた東西分割協定のトルデシリャス条約は、世界記憶遺産に登録されており、インディアス古文書館に収蔵されている。最近の話題として、世界遺産登録範囲内での高層ビル建設プロジェクトによる開発圧力が問題になっている。
トラムンタナ山地の文化的景観 トラムンタナ山地の文化的景観は、スペインの南東部、バレアレス諸島自治州に属するマジョルカ島北西部のトラムンタナ山地で見られる地中海山岳部の農業景観である。農業には適さない急峻な地形条件にもかかわらず、気候や植生に恵まれていた為、この地の人々は、地形の斜面に石垣を構えた階段状の農地を造り、1000年間にわたって農業を営んできた。海を望む段々畑と段々畑との間に石橋を架けて水路を設けるなどの工夫が、オリーブの木々、ブドウなどの果実や野菜が育つ肥沃で生産的な農地を生んだ。トラムンタナ山地の文化的景観は、トラムンタナ山地の自然環境と長年にわたって山岳地の棚畑で農業を営んできた人間の努力の結晶ともいえる共同作品である。
ピレネー地方-ペルデュー山 ピレネー地方-ペルデュー山は、スペインの東部、アラゴン自治州とフランスの南西部、ミディ・ピレネー地方にまたがるペルデュー山を中心とするピレネー地方の自然と文化の両方の価値を有する複合遺産である。ペルデュー山は、アルプス造山運動の一環によって形成された石灰質を含む花崗岩を基盤とした山塊で、スペイン側では、ぺルディード山(標高 3393m)、フランス側では、ペルデュー山(標高 3352m)と呼ばれる。世界遺産の登録面積は、スペイン側が20134ha、フランス側が10505haで、オルデサ渓谷、アニスクロ渓谷、ピネタ渓谷などヨーロッパ最大級の渓谷群、北側斜面の氷河作用によって出来た、ピレネー山脈最大のガヴァルニー圏谷(カール)などから構成され、太古からの山岳地形とその自然景観を誇る。また、ピレネー地方は、ヨーロッパの高山帯に広がる昔ながらの集落、農業や放牧などの田園風景は、自然と人間との共同作品である文化的景観を形成している。1988年にスペイン・フランス両国間で、ペルデュー山管理憲章が締結されているが、二国間協力が不十分である。
ボイ渓谷のカタルーニャ・ロマネスク教会群 ボイ渓谷のカタルーニャ・ロマネスク教会群は、スペインの東部、カタルーニャ自治州レリダ県ピレネー地区ヴァル・デ・ボイにある。カタルーニャ地方には、1900を超えるロマネスク教会があると言われ、なかでも、レリダ県ピレネー山麓の険しく切り立ったボイ渓谷にあるロマネスク様式の教会群は独創的で力強いスタイルを持ち、ピレネー山麓の大自然の風景の中に一体となって溶け込んでいる。タウール村にある11世紀建造のサン・クレメンテ教会は、6層からなるすらりとした鐘塔が印象的な教会。内部には12世紀に描かれたカタルーニャ・ロマネスク美術の最高傑作ともいわれるフレスコ画「全能者キリスト」があったが、現在オリジナルは、バルセロナ・カタルーニャ美術館に展示されている。また、同時期に建てられたサンタ・マリア教会のフレスコ画も同美術館に移転、保存され、スペインのみならずヨーロッパで最も重要なロマネスク美術遺産とされている。
メリダの考古学遺跡群 メリダの考古学遺跡群は、スペインの西部、エストレマドゥーラ自治州のグアディアナ川の北岸にあり、かつては小ローマと呼ばれた様に、ローマ時代の輝かしい遺跡の数々が歴史の奥深さを物語っている。メリダは、ローマ皇帝アウグストゥスによって紀元前25年にローマ帝国の属州ルシタニアの都として建設された都市で、エメリタ・アウグスタと呼ばれ、キリスト教伝播の中心都市としても栄えた。当時の遺跡として宮殿、円形劇場、水道、城壁などが残る。「メリダ」の呼称は、アウグストゥスによる「エメリタ・アウグスタ」の命名に由来する。交通の要所として繁栄したが、8世紀初めにイスラムの侵攻にあって衰退した。
ヴァレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ ヴァレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダは、スペインの東部、中世に地中海貿易の中継地として繁栄したヴァレンシアにある1482年から1533年にかけて建てられた建物。ゴシック後期のフランボワイヤン様式の傑作である貿易会館「ロンハ」は、15〜16世紀に絹取引で栄えた地中海の商業都市の富と権力の象徴。セダとは、スペイン語で絹のことで、この絹取引による繁栄によって、ナポレオンの侵略や20世紀のフランコ独裁にも対抗しえた。正面を入ってすぐの大広間は、高さ17mにも及ぶ螺旋模様の入った何本もの柱によって支えられ、柱の延長線上には椰子の木が葉を広げるような形で天井に筋上の美しい模様を描いている。また塔の一階は教会、二階と三階は支払いで問題を起こした商人の監獄として使われた。また、海上貿易の取引検査院で商取引に関連する様々な問題に対処した「海洋領事室」もおかれていた。現在この建物はコンサートなどのイベント会場として使われている他、日曜日には古銭と切手の市が開かれる。ヴァレンシアは、現在スペイン第3の都市として重要な役割を担っている。
アグテレック・カルストとスロヴァキア・カルストの鍾乳洞群 アグテレック・カルストとスロヴァキア・カルストの鍾乳洞群は、ハンガリーとスロヴァキアとの国境にまたがるアグテレック、スセンドロ・ルダバーニャ丘陵、ドブシンスカー氷穴などのカルスト台地と鍾乳洞の7つの構成資産からなる。ハンガリー側は、1985年に「アグテレック・カルスト国立公園」に、スロヴァキア側は、2002年に「スロヴァキア・カルスト国立公園」に、それぞれ指定されている。ハンガリーとスロヴァキアとを繋ぐバルドゥラ-ドミツァ洞窟は、ヨーロッパで最も大きい洞窟といわれ、全長25kmに及ぶ。これまでに発見された洞窟の数は、712あるとされ、そのうちの262がハンガリー側にある。洞窟群の内部には、長い歳月の自然の営みによって造形された鍾乳石や石筍が多く並び、光によって芸術的な輝きを放っている。一方、アグテレック・カルストとスロヴァキア・カルストの鍾乳洞群は、酸性雨、それに、化学肥料や農薬による地下洞窟の水質汚染などの脅威にさらされている。
バルデヨフ市街保全地区 バルデヨフは、スロヴァキア北東部のプレフ地方にある14世紀から16世紀にかけて建設されたゴシックとルネッサンス様式の建造物が数多く残るスロヴァキアで最も傑出した中世の小さな要塞都市。バルデヨフ市街保全地区には、古くから栄えた中欧の交易都市の経済・社会構造のなごりを今もとどめる町並み、建造物、要塞が残っている。また、市街保全地区の一角の18世紀に建てられたユダヤ教の礼拝堂があるユダヤ人街区も印象的。
ヴルコリニェツ ヴルコリニェツは、スロヴァキアの中部に位置し、中央ヨーロッパ山岳部に多く見られる木造の建物45戸を保存する、いわば、スロヴァキア版の白川郷・五箇山といえる。18世紀の面影を残したスラブ民族の伝統的な民家と暮らしぶりがしのばれる。村全体が歴史的民族建造物保存地区になっている。
カルパチア山脈地域のスロヴァキア側の木造教会群 カルパチア山脈地域のスロヴァキア側の木造教会群は、スロヴァキアの東部と中部、プレショフ、ジリナ、バンスカー・ビストリツァ、コシツェの4つの州にまたがる。カルパチア山脈地域のスロヴァキア側の木造教会群は、16〜18世紀に、以前には高地ハンガリーとして知られる地域の小さな寒村に建てられた2つのローマ・カトリック教会、3つのプロテスタント教会、3つのギリシャ正教会の8教会群(ヘルヴァルトフ、トヴルドシーン、ケジュマロク、レシチニ、フロンセク、ボドルジャル、ラドミロヴァー、ルスカー・ビストラー)からなる。カルパチア山脈地域のスロヴァキア側の木造教会群は、ラテン文化とビザンチン文化が融合して出来た宗教建築で豊かな地方の伝統文化の証しである。それぞれの宗教的な慣習に応じて、設計、内部空間、外観において、異なる建築様式がとられている。それらは、建設された時代の建築的、芸術的な流行の発展を示すもので、教会内部の壁や天井は、絵画で装飾されている。
カルパチア山脈の原生ブナ林群とドイツの古代ブナ林群 カルパチア山脈の原生ブナ林群とドイツの古代ブナ林群は、ヨーロッパの東部、スロヴァキアとウクライナ、それにドイツの3か国にわたり展開する。カルパチア山脈の原生ブナ林群は、世界最大のヨーロッパブナの原生地域で、スロヴァキア側は、ボコヴスケ・ヴルヒ・ヴィホルァト山脈、ウクライナ側は、ラヒフ山脈とチョルノヒルスキー山地の東西185kmにわたって、10の原生ブナ林群が展開している。東カルパチア国立公園、ポロニニ国立公園、それに、カルパチア生物圏保護区に指定され保護されている。ブナ一種の優占林のみならず、モミ、裸子植物やカシなど別の樹種との混交林も見られるため、植物多様性の観点からも重要な存在である。ウクライナ側だけでも100種類以上の植物群落が確認され、ウクライナ版レッドリスト記載の動物114種も生息している。しかし、森林火災、放牧、密猟、観光圧力などの脅威にもさらされている。2011年の第35回世界遺産委員会パリ会議で、登録範囲を拡大、進行しつつある氷河期以降の地球上の生態系の生物学的、生態学的な進化の代表的な事例であるドイツ北東部と中部に分布する5つの古代ブナ林群(ヤスムント、ザラーン、グルムジン、ハイニッヒ、ケラヴァルト)も登録範囲に含め、登録遺産名も「カルパチア山脈の原生ブナ林群」から現在の登録遺産名に変更した。
バンスカー・シュティアヴニッツアの歴史都市と周辺の技術的な遺跡 バンスカー・シュティアヴニッツアは、銅や銀の採掘・精錬で古くから発展してきたスロヴァキアの中部にある町。バンスカーとは、スロヴァキア語で鉱山を意味する言葉。17〜18世紀には、優れた冶金技術を誇り、ヨーロッパ各地に輸出された。旧市街には、シュティアヴニッツア新城、聖カタリナ教会、アントル教会、旧市庁舎、トリニティ広場など鉱業にかかわる産業遺産が数多く残っている。ルネッサンス、ロマネスク、ゴシック、バロックの建築様式が併存している。また、近郊には、18世紀の中頃に、鉱山の排水を有効利用する為に建設されたクリンガー貯水池が残っている。尚、バンスカー・シュティアヴニッツアの鉱山地図は、世界記憶遺産に登録されており、スロヴァキア内務省鉱山アーカイヴに収蔵されている。
レヴォチャ、スピシュスキー・ヒラットと周辺の文化財 スビシュスキーは、スロヴァキア東部のブラニスコ山麓にある。世界遺産の登録面積は、1351.2ha、バッファー・ゾーンは、12580.7haである。スラブ人の大モラピア帝国は10世紀初めにハンガリーの侵入で崩壊、1918年までハンガリー王国の支配に服したが、スビシュスキー周辺には、13〜17世紀に建造されたロマネスク・ゴシック様式のスビシュ城(中央ヨーロッパでは最大の城の一つ)、スピシュスカ・カピトゥラ聖堂、聖マルティン大聖堂また、スピシュ地方のジェヘラにあるゴシック様式の聖霊教会などが美しい町並みをつくっている。2009年の第33回世界遺産委員会セビリア会議で、登録範囲を拡大して、13 〜14世紀に要塞内に創られたレヴォチャの歴史地区を加えた。レヴォチャの歴史地区は、15〜16世紀の祭壇がある14世紀の聖ジェームズ教会があり、マスター・ポールによって1510年頃に完成した高さが18.6mの祭壇画のある後期ゴシック様式での多彩なコレクションが収集されている。世界遺産の登録面積は、1351.2haになった。
アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群 アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、オーストリアのケルンテン連邦州とオーバーエスターライヒ連邦州、フランスのローヌ・アルプ地方とフランシュ・コンテ地方、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州とバイエルン自由州、イタリアのフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州、ロンバルディア州、ピエモンテ州、ヴェネト州、スロヴェニアのイグ市、それにスイスのベルンやチューリッヒなど14の州の6か国にまたがって分布している。これらは、紀元前5000年から紀元前500年にかけて、アルプス山脈や周辺のモントゼー湖やアッターゼー湖(オーストリア)、シャラン湖(フランス)、コンスタンツ湖(ドイツ)、カレラ湖(イタリア)、ツーク湖(スイス)などの湖群、リュブリャナ湿原(スロヴェニア)などの湿地群の畔に建てられた先史時代の杭上住居(或は高床式住居)の集落の遺跡群で、現認されている937のうち111(スイス 56、イタリア 19、ドイツ18、フランス11、オーストリア5、スロヴェニア 2)の構成資産からなる。杭上住居群は、多数の杭によって湖底や河床から持ち上げられ独特の景観を呈している。幾つかの場所で行われた発掘調査では、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代初期にかけての狩猟採集や農業など当時の生活や慣習がわかる遺構が発見されている。アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、保存状態が良く、文化的にも豊富な遺物が残っている考古学遺跡群である。
シュコチアン洞窟 シュコチアン洞窟は、スロヴェニア南西部、プリモルスカ県のポストイナ近郊にある古生代石炭紀を起源とする洞窟群。スロヴェニアは、国土の大半が石灰岩のカルスト地帯と森林で、ポストイナ鍾乳洞など6000もの石灰質の鍾乳洞がある。なかでも、シュコチアン鍾乳洞の洞窟は最大級で、地下渓谷は世界最大といわれている。シュコチアン洞窟に沈んだ2つの谷間を、付近の山を源とするレカ川が流れ、滝、石灰華が堆積してできた石灰段丘、ドリーネと呼ばれる神秘的な地底湖を形造り、水と石が演じる神聖な芸術的造形品の様相。地上に鍾乳石の橋が架かる奇観も呈する。洞窟内には、キクガシラコウモリなどの珍しい動物も生息している。
ガムジグラード・ロムリアナ、ガレリウス宮殿 ガムジグラード・ロムリアナ、ガレリウス宮殿は、セルビアの東部にある。ガムジグラード(古代名ロムリアナ)は、305〜311年まで在位した古代ローマ皇帝のガイウス・ガレリウス・ウァエリウス・マクシミアヌス(250〜311年)の生誕と死没の地と伝わっている。およそ6haの土地を囲む塁壁と塔のほか、すべての床面がモザイク装飾された宮殿、ガレリウスとその母ロムラの王墓が残されている。
コソヴォの中世の記念物群 コソヴォの中世の記念物群は、セルビア南部アルバニアとの国境に近いコソヴォ・メトヒヤ自治州にある。デチャニ修道院は、セルビア王ステファン・ウロシュ3世デチャンスキー(在位1321〜1331年)の為に14世紀半ばに創建された。デチャニ修道院は、バルカン地方におけるビザンチンと西ヨーロッパの中世の伝統とが融合した代表的な建物で、セルビアン・スラブ建築様式の傑作で、大理石で建てられており、中世のバルカンの教会群の中では、最も大きい。また、ビザンチンの絵画やロマネスクの彫刻があり、オスマン時代の絵画や建築の発展に大きく影響した。2006年には、新たにペチェ修道院、グラチャニカ修道院、リェヴィツァの聖母教会を追加し、登録物件名を変更。また、地域の政治的不安定による管理と保存の困難により、危機にさらされている世界遺産に登録された。
スタリ・ラスとソポチャニ スタリ・ラスは、セルビア南部にあり、1190年に建国された中世セルビア王国の首都であった。建国者のネマーニャが建てた王宮や要塞、それに、教会や修道院の遺跡が多数残されている。その一つが、セルビア最古の教会とされる10世紀頃に建てられた聖ペテロ教会。また、スタリ・ラスの南西にあるソポチャニには、かつて、セルビア正教会のシンボルであったソポチャニ修道院がある。付属の三位一体聖堂の内壁には、聖母マリアやキリストをモチーフにした、中世ビザンチン絵画の傑作とされる美しいフレスコ画が残っている。
ストゥデニカ修道院 ストゥデニカ修道院は、ベオグラードの南110kmのストゥデニカ河畔に、12世紀後半に建立された修道院。12世紀の聖母教会、聖ニコラス教会、14世紀の王立教会の3教会と食堂、塔からなる。ラスカ地方の独特のロマネスク様式とビザンチン様式が融合したラスカ様式の中世建築の傑作で、聖書を題材にしたフレスコ画の壁画も残る。
サラズムの原始の都市遺跡 サラズムの原始の都市遺跡は、タジキスタンの北西部、パンジケントの西15km、サマルカンドの東45km、ソグド州のパンジケント地区にある面積が約130haに及ぶ新石器時代の集落遺跡で、ウズベキスタンとの国境に近いザラフシャン渓谷のドゥルマンの近くにある。サラズムとは、「陸地の始まる所」という意味で、5000年以上前に建設され、農業、牧畜、それに、金、銀、銅、錫などの冶金の中心地として繁栄した。サラズム人は、紀元前4000年の中頃までに、トルクメニスタンの南部、イラン、バルチスタン、インド、アフガニスタンの古代の集落と交易し、彼らの文化を普及した。サラズムの原始の都市遺跡は、1976年に、近くの建設地で、考古学者のアブドゥロ・イサコフによって発見され、その後、住居群、記念碑的な建造物群、カルト・センター、それに、手造りのブロックが発掘されており、歴史・建築の国宝に指定されている。
オロモウツの聖三位一体の塔 オロモウツの聖三位一体の塔は、首都プラハの東およそ200km、北モラビア地方のオロモウツ旧市街の広場にある。オロモウツは、宮廷、教会、公園、庭園など芸術的造形にあふれたヨーロッパ文化の宝庫で、ルネッサンス、バロック、古典の各様式の建築物は、中世からの景観を今に残している。聖三位一体の塔は、高さが35mもあるチェコで最も巨大なバロック様式の彫刻で、ヨーロッパ屈指の美しい塔。この塔は、チェコの代表的な建築家であるヴァツラフ・レンダーと彼の弟子達の作品。オロモウツの聖三位一体の塔は、ハプスブルグ家が絶頂を誇ったマリア・テレジア治世の1754年に完成した。中欧におけるバロック芸術作品の最高傑作の一つ。
ゼレナ・ホラ地方のネポムクの巡礼教会 ゼレナ・ホラは、プラハ南東のモラビア高地にある。聖ヨハネ巡礼教会は、権力に屈することなく殉死した聖ヤン・ネポムツキーを称え建設されたベネディクト派カトリック教会で、フス戦争で破壊されたが、18世紀に再建された。ヤン・ネポムツキーの享年53歳(1393年) を意識した造形になっており、礼拝堂は五角形、窓は三角形となっており、斬新な設計である。
トルシェビチのユダヤ人街と聖プロコピウス大聖堂 トルシェビチのユダヤ人街と聖プロコピウス大聖堂は、モラヴィア地方南西部、ヴィソチナ地域トルシェビチ地区を流れるイフラヴァ川河岸にある。トルシェビチのユダヤ人街には、古くからのユダヤ人の墓地と聖プロコピウス大聖堂とが一緒にあり、中世から20世紀まで、ユダヤ教とキリスト教の異教徒の文化が共存してきた。トルシェビチのユダヤ人街は、ユダヤ人のコミュニティの生活とは異なった側面を有している。聖プロコピウス大聖堂は、13世紀初期にベネディクト修道院の一部として建てられた。聖プロコピウス大聖堂は、この地方において、西欧建築の影響を受けた類いない遺産である。
ホラソヴィツェの歴史的集落保存地区 ホラソヴィツェは、チェコの南部、南ボヘミア地方チェスキー・ブデヨビツェの西10kmの所にある田園風景が印象的な町。18〜19世紀に建てられたホラソヴィツェにある歴史的集落は、南ボヘミアの伝統的な民俗バロック様式と中世からの建築様式とピンク、黄、白など色鮮やかな外壁の色調とが見事に調和している。昔ながらに保存された素朴でおしゃれな伝統的家屋が集落の町並みを形成している。
クトナ・ホラ 聖バーバラ教会とセドリックの聖母マリア聖堂を含む歴史地区 クトナ・ホラは、チェコ中部、プラハの東約65kmにある銀山の開拓で発展したボヘミヤの町。13世紀初めに銀の鉱脈が発見され、14世紀には王室の造幣所が置かれたが、フス戦争(1419〜1436年)や三十年戦争(1618〜1648年)の影響で荒廃し、18世紀末には廃坑となった。聖バーバラ教会は、当代一流の建築家達によって建築された後期ゴシック様式の珠玉ともいわれる五廊式の教会。聖バーバラは、鉱山職人の守護聖人であった。セドリック地区にある12世紀の聖母マリア聖堂は、18世紀初期にバロック様式で改築された。これらは、中央ヨーロッパの建築に影響を与えた。
チェスキー・クルムロフの歴史地区 チェスキー・クルムロフは、首都プラハの南約140kmにあるブルタバ川沿いに開けた南ボヘミア州の小さな町。チェスキーは、チェコ語で「ボヘミアの」、クルムロフは、ドイツ語の「川の湾曲部の草地」を意味する言葉が語源である。13世紀に南ボヘミアの大地主ヴィテーク家が城を建設したのが町の起源。14世紀以降、ボヘミアの有力貴族であったローザンブルク家が支配した300年間に、プラハ城に次ぐ規模のチェスキー・クルムロフ城、バロック庭園、聖ヴィート教会などルネサンス様式やバロック様式の建物が数多く建設され、美しい町並み景観を誇る。5世紀以上にわたって平和が保たれていた為、貴重な歴史的建造物など中世の面影が当時のまま残されている。
ブルノのトゥーゲントハット邸 ブルノのトゥーゲントハット邸は、かつてはモラビア王国の首都として栄えたチェコ第2の都市ブルノの近郊にある。バウハウスのディレクターで、ドイツ人の建築家のミース・ファン・デル・ローエ(1886〜1969年)が設計した。この住宅は、トゥーゲントハット夫妻の結婚後の新居として、1930年にブルノ郊外の閑静な住宅地に建設された。近代建築の記念碑的な作品として知られる1929年の「バルセロナ国際博覧会ドイツ館」と同じ時期にデザインされたこの住宅において、ミースはそのダイナミックな空間概念を住宅というプログラムに応用した。道路側からは一見、平屋に見えるが、敷地が急な傾斜地である為、実際には上下ふたつの階から構成されている。玄関がある上階には家族のプライベートな個室が配され、下階は、居間、食堂、台所、書斎などからなる開放的なリヴィング・スペースとなっている。
リトミシュル城 リトミシュル城は、モルダウ(チェコ語でブルタバ 連作交響詩「我が祖国」の第2曲)で有名な作曲家スメタナ(1824〜1884年)が生まれた東ボヘミヤ地方のリトミシュルにある。リトミシュル城は、1568〜1581年にかけて建築されたルネッサンス期を代表する城郭。城郭の中にある劇場は、1796〜1797年に建てられ、庭園と公園も美しい。
クロメルジーシュの庭園と城 クロメルジーシュは、南モラヴィア地方の行政、経済、文化の中心地ブルノの北60kmにある歴史都市。街の広場には、ゴシック、ルネッサンス、バロックの各様式の建築物が集まっている。なかでも、公園は、中央ヨーロッパでの、バロック様式の庭園と宮殿設計の発展に重要な役割を果たした。クロメルジーシュの庭園と城は、17〜18世紀の華麗なバロック様式の住居と景観がそのまま保存されており圧巻。庭園は、いくつかのエリアに分かれており、城下庭園や花の庭園など見どころも多い。城の中には、ヨーロッパ絵画の傑出した作品を展示した画廊がある。
テルチの歴史地区 テルチは、チェコ南部にある町。12世紀にモラヴィア地方の干拓沼地に町がつくられたが、1530年の大火で多くの建物が焼失した。その後当時の市長ザッカリアスと市民の尽力により、ルネッサンス様式や初期ゴシック様式の建物が再建された。中世の面影が色濃く残る中央広場、ザッカリアス広場などを中心に、ルネッサンスやバロック様式の建物や装飾をもつ家並みが残る。13世紀の聖霊教会の塔、14世紀の城、聖ヤコブ教会なども中世の歴史を伝える。
プラハの歴史地区 プラハは、ヴルタヴァ(モルダウ)川が流れるチェコ西部にある古い都。悠久の歴史と文化を誇るチェコの首都であり、「北のローマ」、「黄金のプラハ」、「百塔の街」とも呼ばれてきた。6世紀頃にスラブ人が町をつくったのを起源に、1526〜1918年には、中世の貴族ハプスブルグ家に支配されていた。プラハの町を見下ろす丘に建っているプラハ城とその旧王宮、城内にある聖ビート教会、聖イジー教会、聖十字架教会をはじめ、旧市街広場と周辺の旧市庁舎、ティーン教会、キンスキー宮殿、聖ニコラス教会、ヴルタヴァ川に架かるカレル橋など、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロック、アールヌーボーなど多様な建築様式の建造物が数多く残され、荘厳で美しい街並み景観を形成している。2002年8月に中東欧を襲った洪水により、ヴルタヴァ川の増水で、カレル橋の閉鎖、旧市街への立ち入り禁止など深刻な被害に見舞われた。
レドニツェとヴァルチツェの文化的景観 レドニツェとヴァルチツェは、チェコの南東部、南モラヴィア州の南、オーストリアとスロヴァキアの国境の近くにある小都市。17世紀から20世紀にかけて、リヒテンシュタイン公爵家の領地に造られた名城が静かにたたずむ。19世紀初頭にヨハン・ヨセフ公爵の命で、バロック様式のレドニツェ城やヴァルチツェ城の景観と調和した英国庭園の様式を取り入れた大庭園が造園家のC.テンカラ、D.マルチネリ、J.B.フィツシャー・フォン・エルラッハ、J.オスペル等の手により造られた。その後も英国ロマン主義をお手本としたネオ・ゴシック様式、イタリアのルネッサンス様式などを新たに取り入れ、200平方kmの広大な地に森、池、城、庭園、彫刻などヨーロッパ最大級の文化的景観が創出され、現在は、野鳥保護区にも指定されている。
イェリング墳丘、ルーン文字石碑と教会 イェリングは、ユトランド半島のヴァイレ県ヴァイレ市の北西10kmにあるデンマーク王国誕生の地。10世紀頃、高度な航海術を持ち隆盛を誇っていたヴァイキングのゴーム王とその息子のハラルド王は、イェリングに王宮を建設した。ここに残された巨大な墳丘は、デンマーク最大のもので、教会を中心に、北側はゴーム王と王妃、南側はハラルド王の墓といわれている。ゴーム王は、キリスト教を拒否し改宗に応じなかったが、ハラルド王が960年洗礼を受けてからキリスト教が浸透した。神秘的なヴァイキング文字のルーン文字を刻んだ、高さ1.4mの「ゴームの石碑」と高さ2.4m「ハラルドの石碑」、そして、石造りの教会が、キリスト教の北欧への浸透ぶりを物語っている。
イルリサート・アイスフィヨルド イルリサート・アイスフィヨルドは、世界最大の島で、デンマーク領のグリーンランド(面積218万平方km、イヌイットなどが住み人口は6万人)の西海岸にあるアイスフィヨルド。イルリサート・アイスフィヨルドは、面積が4024平方kmで、3199平方kmの氷河、397平方kmの陸地、386平方kmのフィヨルド、42平方kmの湖群からなる。氷に覆われたまま海に注いでいるクジャレク氷河は、世界で最速の氷河の一つで、一日に19mも進む活発な氷河である。イルリサート・アイスフィヨルドにおける250年間の研究は、気候変動や氷河学の発展に影響を与えた。また、グリーンランドと南極でしか見られない氷山に覆われたフィヨルド、入江、海、氷、岩石が一体となったドラマティックな自然現象は、圧巻である。
クロンボー城 クロンボー城は、首都コペンハーゲンから約45kmにあるエルシノアの町にある。クロンボー城は、15世紀に、スウェーデンとの間の海峡を通行する船から通行料を確実に徴収する為の役割を果たした。その為、この城には、海に向けた砲台が据えられてある。北欧の歴史上、特に重要な役割を演じたクロンボー城は、デンマーク・ルネサンスの城郭建築の顕著な例である。場内には、巨大なホールとデンマーク商業海事博物館、地下には、兵舎や地下牢がある。また、シェークスピアの「ハムレット」の舞台となったことでも有名で、城内の入口の壁にはシェークスピアの胸像がある。シェークスピアは、ハムレットのモデルとなった王子Amlethの名前の最後のhを頭につけてHamletにしたという。
ロスキレ大聖堂 ロスキレは、世界最古の王国デンマークの首都コペンハーゲンの西約20kmのシェラン島にあるロスキレ県の県都。10世紀からデンマークの首都として発展したが、15世紀の初めにコペンハーゲンに遷都されてからは衰退した。ロスキレ大聖堂は、12〜13世紀に建てられたスカンジナビア地方最初の煉瓦づくりのゴシック建築で、その後、北欧の建築様式のお手本となった。また、この大聖堂は、15世紀以降、歴代デンマーク王室の霊廟になっている。ポーチと歴代国王への礼拝堂は、19世紀末迄に増築、ヨーロッパの宗教建築の歴史を物語るかけがえのない遺産。
「古都メルブ」州立歴史文化公園 「古都メルブ」州立歴史文化公園は、国土の8割がカラクム砂漠であるトルクメニスタンにある中央アジア最大の遺跡。メルブは、中央アジアのシルクロードのオアシスのなかで、最も古い歴史をもつ古都。メルブには、面積70平方kmの広大な地域に、紀元前6世紀からモンゴルの騎馬軍に滅ぼされる13世紀までの約2000年間の遺跡群が残されている。最盛期は、11〜12世紀で、中央アジアで興り地中海にまで勢力を拡大したトルコ人によるセルジューク朝(1038〜1194年)の東の都として栄華を誇っていた頃で、その建築様式や文化は、他の中央アジアの国々やイランにも大きな影響を与えた。1221年に、チンギス・ハンによるモンゴル帝国(1206〜1271年)の侵攻によって、町は焼かれ没落した。古都メルブには、メルブ最古の紀元前6世紀のエルク・カラ都城跡、モンゴル時代にメルブの支配者であったスルタン・サンジャル廟や住居跡、紀元後6世紀に建てられた大キズガラと小キズガラの城壁などの見所が数多い。この地は、昔「マルギアナ」と呼ばれ、葡萄や果物が実る砂漠の中の豊かなオアシスであった。
クフナ・ウルゲンチ クフナ・ウルゲンチは、トルクメニスタンの北西部、アム・ダリア川の南側にある。クフナとは、旧という意味で、クフナ・ウルゲンチは旧ウルゲンチで、現在のウルゲンチ(ウズベキスタン)の北西140kmにある。ウルゲンチは、アクメネス朝の一部であったホラズム朝の首都であった。クフナ・ウルゲンチは、主に11〜16世紀の史跡で、モスク、キャラバンサライの門、要塞、青いタイルで飾られた三角錐の帽子型の屋根が特徴である12世紀にホラズム朝のシャーであったスルタン・テケシュ廟、旧ウルゲンチで最大の建造物でドーム内部の装飾が美しいクトルグ・ティムールの夫人テュラベク・ハヌム廟、スーフィズムの聖者の墓廟群、それに、中央アジア最長の67mの高さを誇る14世紀にジョチ・ウルスのホラズム総督クトルグ・ティムールによって建設されたクトルグ・ティムール・ミナレットなどの建造物群からなっている。クフナ・ウルゲンチは、14世紀末にティムールの2回にわたる遠征で打撃を受けたが、これらのモニュメントは、建築や工芸の分野の顕著な作品群で、イラン、アフガニスタン、それに16世紀インドのムガール朝の建築に影響を与えた。
ニサのパルティア時代の要塞群 ニサのパルティア時代の要塞群は、トルクメニスタンの首都アシュガバットの南西15km、アハル州のバギール村の近くにある。ニサのパルティア時代の要塞群は、旧ニサと新ニサの2つの地区に分けられる。旧ニサは、紀元前3世紀半ばから紀元後3世紀に権力を誇ったパルティア帝国の都市遺跡で、不規則な五角形の形で、40以上の長方形の塔がある高さの高い防御の為の土塁で囲まれた要塞であった。一方、新ニサは、周囲を9mの高さの強固な防壁で囲まれた2つの入口がある古代都市であった。ニサは、東西南北の交易の十字路として、中央アジアや地中海諸国からの文化的な影響も受けていた。一方において、ローマ軍からの進攻を食い止める境界線として戦略的にも重要な役割を果たしていたが、紀元前10年頃に起こった地震で全壊した。
アーヘン大聖堂 アーヘンは、ベルギー国境に近いノルトライン・ヴェストファーレン州にある。紀元前3世紀ローマ人が温泉場を開いて以来の温泉保養地である。アーヘン大聖堂は、カール(シャルルマーニュ)大帝がここをフランク王国カロリンガ朝の都とし、800年頃に完成したドイツ最古のロマネスクとゴシックが見事に融合した聖堂の一つ。この様式の建物としては、アルプス以北で最初に造営されたもの。カール大帝の死後、遺骨はこの礼拝堂に納められ、たくさんの巡礼者が訪れるようになった。「カール大帝の玉座」がつくられた936〜1531年の600年間には、30人の歴代ドイツ皇帝が載冠式を行った。大帝の廟もここにある。
アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群 アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、オーストリアのケルンテン連邦州とオーバーエスターライヒ連邦州、フランスのローヌ・アルプ地方とフランシュ・コンテ地方、ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州とバイエルン自由州、イタリアのフリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州、ロンバルディア州、ピエモンテ州、ヴェネト州、スロヴェニアのイグ市、それにスイスのベルンやチューリッヒなど14の州の6か国にまたがって分布している。これらは、紀元前5000年から紀元前500年にかけて、アルプス山脈や周辺のモントゼー湖やアッターゼー湖(オーストリア)、シャラン湖(フランス)、コンスタンツ湖(ドイツ)、カレラ湖(イタリア)、ツーク湖(スイス)などの湖群、リュブリャナ湿原(スロヴェニア)などの湿地群の畔に建てられた先史時代の杭上住居(或は高床式住居)の集落の遺跡群で、現認されている937のうち111(スイス 56、イタリア 19、ドイツ18、フランス11、オーストリア5、スロヴェニア 2)の構成資産からなる。杭上住居群は、多数の杭によって湖底や河床から持ち上げられ独特の景観を呈している。幾つかの場所で行われた発掘調査では、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代初期にかけての狩猟採集や農業など当時の生活や慣習がわかる遺構が発見されている。アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群は、保存状態が良く、文化的にも豊富な遺物が残っている考古学遺跡群である。
クラシカル・ワイマール ワイマールは、ベルリンの南西約230kmのドイツ中東部にある。18世紀後半〜19世紀初期に小さなサクソンの町ワイマールは、「ファウスト」で有名なゲーテ(1749〜1832年)や「ウイリアムテル」などの戯曲で知られるシラー(1759〜1805年)に代表される様にたくさんの作家や学者がめざましい文化を開花させ、その後、ドイツ文化の精髄を象徴する意味を持つことになった。この発展は、「ゲーテハウス」や「シラーハウス」などの高質の建物の多くと「ゲーテの東屋」などがある周辺の公園にも反映されている。また、ヘルダー教会の名で親しまれている聖ペーター&パウル市教会や画家クラナハ親子の作品を収蔵するワイマール城など文化人ゆかりの建物が数多く残っている。この地は、第一次世界大戦で敗戦し、新しいワイマール憲法を採択した地としても有名。尚、ゲーテの直筆の文学作品は、世界記憶遺産に登録されており、ワイマール古典期財団/ゲーテ・シラー資料館(GSA)に収蔵されている。
シュトラールズントとヴィスマルの歴史地区 シュトラールズントとヴィスマルの歴史地区は、ドイツ北部、バルチック海岸のメクレンブルク・フォアポンメルン州にある中世の町で、14〜15世紀には、ハンザ同盟の主要な貿易港であった。17〜18世紀には、 シュトラールズントとヴィスマルは、スウェーデンの管理下になり、ドイツ領での防御の中心になった。シュトラールズントとヴィスマルは、バルチック地域におけるレンガ造りのゴシック建築が特徴のドーベラナー大聖堂のカテドラルなどの建物、それに、当地ではバックシュタインと呼ばれる見事な焼きレンガの壁などの建造技術の発展に貢献した。シュトラールズントの市庁舎、ザンクト・ニコライ聖堂、住居、商業、それに、工芸用の一連の建物は、数世紀以上にもわたって進化を遂げた。
トリーアのローマ遺跡、聖ペテロ大聖堂、聖母教会 トリーアは、ドイツ西部、モーゼル川の上流ルクセンブルグに近いドイツ最古の都市。ローマ帝国による支配時代とキリスト教に彩られた中世の2つの特徴を持つ。3〜4世紀のローマ遺跡には、ポルタ・ニグラ(黒い門)やカイザーテルメン(皇帝浴場跡)、バルパラテルメン(大浴場跡)、円形劇場、モーゼル橋がある。大聖堂は、11〜12世紀のロマネスク様式。リーブフラウエン(聖母)教会は13世紀のゴシック様式。
ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミヒャエル教会 ヒルデスハイムは、ドイツ中央部ハノーバーの南東約30kmにあり、ハルツ地方とハイデ地方、ヴェーザー川が挟む地域の文化的な中心地として千年の昔から栄えてきた。815年、ルートヴィッヒ敬虔王が小高い丘の上にマリエン教会の礎石を置いたことからこの町の歴史が始まった。この町には、11世紀創建のロマネスク教会が3つあり、そのうち2つが世界遺産に登録された。聖マリア大聖堂は、「聖ベルンヴァルトの青銅扉」と「キリストの円柱」が貴重。1001〜1033年に建てられた聖ミヒャエル教会は、左右対称の造りで、神の家の調和を意味している。天井画「エッサイの樹」は、1300枚の板を使って描かれた13世紀初頭の作。いずれもドイツ初期ロマネスクの建築・芸術様式の代表格として知られる。
ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローランド像 ブレーメンのマルクト広場にある市庁舎とローランド像は、ハンブルクに次ぐ第2の港町ブレーメン(人口55万人)にある。ブレーメンは、大司教座の町として興り、交易によって、独立都市国家ハンザ同盟都市として繁栄した。市庁舎ラートハウスは、15世紀初期に建設されたルネサンス様式のファサードを持ったゴシック様式の煉瓦造りの建造物で、北ドイツのゴシック建築の顕著な例として有名。市庁舎のすぐ前にある高さ5.5mの石像ローランド像は、1404年に建て直されたが、ブレーメン市民の権利と司法特権の象徴であり、今も昔もブレーメンのシンボルになっている。ブレーメンは音楽隊の町として有名であるばかりか、メルヘン街道(南のハーナウから北のブレーメンまで600km)の出発点(終点)の町としても知られている。
ポツダムとベルリンの公園と宮殿 ポツダムもベルリンもドイツ東部の森と湖に囲まれた都市で、18〜19世紀に造られた宮殿や公園が多数ある。ポツダムのサンスーシ宮殿は、プロイセンのフリードリヒ2世大王(1712〜1786年 在位1740〜1786年)が、1747年に完成させたフランス風のロココ様式の華麗な宮殿。「サンスーシ」とは、フランス語で「憂いのない」という意味で、サンスーシ宮殿では、学者や芸術家達が詩や音楽を楽しんだ。広大な庭園は、フォン・クノーベルスドルフの設計によるものである。後に絵画ギャラリー(1755年完成)や中国茶館(1757年完成)を建設、1769年には、庭園西端に新宮殿を完成させた。また、庭園の北東には、1945年に「ポツダム会談」が行われた場所として有名なツェツィーリエンホーフ宮殿がある。この宮殿は、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が1829年に王子のために建てた宮殿で、イタリア古典主義様式で建設された。ベルリンには、プロイセンの初代国王であるフリードリヒ1世(1657〜1713年 在位1701〜1713年)が妃のシャルロッテのために建設したシャルロッテンブルク宮殿が残る。
メッセル・ピット化石発掘地 メッセル・ピットは、ヘッセン州のフランクフルト南方のダルムシュタットの近くにあり、今から5700万年から3600万年前の新生代始新世(地質年代)前期の生活環境を理解する上で最も重要な面積70haの化石発掘地。ここの地層は、石油が含まれる油母頁岩(オイル・シェール)で出来ておりメッセル層と呼ばれている。採掘された化石の種類は、馬の祖先といわれるプロパレオテリルム、アリクイ、霊長類、トカゲやワニなどの爬虫類、魚類、昆虫類、植物など多岐にわたる。なかでも、哺乳類の骨格や胃の内容物の化石は、保存状態が非常に良く、初期の進化を知る上で貴重な資料になっている。
ランメルスベルク旧鉱山、古都ゴスラーとハルツ地方北部の水利管理システム ゴスラーは、ドイツ中央部、ハルツ山脈の山麓にある中世の古都。ランメルスベルク旧鉱山は、ゴスラーの南東1kmにあり、千年もの長い歴史、類いまれな埋蔵量、鉱山技術の傑作が完璧な状態で保存されている。ゴスラーは、ランメルスベルク旧鉱山から産出された銀をはじめ、銅、錫、鉛、金などの鉱物資源に支えられ、ハンザ同盟の一都市としても繁栄した。ゴスラーには、中心部のマルクト広場に、中世のギルド会館、市庁舎、それに、民家、商家、邸宅などが残っており、13〜19世紀までの鉱山都市の歴史を物語っている。2010年の第34回世界遺産委員会ブラジリア会議で、鉱業や冶金への水力利用を可能にした人工池、トンネル、地下排水路などの「ハルツ地方北部の水管理システム」を構成資産に加えて、登録範囲を拡大、登録遺産名も「ランメルスベルク旧鉱山、古都ゴスラーとハルツ地方北部の水利管理システム」に変更になった。
ロルシュの修道院とアルテンミュンスター ロルシュは、ドイツ中西部、フランクフルトとハイデルベルクの中間にあるヘッセン州の町。ライン川岸にあるアルテンミュンスター修道院は、フランク王国のカロリング朝(751〜987年)の763年にカロリング朝の修道院として創建されたもので、当時の建築様式が現在も良好な保存状態で見られる。また、ロマネスク様式の聖堂、ローマ時代後期の800年前後に建てられ、オリジナルのまま現存するこの時代の建築物としては最古の帝国僧院跡、8世紀末〜9世紀初頭に建てられた「王の門」と呼ばれる凱旋門、納屋、9世紀には600冊に及ぶ写本を有した図書館などが城壁の内側に建てられ、9世紀末には修道僧の学問と修行の場として繁栄した。なかでも、帝国末期のサクソンに対する凱旋門は、カール大帝の勝利を記念している。
ヴァルトブルク城 ヴァルトブルク城は、テューリンゲン州のアイゼナッハにある。突起した岩の上にそびえるこの城塞は、いろいろな時代に造られた複数の建物群から成っている。まず、その最古の部分は、12世紀にさかのぼるといわれる城門部を通って、15〜16世紀の木骨組の建物に囲まれた城の第一中庭に出る。城の第2中庭は、城塞の最も面白い建物、すなわち、本丸に通じている。堡塁と南の塔から、ドイツの偉大な作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685〜1750年)の生誕地であるアイゼナッハの町やテューリンゲンの森、それに、レーン山地を広く眺望できる。宗教改革者のマルティン・ルター(1483〜1546年)が、国を追われた際に、ザクセン候の庇護のもとに、この城に身を潜めて、1521年から10か月をかけてギリシャ原典の新約聖書をドイツ語に翻訳したことでも知られている。また、偉大な詩人ゲーテ(1749〜1832年)も度々アイゼナッハとヴァルトブルク城を訪れ、いくつもの美しい詩を残した。それに、中世の頃から歌合戦の伝統があり、リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883年)の歌劇「タンホイザー」の舞台にもなった多くの偉人のゆかりの地でもある。
アイスレーベンおよびヴィッテンベルクにあるルター記念碑 ルター記念碑は、ザクセンアンハルト州アイスレーベンおよびヴィッテンベルクにある。サクソニー・アンホルトにあるルター記念碑は、マルティン・ルター(1483〜1546年)とその弟子メランヒトンの生活を伝える。「ルターの町」と呼ばれるヴィッテンベルクには、ルター・ホール(ルターの住居)、1517年10月31日、ルターが世界の宗教、政治の歴史に新しい時代を吹き込んだ、かの有名な95か条の論題(意見書)を読み上げた聖マリア聖堂もある。マルクト広場には、ルターとメランヒトンの銅像が立っている。アイスレーベンは、ヴィッテンベルクの南西にあり、ルターは、この地で生まれ、この地でその生涯を終えた。
エッセンの関税同盟炭坑の産業遺産 関税同盟炭坑の産業遺産は、ドイツ西部、ルール地方の中心をなす工業都市エッセンを中心に展開するヨーロッパでも有数の建築・産業技術史上の貴重な遺産。なかでも1834年に創設されたドイツ関税同盟第12立坑の設備の建物の高さと建築の質は、特筆される。1930年にエッセン北部に分散していた関税同盟炭坑の石炭採掘施設を統合する目的でつくられ開設当時は世界最大かつ最新の採炭施設であった。能率よりも美的側面を強調した建築物としての価値も極めて高い。1929年にバウハウスの影響を受けた建築家のフリッツ・シュップとマルティン・クレマーがエンジニアとの緊密な協力の下に建造したもので、1932年に操業を開始し、第12立坑は1986年に、コークス炉は、1993年に役目を終えた。その後、IBA(国際建築博覧会)エムシャーパーク・プロジェクトの一環として、エッセン市がノルトライン・ヴェストファーレン州開発公社と共同で雇用創出機関「バウヒュッテ」を創設し、炭鉱の全施設を保全、改修、再利用している。
クヴェートリンブルクの教会と城郭と旧市街 クヴェートリンブルクは、ドイツ中部ザクセンアンハルト州ハルツ地方にあり、中世ドイツ公国の一つ東フランケン公国の首都であった。ボーテ川のほとりに、9世紀に創建されたロマネスク様式の聖セヴァティウス教会を中心として、商業都市として繁栄した。旧市街には1300近い木造軸組の建物が完全な形で残っており、その8割ほどは17〜18世紀に建設されたものである。丘に建てられた城館から見下ろす旧市街は絵のように美しい。
シュパイアー大聖堂 シュパイアー大聖堂は、ライン川の中流マンハイムから20km上流にあるシュパイアー市のシンボル。神聖ローマ帝国コンラート2世とハインリヒ4世時代(1030〜1061年)に創建され、当時はヨーロッパ最大の教会であった。4本の塔を持ち、内部が十字架形をしたドイツ屈指のロマネスク建築。大聖堂は1755年に一時取り壊され、その後現在のような中世の様式に再建された。地下聖堂は、コンラート2世はじめザリエル朝(1024〜1125年)の4皇帝の眠る墓所となっており、「カイザードーム」と呼ばれている。
ハンザ同盟の都市リューベック リューベックは、ドイツ北東部、ハンブルクの北東約60kmにある。バルト海に注ぐトラーヴェ川の中州に開けたリューベックは、ハンザ同盟が栄えた13〜14世紀に帝国直轄都市として、また、鰊(ニシン)などの海産物取引の町として繁栄を極め「バルト海の女王」と呼ばれた。リューベックを盟主とするハンザ同盟は、14世紀には数十の加盟市を数え、地中海沿岸以外の全ヨーロッパで商業活動を行い、共同の武力を持って、政治上でも大きな勢力になった。中世の市庁舎、ホルステン門、ゴシック様式の聖マリア教会、塩の倉庫などが往時を偲ばせる。旧市街地がそっくり登録されたのは、北ヨーロッパでは、リューベックが初めて。リューベックは、「ブッデンブローク家の人々」などの作品で著名な作家トーマス・マン(1875〜1955年)が生まれた町として、また、エリカ街道沿いの町としても有名である。
フェルクリンゲン製鉄所 フェルクリンゲン製鉄所は、ドイツ南西部、ザール地方のザールラント州にある貴重な産業遺産。第2次産業革命最中の1873年に建設された敷地面積が約6万平方mのフェルクリンゲン製鉄所は、過去2世紀、この地方のザールブリュッケンで産出する石炭とルクセンブルグの南西地域で産出する鉄鉱石を原料として利用した製鉄所として栄え、フランスのロレーヌ地方、ルクセンブルグと共に、ヨーロッパの「石炭鉄鋼三角地帯」と呼ばれた。しかし1960年代を最盛期として、次第にヨーロッパの鉄鋼産業は衰退し、世界の製鉄業を長年リードし続け先導的な役割を果たしたフェルクリンゲン製鉄も、1986年にあえなく操業停止を余儀なくされた。製鉄所の設備は、未来に残すべき遺産として、今もそのまま保存され、記念博物館などとして活用されている。
ベルリンのムゼウムスインゼル(美術館島)
ムゼウムスインゼル(美術館島)は、ベルリンのシュプレー川の中州のミッテ地区にある。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の主導で、19世紀初めに建設され、第2次世界大戦まで、ベルリン国立美術館の重要なコレクションを収容していた。第2次世界大戦後、ベルリンでの際立った美術館が東側にあった為に、こうした美術館が西側にも設けられることになった。1990年の東西ドイツの再統一によって、ベルリンの壁が解放され再び合体したベルリンには、コンサートホールが2つ、オペラハウスが3つ、美術館・博物館に至っては、28館を数えるまでになり、現在、東西美術館の統合が進められている。美術館島には、古代ギリシャの都市国家であったペルガモン(現在のトルコ)で発掘された「ゼウスの大祭壇」や古代バビロニアの「イシュタール門」などの巨大な遺跡がそのまま展示されているペルガモン美術館、古代およびビザンチン芸術を収集したバロック風のドームが印象的なボーデ美術館(旧カイザー・フリードリヒ美術館)、印象派絵画を揃えた旧国立美術館、それに、新国立美術館がある。
マウルブロンの修道院群 マウルブロンは、南ドイツのシュツットガルトの北西約25kmにある。マウルブロン修道院は、ドイツ最古の中世シトー派修道院で、1147年に建設され、その後城壁や、生活や修行のための諸施設が建てられた。ロマネスク様式からゴシック様式に至る建築様式の変化がよくわかり、付属の建造物も含めてとてもよく保存されている。マウルブロン修道院は、16世紀半ばにプロテスタントの神学校となり、文豪のヘルマン・ヘッセ(1877〜1962年)やロマン派詩人のヘルダーリン(1770〜1848年)などの文学者がここで学んだ。ヘルマン・ヘッセの小説「知と愛」の舞台としても知られている。
ライヒェナウ修道院島 ライヒェナウ修道院島は、ドイツ南部フライブルグ地方にあるボーデン湖(英名はコンスタンス湖)に浮かぶ島。ライヒェナウ島には、724年に創立されたベネディクト会修道院の足跡が保存されている。ベネディクト会は、当時の人々に宗教的、それに知的な影響を多大に及ぼした。9〜11世紀に建設された聖マリア教会、聖ペテロ・パウロ教会、聖ゲオルク教会の各教会は、中欧における中世初期の修道院建築がどのようなものであったかを提示してくれる。尚、ライヒェナウ修道院で生み出されたオットー朝からの彩飾写本は、世界記憶遺産に登録されており、バイエルン州立図書館(ミュンヘン)に収蔵されている。
レーゲンスブルク旧市街とシュタットアンホフ レーゲンスブルク旧市街は、ドイツ南東部、バイエルン州の州都ミュンヘンの北、約100kmにある古都。レーゲンスブルク旧市街は、ドナウ川が湾曲した河畔にあり、1世紀の頃に、ローマ軍が、その急流と広い川幅のために川を渡れずに駐屯して以来の歴史がある。12〜13世紀には、交通、交易の中心地として繁栄した。また、2つの世界大戦の被害をほとんど受けていない為、ローマの遺跡と中世の街並みが昔ながらに保存されている。旧市街には、12世紀に建造されたドイツ最古の石橋であるシュタイナーネ橋、ゴシック調でステンドグラスの美しい聖ペーター大聖堂など20以上のカトリック教会が残っている。
ワイマールおよびデッサウにあるバウハウスおよび関連遺産群 バウハウスは、1919年に、建築家のヴァルター・グロピウス(1883〜1969年)によってテューリンゲン州のワイマールに設立された総合美術大学。ワイマールのバウハウス校舎は、芸術家を養成する為の旧ザクセン大公立造形美術大学と専門技術を教える旧ザクセン大公立芸術工芸学校との2つの機能を備えていた。1925年にワイマールの北東約110kmにあるザクセン州のデッサウに移り、1933年に閉校になるまで、ルネッサンスの精神を引き継ぐ建築学的、美学的な思想と実践に革命的な役割を果たした。デッサウのバウハウス校舎の建築と巨大なガラスウォールなどの造形には、校長のヴァルター・グロピウスをはじめ、ハンス・メイヤー、ラッツロ・モーリーナギー、ワスリー・カンディンスキー(1866〜1944年)などの教授陣が携わった。政府の予算打ち切り、ナチスの圧力などによって、バウハウスは、度重なる移転や閉鎖などを余儀なくされ、短い歴史に幕を閉じたが、これらの斬新な建物のデザイン、それに、バウハウスで生み出された数多くの芸術作品は、20世紀の建築や芸術のモダニズムの源流とも言え、世界中に多大な影響を与えた。
ヴィースの巡礼教会 ヴィースの巡礼教会は、バイエルン州ミュンヘンの南西70km、アルプスの渓谷部にあるロマンチック街道沿いの町シュタインガーデンの中心部からはずれたヴィースにある。ヴィースとは、ドイツ語で、草原の意味で、まさしく草原の教会といったたたずまいである。ヴィースの巡礼教会は、ドミニクス・ツィンマーマン(1685〜1766年)によって設計され、1746〜1754年に建てられたドイツ・ロココ様式による教会建築の最高傑作である。ヴィースの巡礼教会は、質素で素朴なその外観に対して、悩み、償い、救いをテーマとするその内装は、金を多用した華麗な美しい装飾と豊かな色彩に溢れている。なかでも、祭壇は壮麗で「天国からの宝物」と呼ばれており、奥の中央祭壇にある「鞭打たれるキリスト像」は際立っている。
アルフェルトのファグス工場 アルフェルトのファグス工場は、ドイツの北西部、ニーダーザクセン州ヒルデスハイム郡を流れるライネ川沿いの町アルフェルトにある製靴工場である。ファグス工場は、1911年にカール・べンシャイトの製靴機械を収容するためにワルタ−・グロピウス(1883〜1969年)とアドルフ・マイヤー(1881〜1929年)によって設計された芸術的な工業デザインの20世紀の近代建築物である。ファグス工場は、ドイツ工作連盟がめざした工業生産の理想を実現した10の建造物群からなる工場建築で、ファサードは、鉄とガラスを使用し、ガラス張りのカーテンウォールを採用、カーテンウォールを近代建築に活用する先駆けとなった。ファグス工場は、その後のワイマールやデッサウのバウハウスの作品の前兆であり、また、ヨーロッパや北米における建築の発展にもつながった歴史的な建築物である。工場は現在も稼働しており、一部は、ファグス・グロピウス博物館として活用されている。
カルパチア山脈の原生ブナ林群とドイツの古代ブナ林群 カルパチア山脈の原生ブナ林群とドイツの古代ブナ林群は、ヨーロッパの東部、スロヴァキアとウクライナ、それにドイツの3か国にわたり展開する。カルパチア山脈の原生ブナ林群は、世界最大のヨーロッパブナの原生地域で、スロヴァキア側は、ボコヴスケ・ヴルヒ・ヴィホルァト山脈、ウクライナ側は、ラヒフ山脈とチョルノヒルスキー山地の東西185kmにわたって、10の原生ブナ林群が展開している。東カルパチア国立公園、ポロニニ国立公園、それに、カルパチア生物圏保護区に指定され保護されている。ブナ一種の優占林のみならず、モミ、裸子植物やカシなど別の樹種との混交林も見られるため、植物多様性の観点からも重要な存在である。ウクライナ側だけでも100種類以上の植物群落が確認され、ウクライナ版レッドリスト記載の動物114種も生息している。しかし、森林火災、放牧、密猟、観光圧力などの脅威にもさらされている。2011年の第35回世界遺産委員会パリ会議で、登録範囲を拡大、進行しつつある氷河期以降の地球上の生態系の生物学的、生態学的な進化の代表的な事例であるドイツ北東部と中部に分布する5つの古代ブナ林群(ヤスムント、ザラーン、グルムジン、ハイニッヒ、ケラヴァルト)も登録範囲に含め、登録遺産名も「カルパチア山脈の原生ブナ林群」から現在の登録遺産名に変更した。
ケルン大聖堂 ケルンは、ドイツ中西部、デュッセルドルフの南方30kmにあり、かつては「北のローマ」と呼ばれ、ハンザ同盟都市でもあった。ケルン大聖堂は、ライン河畔に堂々とそびえ建つ高さが157mもある巨大な2基の尖塔が象徴的な宗教建築物で、古都ケルンのシンボルになっている。正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂といい、重要な宗教的儀式が現在も行われている。1248年に着工、16世紀半ばには一時中断したが、600年を超える歳月を経て1880年に漸く完成したゴシック様式の建築物の傑作。歴代の建築家達は、建築計画のコンセプトを理解し、尊重し、忠誠と信念を貫き続けた。その証としての大聖堂の威容は、ヨーロッパ・キリスト教への信仰心の篤さを誇示している。大聖堂の内部には、聖母マリアの祭壇の背後に、キリスト降誕の際に東方からエルサレムにやってきたといわれる「東方の三博士」の棺が安置されている。また、円天井の窓にはめ込まれた美しいステンドグラスは、荘厳な大空間を創出している。2004年に近隣の高層ビルの建設による都市景観の完全性の喪失などの理由から、危機遺産に登録されたが、建設計画を縮小することをケルン当局が決定したことが周辺の管理の改善につながったとして、2006年危機遺産から解除された
デッサウ-ヴェルリッツの庭園王国 デッサウ-ヴェルリッツの庭園王国は、ドイツの中北部、エルベ川の支流のムルデ川が流れるデッサウとヴェルリッツに広がる庭園景観。侯爵レオポルド3世フリードリヒ・フランツ(1740〜1817年)は、1764年から内湖沿いに広々とロマンティックな英国式庭園を造営させ敷地内にフローラ神殿や宮殿などの建物を配置した。デッサウ-ヴェルリッツの庭園王国は、庭園、公園、建物などのレイアウトを広範かつ全体的に調和させた18世紀における景観設計や景観計画の啓蒙期の顕著な実例。なかでも、ドイツ古典様式の宮殿などの建造物、彫像や橋などのモニュメントのデザインは、中欧における代表的な文化的景観に数えられ、詩人のゲーテもその影響を受けたといわれている。
バンベルクの町 バンベルクは、バイエルン州マイン川支流のレグニッツ川の沿岸にある。その中世の町並みは「ドイツの小ヴェネチア」とも呼ばれ、ドイツ屈指の美しさ。4本の尖塔が聳え立つ町のシンボルであるバンベルク大聖堂は、1012年建立、1237年に再建され、ロマネスクからゴシック様式への過渡期を表わす建築物。内部にはバンベルクの騎士像、ハインリヒ2世とその妃の墓などがある。その他ゴシックの旧宮殿、バロックの新宮殿、旧市庁舎、聖ミヒャエル教会や石畳の小道などが旅情を誘う。
ブリュールのアウグストスブルク城とファルケンルスト城 ブリュールは、ドイツ西部のケルンとボンの中間にあり、ケルンから南西約15kmにある。アウグストスブルク城は、ケルンの大司教であったクレメンス・アウグスト大司教のために建てられたドイツ・ロココ様式の代表的な建築。1725年から40年以上の歳月を費やして建てられた地方貴族の絶大な権力と富の象徴で、フランソワ・ド・キュヴィリエの設計。階段の間は、女性像と男性像の豪華な装飾壁柱で有名。一見大理石製に見えるが、木製で、バルタザール・ノイマンの作。庭園のはずれにあるファルケンルスト城は、外観が簡素な二階建て。アウグストスブルク城の狩猟用別邸として建てられた。
ベルリンのモダニズムの集合住宅 ベルリンのモダニズムの集合住宅は、1910年から1933年、なかでも、ワイマール共和国の時代の住宅不足に対応した革新的な住宅政策の証しとなる20世紀の建築である。ベルリンのモダニズムの集合住宅は、ベルリン市内のトレプトウ地区の「ファルケンベルク庭園街」、ヴェッディング地区の「シラーバーグ・ジードルンク」、ノイケルン地区の馬蹄型の「ブリッツ・ジードルンク」、ブレンツラウアーベルク地区の「カール・レギエン住宅街」、レイニッケンドルフ地区の「ヴァイセ・シュタット」、シャルロッテンブルク地区とシュパンダウ地区の「ジーメンス・ジードルンク」の6つの構成資産からなる。当時のベルリン市は、社会的、政治的、文化的にも、進歩的であった。ベルリンのモダニズムの集合住宅(ジードルンク)は、都市計画、建築、庭園設計への新たなアプローチを通じて、キッチン、バス、バルコニーが付き、庭はないが、十分に外気や光を取り入られ、機能的かつ実用的な間取りで、しかも割安で、低所得者の人々の居住環境の向上を実現した建物のリフォーム運動の顕著な見本である。ベルリンの近代的な集合住宅は、技術的、美的な革新のみならず斬新な設計を特徴とする都市・建築の類いない事例であり、古典近代主義から20世紀初頭に至る時代の社会的な住宅建設の新たなモデルとなるもので、文化財としても保護されている。建築家で都市計画家のブルーノ・タウト(1880〜1938年)、バウハウスの創立者であり近代建築の四大巨匠の一人とされるヴァルター・グロピウス(1883〜1969年)は、これらのプロジェクトの指導的な建築家であり、例えば、日本では、同潤会アパート、公団住宅などにも見られる様に、その後、世界の集合住宅の発展に多大な影響を及ぼした。