Patrimoine de l'humanite
ヴォルタ、アクラ、中部、西部各州の砦と城塞 ヴォルタ、アクラ、中部、西部各州の砦と城塞は、湾のガーナの海岸域に展開する。ポルトガル人が、15世紀半ばに、ガーナに進出したのを皮切りに、1482年から1786年にかけて、オランダ、スウェーデ ン、イギリスなどの貿易商人が相次いで進出した。彼等は、金、象牙、香辛料、ゴム、それに、奴隷の交易所として、ケタとベインとの間の海岸に、大砲などを装備したケープコースト砦やエルミナ砦など数多くの要塞を建設した。今は、多くが荒廃しているが、行政府、博物館、学校などとしても使用されている。
ロペ・オカンダの生態系と残存する文化的景観 ロペ・オカンダの生態系と残存する文化的景観は、ガボン中央部のオゴウェ・イヴィンド州とオゴウェ・ロロ州にある、登録面積がコア・ゾーン491291ha 、バッファー・ゾーン150000haの複合遺産である。ロペ・オカンダの生態系と残存する文化的景観は、熱帯雨林、それに1万5千年前の氷河期に形成され残存したサバンナの森林生態系と、ニシローランドゴリラ、マンドリル、チュウオウチンパンジー、クロコロブスなど絶滅の危機にさらされている哺乳類の生息地を含む豊かな生物多様性を誇る。また、長期にわたってバンツー族やピグミー族などの民族がここを居住地としたため、新石器時代と鉄器時代の遺構や、1800点もの岩石画が、オゴウェ川渓谷のデューダ、コンゴ・ブンバー、リンディリ、エポナなどの丘陵、洞窟、岩壁に残されている。これらは、オゴウェ川渓谷沿いの西アフリカからコンゴの密林の北部やアフリカの中央部や南部へ移住しサハラ以南の発展を形成した民族移動の主要ルートであったことを反映するものである。ロペ・オカンダの生態系と残存する文化的景観は、ガボン初の世界遺産である
クンタ・キンテ島と関連遺跡群 クンタ・キンテ島と関連遺跡群は、首都バンジュールの東南約35km、ガンビア川の上流約30km、ジュフレーの近くの小さな島、クンタ・キンテ島(旧ジェームズ島)にある。旧ジェームズ島の名前は、英国人のジェームズ第3世の名前に由来していたが、ガンビア政府は、アメリカの作家アレックス・ヘイリーが1976年に著した小説「ルーツ」の主人公のガンビア人の名前に因んで、2011年2月6日にクンタ・キンテ島に変更した。クンタ・キンテ島にある要塞は、1651年に、英国に捕獲されたドイツ人によって建設されたが、ガンビア川の入口のバラポイントとバサースト(現在のバンジュール)に新しい要塞が建設されたことにより、その戦略的な地位を失った。この要塞は、奴隷貿易が廃止されるまで、人類の「負の遺産」である奴隷の積み出し地であった。2003年に「ジェームズ島と関連遺跡」として世界遺産登録されたが、2011年の第35回世界遺産委員会パリ会議で、現在の登録遺産名に変更した。
セネガンビアの環状列石群 セネガンビアの環状列石群は、ガンビアのセントラル・リバー区とセネガルのカオラック地域に分布し、ガンビア川の350kmに沿った幅100kmの地帯に集積する1000以上の遺跡を代表する4つの大きな環状列石群からなる。紀元前3世紀から紀元後16世紀の間のものと思われる93以上の環状列石からなるシネ・ンガエネ、ワナール、ワッス、ケルバチの4つの群とおびただしい数の塚、古墳が発掘された。紅土の支柱からなる環状列石と一連の古墳は、1500年以上にもわたって生み出された広大な聖なる景観を呈する。それは、繁栄し高度に組織化された継続した社会を反映している。石群は、鉄の道具で、採石され、巧みにほとんど同一の円柱状、或は、約2mの高さで多角形の17トンの支柱で形成されている。各サークルには、8〜14の支柱があり、直径は4〜6m、全ては、古墳の近くに立地している。セネガンビアの環状列石群は、大きさ、密度、複雑性など世界的にも比類のない地域の広大な巨石地帯を代表するものである。
トロエドス地方の壁画教会群 トロエドス地方の壁画教会は、地中海に浮かぶキプロス島の中部、トロエドス山の南麓の
丘陵地帯にある。トロエドス地方は、10世紀に十字軍がイスラム教徒を駆逐した聖地回復
運動の本拠地としたことによって繁栄した。11〜16世紀に、トロエドス地方の山間部に建
てられたギリシャ正教会の聖ニコラオス聖堂、聖イラクリディオス聖堂、パナイア・トゥ
・ムトゥラ聖堂、アシノウ教会など9つの石造りや木造の教会の天井や壁面には、この時
代を題材にしたビザンチン絵画のフレスコ画やイコンの傑作が残っている。
パフォス パフォスは、首都ニコシアの南西100km、現在のパフォスから東16kmにあり、ギリシャ人
が建設した旧パフォスとローマ人による新パフォスとがある。古代ローマ劇場、闘技場、
初期ビザンチンの城塞、ラテン教会などの都市遺跡が多数残る。ギリシャ神話の中でも、
愛の女神アフロディテ(ビーナス)誕生の聖地とされ、紀元前1200年頃、アフロディテ神
殿が造られ、各地からの巡礼者で賑わった。パフォスのモザイクは、世界で最も美しい物
の一つとされている。
ヒロキティア ヒロキティアは、地中海最後の楽園といわれるキプロス島の南岸、ラルナカ地方を流れる
マロニ川西岸丘陵の急斜面にある。紀元前7000年前の新石器時代の住居址などの集落遺跡
ヒロキティアは、アジアから地中海への文明の普遍を物語る重要な科学的データを提供し
続ける比類のないキプロス最古の考古学遺跡。防御壁、トロスと呼ばれる環状家屋、墓や
石斧、石槌、石臼、石杵など多くの石器具のある、くり抜かれた遺跡は、世界的にも最も
重要な新石器時代の文化遺産の一つ。ヒロキティアの現在ある遺跡と未だ手のつけられて
いない部分は、明らかに地中海地域やその他の地域における最初の都市集落の発祥である
と見られる。ヒロキティアは、レフコシア(ニコシア)〜リマツル自動車道のレフコシア
を降りて南48km、或はラルナカから32kmの処にある。この遺跡の入口にあるビジター・セ
ンターには、新石器時代の集落のレプリカが展示されている。
ニンバ山厳正自然保護区 ニンバ山厳正自然保護区は、ギニア、コートジボワール、リベリアの3国にまたがる総面
積220平方kmの熱帯雨林の自然保護区。西アフリカで最も高い標高1752mのニンバ山を中心
にマホガニーなど原始の広大な密林が広がる為、この地固有のネズミ科の哺乳類や珍しい
昆虫類、貴重な地衣類、真菌類、コケ類などの植物も豊富で、1980年にはギニア側のニン
バ山はユネスコMAB生物圏保護区に指定されている。鉄鉱山開発や難民流入などによる問
題などから、1992年に危機にさらされている世界遺産に登録された。京都大学霊長類研究
所が「西および東アフリカに生息する大型類人猿の行動・生態学の研究」の為、ニンバ山
やボッソウのチンパンジー生息地についても調査を行ってきた。今後の課題として、リベ
リア側も登録範囲に含めることが期待される。
ケニア山国立公園/自然林 ケニア山国立公園は、首都ナイロビから北方へ約100km、ケニアの中央部にある大自然と
動物たちの楽園。その中に、アフリカ第2の高山で、かつては、土地の言葉で「キリニャ
ガ」(輝く山)と呼ばれていたケニア山(5199m)が、シンボリックにそびえ立っている
。赤道直下にあるが、約300万年前の火山活動によって隆起したチンダル氷河など12か所
の氷河帯とU字型の氷河渓谷があり、万年雪を頂く頂上部は、最高峰のバチアンと第2のポ
イント・ネリオンの2つの峰をもっている。氷河を冠した頂上と中腹の森林地帯は、東ア
フリカ第一級の絶景をなしており、標高4000m前後には湖、2000〜3000m以下に森林地帯が
、2000m以下の山麓には高原が広がっている。標高3600m以上の高山帯では、アフリカ固有
のジャイアント・セネシオなどの高山植物が群生しており、植物生態系の貴重な研究対象
となっている。また、ゾウ、バッファロー、カモシカなどの野生動物も数多く生息する。
20世紀の初頭からチンダル氷河などは一貫して後退し、これに伴い各植物相は前進、今後
の地球温暖化がアフリカ高山の生態系に及ぼす影響を調査する標本にもなっている。1949
年にケニア山国立公園となり、ケニア野生生物公社の保護管理下に置かれている。
ツルカナ湖の国立公園群 ツルカナ湖の国立公園群は、ケニア北部の「黒い水」と呼ばれるツルカナ湖の東海岸にあ
る。アフリカ大地溝帯にあり、ナイルスズキや多くの鳥類が棲むツルカナ湖の生態系や生
息環境は、動植物の貴重な研究地区となっている。また、この湖はナイル・ワニやカバの
繁殖地で、1970年代に哺乳類の化石等が発見され、湖底の古代環境の研究も進められてい
る。2001年に登録範囲をサウス・アイランド国立公園も含め、以前の「シビロイ/セント
ラルアイランド国立公園」(1997年12月登録)から登録名称も変更になった。
神聖なミジケンダ族のカヤ森林群 神聖なミジケンダ族のカヤ森林群は、東部アフリカ、ケニアのインド洋海岸地方の平野や
丘陵に200kmにもわたって広がる11の森林からなる。神聖なミジケンダ族のカヤ森林群は
、外部の侵略者から集落を隠す要塞の役割があったと伝えられている。神聖なミジケンダ
族のカヤ森林群は、16世紀につくられ、1940年代に放棄された。現在は、神々や先祖の住
居である神聖な場所として崇められ、長老の評議会によって維持されている。神聖なミジ
ケンダ族のカヤ森林群は、先人から継承されてきた生きた伝統文化として、引き継がれて
きた。ミジケンダ族は、高台などの戦略拠点に植林しカヤの森林をつくってきたが、現在
は、開発等の影響で森林は減少しつつある。神聖なミジケンダ族のカヤ森林群に、来訪者
は、原則、入ることはできないが、伝統行事の期間中に限り、地元ガイドの案内で森林内
を歩くことができるカヤ・エコツーリズム・プロジェクトを実施している。
モンバサのジーザス要塞 モンバサのジーザス要塞は、ケニアの南部、海岸州の州都モンバサの入港部の海を見下ろ
す高台にある。ジオヴァンニ・バティスタ・カイラティの設計によるこの要塞は、当時、
モンバサを支配していたポルトガル人がモンバサ港を守る為に1593〜1596年に建設された
。モンバサのジーザス要塞は、この種の建設史において、16世紀のポルトガルの軍事要塞
のランドマークとして、最も顕著でよく保存されている事例の一つである。ジーザス要塞
の配置と形は、ルネッサンスの理想を反映したものであり、人間の体にたとえた完全な均
衡と幾何学的な調和が見事である。イギリスの植民地支配の時代には、監獄として利用さ
れた悲しい歴史ももっている。現在は、フォート・ジーザス国立博物館として一般公開さ
れており、大砲などが展示されている。
大地溝帯のケニアの湖水システム ケニアの湖水システムは、アフリカ大陸の東部、ケニア中央部のリフトバレー州にあり、
ボゴリア湖(10700ha)、ナクル湖(18800ha)、エレメンタイタ湖(2534ha)の3つの浅
いアルカリ性湖群と、周辺地域からなる総面積32034haの大地溝帯。これらの湖群は、主
に地殻変動や火山活動が特有の景観を形成した巨大な地溝帯の上で見つかっている。世界
で最大級の鳥類の多様性、13種の絶滅危惧鳥類が、相関する小さな湖水システムの中で記
録されており、まさに野鳥の宝庫である。通年、400万羽ものコフラミンゴが3つの浅い湖
群間を移動する光景は、野生的な美しさに際立ち、ほかにも、クロサイ、キリン、ライオ
ン、チーター、ヒョウなど多くの野生動物が生息する。火山の噴出物のある大地溝帯は、
温泉群、間欠泉、険しい断崖で囲まれており、湖群の周辺の自然環境は、類ない自然体験
の場になっている。
ラムの旧市街 ラムは、ケニアの東部、ソマリアとの国境近くにある小さなラム島にある。ラムは、東ア
フリカのスワヒリ族(スワヒリは、「海岸」の意)の住居で、最も古くてよく保存された
事例。ラムの旧市街は、現在まで、その歴史や文化を損なうことなく建物もそのままの形
で保持してきた。珊瑚とマングローブの木材を使った伝統的なスワヒリの技法で造られた
ユニークな町並みは、重厚なドアなどに特色がある建築様式にも反映されている。かつて
、アラブとの交易で栄えた東アフリカの最も重要な貿易センターであったラムは、文化的
にも重要な影響を各地に与えた。それは、イスラムとスワヒリの重要な宗教的な役割と教
育の中心地であったことである。ラムは、近年、開発が進み人口や旅行者数が増加し、町
並みの維持など新たな課題を抱えている。
コモエ国立公園 コモエ国立公園は、コートジボワールの北東部にある西部アフリカ最大の面積11500平方
km、海抜250〜300mの台地とコモエ川流域に展開する、森林、サバンナ、草原である。
1968年に国立公園に指定された。保護地域としても、西アフリカで最大級である。これら
の豊かな自然環境は、草原のアフリカ・ゾウ、ライオン、ヒョウ、イボイノシシ、ワニ、
アンテロープ(レイヨウ)、サル、チンパンジー、カバなどの動物やアフリカで最多種を
誇るコウノトリ、ハゲワシなど400種の鳥類など多様な野生動物と多種の野生植物を育ん
でいる。コモエ国立公園は、1983年にユネスコのMAB計画による生物多様性保護区にも指
定されている。狩猟は、全面的に禁止されているが、密猟者が絶えない。野生動物の密猟
、大規模な牧畜、管理不在の理由で、2003年に危機にさらされている世界遺産リストに登
録された。
タイ国立公園 タイ国立公園は、コートジボワール南西部のリベリアとの国境を流れるカヴァレイ川とサ
サンドラ川の間の低地にある。タイ国立公園は、西部アフリカに残された最後の原生熱帯
多雨林地帯の1つとして、1972年に3300平方kmが国立公園に(1977年に隣接地1560平方km
が監視地区に)指定された。高温多湿の気候の為、樹高40〜50mの巨木がジャングルに育
ち、アフリカゾウ、チンパンジー、アカコロブス、ダイアナモンキー、ワニ、ヒョウ、ア
フリカ・スイギュウ、コビトカバ、イボイノシシ、ジャコウネコ、それに、多数の鳥類な
ど豊かな生物相を誇る国立公園。一方、森林伐採には歯止めがかかっているものの、あと
を絶たない心ない密猟によるアフリカゾウなどの生息数の減少、それに多くの希少な動植
物の種の絶滅も危惧されている。環境教育プログラムを通じてこの地域の保護の大切さが
叫ばれ、エコ・ツーリズムなども実施されている。
ニンバ山厳正自然保護区 ニンバ山厳正自然保護区は、ギニア、コートジボワール、リベリアの3国にまたがる総面
積220平方kmの熱帯雨林の自然保護区。西アフリカで最も高い標高1752mのニンバ山を中心
にマホガニーなど原始の広大な密林が広がる為、この地固有のネズミ科の哺乳類や珍しい
昆虫類、貴重な地衣類、真菌類、コケ類などの植物も豊富で、1980年にはギニア側のニン
バ山はユネスコMAB生物圏保護区に指定されている。鉄鉱山開発や難民流入などによる問
題などから、1992年に危機にさらされている世界遺産に登録された。京都大学霊長類研究
所が「西および東アフリカに生息する大型類人猿の行動・生態学の研究」の為、ニンバ山
やボッソウのチンパンジー生息地についても調査を行ってきた。今後の課題として、リベ
リア側も登録範囲に含めることが期待される。
オカピ野生動物保護区 オカピ野生動物保護区は、コンゴ民主共和国の北東部、エプル川沿岸の森林地帯にある。
オカピ野生動物保護区は、イトゥリの森と呼ばれるコンゴ盆地東端部のアフリカマホガニ
ーやアフリカチークなど7,000種にのぼる樹種が繁る熱帯雨林丘陵地域の5分の1を占める
。絶滅に瀕している霊長類や鳥類、そして、5,000頭の幻の珍獣といわれるオカピ(ウマ
とロバの中間ぐらいの大きさ)が生息している。また、イトゥリの滝やエプル川の景観も
素晴しく、伝統的な狩猟人種のピグミーのムブティ族やエフエ族の住居もこの野生動物保
護区にある。森林資源の宝庫ともいえるイトゥリの森では、森林の伐採が進んでおり、伝
統的な狩猟民や農耕民の生活にも大きな打撃を与えることが心配されている。オカピ野生
動物保護区は、1997年に、武力紛争、森林の伐採、金の採掘、密猟などの理由で「危機に
さらされている世界遺産リスト」に登録された。2007年の第31回世界遺産委員会では監視
強化メカニズムが適用された。また、2012年6月24日に起きた密猟者によるレンジャーな
ど7人の殺害と保護事務所の破壊行為に対してユネスコは緊急アピールを採択、義援金の
募集を開始した。
サロンガ国立公園 サロンガ国立公園は、コンゴ民主共和国中央部のコンゴ盆地にあり、コンゴ川、ロメラ川
、サロンガ川などの河川が流れている。サロンガ国立公園は、コンゴ民主共和国最大の国
立公園で、アフリカの国立公園の中でも第2位の規模を誇る。サロンガ国立公園は、赤道
直下に広がる熱帯原生林を保護する為に1970年に国立公園に指定された。高温多湿の深い
密林、それにロメラ川の急流が、ピグミー・チンパンジーのボノボ、オカピ、クロコダイ
ル、コンゴクジャク、ボンゴ、センザンコウなど貴重な動植物の保護に役立っている。
1999年に密猟や住宅建設などの都市化が進行し、「危機にさらされている世界遺産リスト
」に登録された。2007年の第31回世界遺産委員会で監視強化メカニズムが適用された。
カフジ・ビエガ国立公園 カフジ・ビエガ国立公園は、ルワンダとの国境にあるキブ湖の西岸にある。地名の由来が
示すように、カフジ山(3,308m)とビエガ山(2,790m)の高山性熱帯雨林と竹の密林、沼
地、泥炭湿原の特徴をもつ。1970年に国立公園に指定されたのは絶滅が危惧されている固
有種のヒガシローランド・ゴリラの保護が目的であったが、国立公園内にはチンパンジー
、ヒョウ、サーバルキャット、マングース、ゾウ、アフリカ・スイギュウや多くの鳥類も
生息している。1997年、密猟、地域紛争、難民流入、過剰伐採に森林破壊などの理由で「
危機にさらされている世界遺産」に登録された。2007年の第31回世界遺産委員会で、ルワ
ンダ解放民主軍(FDLR)やコルタン鉱石の採掘などに対する政府の対応など監視強化メカ
ニズムが適用された。
ヴィルンガ国立公園 ヴィルンガ国立公園(旧アルベール国立公園)は、赤道直下の熱帯雨林帯から5110mのル
ウェンゾリ山迄の多様な生態系を包含し、ルワンダとウガンダの国境沿いに南北約300km
、東西約50kmにわたって広がる1925年に指定されたアフリカ最古の国立公園で、鳥類も豊
富であり、ラムサール条約の登録湿地にもなっている。ヴィルンガ山脈を越えると南方に
はキブ湖が広がり風光明媚。大型霊長類のマウンテン・ゴリラの聖域で、ジョンバ・サンク
チュアリは、その生息地であるが、密猟などで絶滅危惧種となっている。また、中央部の
エドワード湖には、かつては20000頭のカバが生息していたが、現在は800頭ほどにも激減
している。難民流入、密猟などにより1994年に「危機にさらされている世界遺産リスト」
に登録された。2008年10月、北キヴ州での政府軍と反政府勢力との衝突激化で、マウンテ
ン・ゴリラの生息地も被害を受けた。 2007年の第31回世界遺産委員会で監視強化メカニズ
ムが適用された。
ガランバ国立公園 ガランバ国立公園は、コンゴ民主共和国の北東部、スーダンとの国境の白ナイル川上流に
広がる一大サバンナ地帯。1938年に国立公園に指定された標高800m前後のガランバ国立園
内には、アカ川やガランバ川が流れ、森や沼が点在する。典型的なサバンナ気候で、スー
ダンとコンゴにしかいない絶滅の危機にさらされているキタシロサイ、また、キリン、ア
フリカゾウ、カバなどの大型哺乳動物の生息に適している。キタシロサイなどの密猟がた
えず1984年に「危機にさらされている世界遺産」に登録されたが、当局が密猟者対策を講
じ、十分な成果を挙げることに成功、1992年に危機遺産リストから解除された。しかし、
その後ウガンダ反政府武装組織「神の抵抗軍」(LRA)や難民の流入、国内の治安の悪化
などによって、キタシロサイの密猟が再発、1996年に再び「危機にさらされている世界遺
産」に登録された。2007年の第31回世界遺産委員会で監視強化メカニズムが適用された。
アル・ヒジュルの考古学遺跡(マダイン・サーレハ) アル・ヒジュルの考古学遺跡(マダイン・サーレハ)は、サウジアラビアの北西部、ヨル
ダンとの国境に近いアル・ウラの北東22kmにある古代都市遺跡である。アル・ヒジュルは
、「岩だらけの場所」、マダイン・サーレハは、「サーリフの町」を意味する。ナバティ
ア人の文明の遺跡としては最大規模で、ぺトラがナバティア人の「北の首都」であったの
に対して、アル・ヒジュルは「南の首都」であった。ナバティア人の起源については、中
央アラビアからやって来た説とアラビア湾の北の海岸から来た説など諸説がある。アル・
ヒジュルの考古学遺跡(マダイン・サーレハ)は、紀元前1世紀から紀元後1世紀の装飾さ
れた外壁が良く保存された記念碑的な墓が特徴である。アル・ヒジュルの考古学遺跡(マ
ダイン・サーレハ)は、また、ナバティア文明以前に刻まれた50の碑文といくつかの洞窟
絵画を特徴とし、ナバティア文明のユニークな証拠となるものである。兵士、役人、司令
官、騎手などの111の記念碑的な墓、その内の94は装飾されている。また、井戸は、ナバ
ティア人の建築学的な成果であり、水利技術の専門知識の顕著な事例である。ナバティア
人は、ローマ人の手が届きにくいことや南アラビアからの隊商貿易に対する近隣種族から
の保護の為、アル・ヒジュルを軍事基地としても使用していた。ローマ軍が、西暦106年
に、ナバティア王国を征服した後、隊商の交易ルートを陸上から海上に移した為、アル・
ヒジュルは交易の中心地としての機能を失った。アル・ヒジルの考古学遺跡(マダイン・
サーレハ)は、第32回世界遺産委員会ケベック・シティ会議で、サウジアラビアで最初の
世界遺産になった。
ディライーヤのツライフ地区 ディライーヤのツライフ地区は、アラビア半島の中央部、首都リヤドの北西20km、リヤド
州にある。ディライーヤは、アラビア語の「盾」という言葉に由来し、15世紀に、アラビ
ア半島の中心部特有のナイディ建築様式で創建された。ディライーヤは、現在のサウード
王国発祥の地で、18世紀後半から19世紀初頭にかけて繁栄した第1次サウード王国の首都
になり、また、ナジュドでムハンマド・イブン・アブドル・ワッハーブによるイスラム改
革運動のワッハーブ派が起こったため、政治的、宗教的な役割が増した。ディライーヤ・
オアシスの端の高台にあるツライフ地区は、サウード王家の歴代の宮殿や大蔵省などの行
政機関も置かれるなど王家の権力の中心となり、ディライーヤ全域を取り囲む城壁や、四
方の見張り塔が見渡せる要衝であったが、1818年に、第1次サウード王国の台頭を警戒し
たオスマン帝国の傘下にあったエジプト軍によって徹底的に破壊された。現在の遺跡の多
くは、その当時のものである。ツライフ地区には、第1次サウード王国の第4代領主、アブ
ドゥッラー・ビン・サウードとその兄弟9人のプリンス達の宮殿、ディライーヤで最大の
ドリーシャ要塞など土構造の建造物群の遺構が残っている。現在は、修復作業が進み、一
般公開されている。
モシ・オア・トゥニャ(ヴィクトリア瀑布) モシ・オア・トゥニャ(ヴィクトリア瀑布)は、ザンビアの南部州リヴィングストン地区
とジンバブエの北マタベレランド州ワンゲ地区にあり、ナイアガラの滝、イグアスの滝と
共に世界三大瀑布のひとつである。幅1700m、最大落差150mでザンビアとジンバブエ両国
境を流れる南アフリカ一の大河ザンベジ川の中流に、轟音を響かせる水煙のパノラマを展
開する。現地語のモシ・オア・トゥニャは、「雷鳴のような水煙」の意。その水量は、最
大時毎分54万トンと膨大で、滝の水煙は30km先からも見えるといわれる。この滝を1855年
11月16日に初めて探検した英人探検家のデヴィット・リヴィングストン(1813〜1873年)
が名付け親で、母国英国のヴィクトリア女王(1837〜1901年)の名前に由来する。滝から
数キロメートル上流の動物公園では、キリン、バッファロー、シマウマ、テン、エランド
、レイヨウなどが見られる。モシ・オア・トゥニャ(ヴィクトリア瀑布)は、都市開発、
観光客の増加、外来種などの脅威や危険への対応策など、ザンビアとジンバブエ両国によ
る共同の保護管理計画の策定が求められている。
古代都市アレッポ アレッポは、首都ダマスカスの北約300kmにある古代都市。古くからユーフラテス川流域
と地中海、シリア南部とアナトリア地方とを結ぶ交易路の要衝で、商業都市として栄えた
。紀元前20世紀頃には、既にヤムハド王国の首都として栄え、その後、幾多の栄枯盛衰を
経験した。紀元前10世紀に築かれたアレッポ城、ヘレニズム時代からの難攻不落の要塞、
7世紀に建てられその後、再建されたヨハネの父ザカリアの首を祀る大モスク、12世紀後
半のマドラサ(学校)、17世紀のキャラバンサライ(隊商宿)のアル・ワジール、それに
世界最大級ともいわれる延々と続くスーク(市場)などが残る。
シュバリエ城とサラ・ディーン城塞 シュバリエ城とサラ・ディーン城塞は、アル・フォスン市とハフェ市にある。2つの城は
、11〜13世紀の十字軍の時代に中近東における要塞建築の進化をあらわす最も重要な事例
を代表するものである。シュバリエ城は、1142〜1271年にエルサレムの聖ヨハネ騎士団に
よって建てられた。13世紀後半にマルムーク朝による建設で、十字軍の城の最も良く保存
された事例に位置づけられ、中世の城の典型である。十字軍によって建てられた8つの円
塔とマルムーク朝によって建てられた角塔を含む。同様に、サラ・ディーン城塞は、部分
的には廃墟であるにもかかわらず、今尚、建設の質や歴史的な変遷の残存の両面において
、この種の要塞の顕著な事例を代表するものである。それは、10世紀のビザンチン初期か
ら12世紀後期、12世紀後半〜13世紀半ばにアイユーブ朝によって建設された要塞の特徴を
とどめている。
古代都市ダマスカス ダマスカスは、メソポタミア−エジプトの東西とアラビア半島−アナトリアの南北の隊商
路の交点であった紀元前3000年頃より栄華を誇った中東で最も古い都市の一つである。
635年にアラブ人が侵入し、661〜750年までウマイヤ朝の首都として、イスラムの政治、
文化の中心地となった。12世紀後半にはアイユーブ朝が興り、サラディン統治のもとで繁
栄し、宗教、文化が開花し、数多くの壮麗なモスクが建築された。ダマスカスは、バラー
ダ川で二分され、南岸の旧市街には、ウマイヤ・モスク、スーク・ハミーディーヤ、キャ
ラバンサライ、市場、キリスト教徒の居住地区、ドゥルーズ教徒の居住地区がある。ロー
マ、イスラム、ビザンチンなどの支配を示す遺跡、ユビテル門、コリント式の列柱神殿、
聖ヨハネ教会、トルコ様式のアズム宮殿などが残っている。
シリア北部の古村群 シリア北部の古村群は、シリアの北西部、イドリブ県とアレッポ県にまたがる広大な石灰
岩の山中にある集落遺跡群。シリアの北西部にある8つの公園群の中にある40もの古村群
は、古代末期からビザンチン時代の地方の田園生活を物語る遺跡群である。古村群は、1
〜7世紀に建てられ8〜10世紀に廃村となったが、景観、住居群、寺院群、教会群、浴場等
の建築学的な遺跡群は、きわめて保存状態が良い。古村群の遺構の文化的景観は、古代ロ
ーマの異教徒の世界からビザンチンのキリスト教信仰までの変遷ぶりを映し出している。
水利施設、防護壁、農地の区割りなどから、農業生産に熟達していたことがわかる。
古代都市ボスラ ボスラは、ダマスカスの南約150km、ヨルダンとの国境近くにあるオアシス都市。ボスラ
には、2世紀頃、シリアを支配し、最盛期を誇っていたローマ帝国のトラヤヌス帝(在位
98〜117年)が玄武岩で造らせた上階に列柱廊がある円形劇場、市場(アゴラ)、浴場、
水利施設、列柱道路などの古代都市遺跡が残る。11〜13世紀に十字軍の占領に備え、要塞
を築いたり、堀を巡らしたりしたが、イスラム支配後は、メッカに向かう巡礼路からは次
第に外れ、何時しか廃墟と化した。
パルミラの遺跡 パルミラの遺跡は、ダマスカスの北東200km、シリア砂漠の中央にある。パルミラは、西
方と東方との結節点として、そして、シルクロードの中継地としての隊商都市として、な
かでも、ローマ時代の1〜3世紀には、交易路の要所として栄えた。パルミラという名前は
、ナツメ椰子を意味するパルマに由来する。起源は聖書にもある程古いが、パルミラのゼ
ノビア女王がローマ帝国からの独立を謀ったことによりローマ軍に破壊され廃虚となった
。アラブの城塞、凱旋門、広場、列柱道路、コリント様式の列柱廊があるベール神殿、葬
祭殿、元老院、取引所、円形のローマ劇場、公共浴場、住宅、墓地などが往時の繁栄を偲
ばせる。
カミ遺跡国立記念物 カミ遺跡は、ジンバブエの南西部を流れるカミ川の西側、ブラワヨの22km西に広がる約1
平方kmの石造遺跡群で、ジンバブエ文化の一環をなす。15世紀中頃にトルワ王国の首都と
なり、17世紀頃まで存続していた。ロズウィ族の技法を用いて煉瓦状の花崗岩の石材を積
み重ねたものである。カミ遺跡国立記念物からは、ビーズや金製品、鉄器、宋、元、明の
青磁や白磁、染付など中国、ポルトガル、ドイツ、北アフリカとの交易品が数多く、出土
している。石造建築、金製品や銀製品は、グレート・ジンバブェのものよりも加工技術が
発展している様子がうかがえる。
マナ・プールズ国立公園、サピとチェウォールのサファリ地域 マナ・プールズ国立公園、サピとチェウォールのサファリ地域は、ジンバブエの北部、マ
ショナランド地方の1000m近いザンベジ高地のザンビア谷の一部にある。ザンベジ川の中
流、大地構帯の断層が横切る堆積盆地周辺に広がる草原と森林地帯6766平方kmに、ゾウ、
サバンナシマウマ、アフリカスイギュウ、インパラなどの草食動物、水辺のワニ、鳥類
300種以上が生息する。ザンベジ川は定期的に氾濫し、肥沃な土壌を形成し、多くの動物
の生息に適した地域を造り上げた。ザンベジ川の岸辺は絶滅の危機に瀕したナイルワニの
貴重な生息地としても知られている。この地域は、肉食性哺乳動物は少ないので、ガイド
なしのサファリ観光が楽しめる。
グレート・ジンバブエ遺跡 グレート・ジンバブエ遺跡は、ジンバブエの南部、ハラレの南約250kmに広がる巨大石造
遺跡。グレート・ジンバブエ遺跡は、宮殿、神殿、要塞、住居、家畜小屋などから構成さ
れる3部分、すなわち、花崗岩の丘の上に建つ「アクロポリス」、平地にある「神殿」、
アクロポリスと神殿との間にある石造りの集落の「谷の遺跡」からなる。11〜18世紀にシ
ョナ族とロズウィ族がジンバブエ(石の家)と呼ばれる石造建築をあちこちに建設したが
、その中で最も壮大なのがグレート・ジンバブエ遺跡。ジンバブエの国民の誇りとされる
グレート・ジンバブエ遺跡は、ジンバブエ文化を伝える遺産で、国立記念物にも指定され
ている。また、古くは、インド貿易によって栄えたジンバブエ、そして、1980年に白人少
数支配から黒人主体国家へと移行し、現在のジンバブエという国名になった時も、この遺
跡に因んで名前がつけられたという。「アクロポリス」で発見された「鳥神柱」は、国家
のシンボル「ジンバブエ・バード」になっている。
モシ・オア・トゥニャ(ヴィクトリア瀑布) モシ・オア・トゥニャ(ヴィクトリア瀑布)は、ザンビアの南部州リヴィングストン地区
とジンバブエの北マタベレランド州ワンゲ地区にあり、ナイアガラの滝、イグアスの滝と
共に世界三大瀑布のひとつである。幅1700m、最大落差150mでザンビアとジンバブエ両国
境を流れる南アフリカ一の大河ザンベジ川の中流に、轟音を響かせる水煙のパノラマを展
開する。現地語のモシ・オア・トゥニャは、「雷鳴のような水煙」の意。その水量は、最
大時毎分54万トンと膨大で、滝の水煙は30km先からも見えるといわれる。この滝を1855年
11月16日に初めて探検した英人探検家のデヴィット・リヴィングストン(1813〜1873年)
が名付け親で、母国英国のヴィクトリア女王(1837〜1901年)の名前に由来する。滝から
数キロメートル上流の動物公園では、キリン、バッファロー、シマウマ、テン、エランド
、レイヨウなどが見られる。モシ・オア・トゥニャ(ヴィクトリア瀑布)は、都市開発、
観光客の増加、外来種などの脅威や危険への対応策など、ザンビアとジンバブエ両国によ
る共同の保護管理計画の策定が求められている。
マトボ丘陵 マトボ丘陵は、ジンバブエ第2の都市ブラワヨの南40kmにあるサバンナと起伏に富んだ岩
山である。マトボとは、禿げ頭を意味している。マトボ丘陵は、洞窟や岩肌に描かれた古
代の岩壁画や花崗岩の奇岩の地形が特色で、1904年に国立公園に指定されている。野生動
物は、黒と白のサイ、黒ワシ、ヒョウ、キリン、シマウマ、クロテン、それに、ヒヒが生
息している。マトボ丘陵は、その景観と崩れそうな岩の地形がすばらしい。かつてのロー
デシアゆかりのセシル・ローズ(1853〜1902年)の墓、16世紀に繁栄したトルワ族の砦、
既に世界遺産になっているカミ遺跡群国立記念物が近くにある。
ナパタ地方のゲベル・バーカルと遺跡群 ナパタ地方のゲベル・バーカルと遺跡群は、カルツームの北400km、スーダン東部の町カ
リマの近くで、ナイルの第三瀑布と第四瀑布との間の川沿いの隔たったジャバルと呼ばれ
る高さ98mの巨大な砂岩の山にある古代都市ナパタの遺跡である。エジプト人と後のヌビ
ア人のクシは、90mの高山を彼らの最高神であるアモンの棲むところとした。紀元前1450
年頃、エジプトのファラオ、トトメス3世は、ゲベル・バーカルを征服し、彼の帝国の南
限とし、そこにつくった都市は、ナパタと呼ばれた。後にクシと呼ばれる独立したヌビア
の王国になった。紀元前720年から660年まで、歴代の王は、エジプトを支配し、紀元前8
世紀後半に、ピアンキの統治の下で、北の首都になった。クシ王国がエジプトから撤退し
た後も、ナパタは、紀元前350年頃まで、王室の住居として、また、宗教的な中心地とし
て続いた。ゲベル・バーカルにある13の寺院群、3つの神殿群の遺跡は、1820年代にヨー
ロッパの探検家によって紹介され、1916年には、本格的な発掘が行われた。不幸なことに
、風、砂嵐、ナイル川の洪水、根深い藪、不規則な訪問者、自動車交通が、脆い砂岩を風
化させており、緊急の保護措置が求められている。
メロエ島の考古学遺跡群 メロエ島の考古学遺跡群は、スーダンの北東部、ナイル川とアトバラ川の2つの河川の間
、半砂漠の景観を呈するメロエ島にある。紀元前8世紀から紀元後4世紀にナイル川流域で
栄えたクシュ王国の中心地であった遺跡群で、メロエの都市遺跡、墓地遺跡、それに、近
隣のナカ、ムサワラトなどの宗教遺跡群も世界遺産の構成資産に含まれている。クシュ王
国の都は、当初ナパタにあったが、紀元前6世紀にアッシリアの攻撃を受けた為、メロエ
に遷都し、ピラミッド、神殿、宮殿、道路、墓地等を建設した。王国は、地中海からアフ
リカの中心部までに拡大、下流のエジプトには、第25王朝(紀元前747年〜紀元前656年)
を建設し、1世紀ほどその支配においた。メロエ島の考古学遺跡群は、芸術、建築、宗教
、言語の各分野において、地域間の交流があったことを物語っている。
アルダブラ環礁 アルダブラ環礁は、アフリカ東海岸から640km、インド洋上にある珊瑚礁で、総面積約155
平方km、海抜3mの4つの珊瑚島から構成されている。太古のゴンドワナ大陸から分かれた
とされる島は、生息数世界一を誇るアルダブラ・ゾウガメの生息地、絶滅危惧種のタイマ
イやアオウミガメの産卵地、固有鳥のクロトキ、ノドジロクイナ、グンカンドリなど豊富
な種類の鳥の生息地としても有名である。1960年代以来、環礁全体の調査、タイマイやア
オウミガメの生息数の調査などの科学調査、それに、セイシェル政府の気象観測所が設置
されている。
バレ・ドゥ・メ自然保護区 バレ・ドゥ・メは、マヘ島の北東50kmにあるプラスリン島のプラスリン国立公園の中心部
にある。バレ・ドゥ・メは、「巨人の谷」を意味する名の渓谷で、自然保護区に指定され
ている。バレ・ドゥ・メは、その実が30cmを超えるセイシェル固有のココ・デ・メールと
呼ばれる天然ヤシの原生林など樹齢百年の巨大な木々が繁茂している。ココ・デ・メール
は、かつては、深海に生えるヤシの木から取れる海のココナツだと信じられていた。バレ
・ドゥ・メには、クロインコ、セイシェル・キアシヒヨドリ、セイシェル・タイヨウチョ
ウ、セイシェル・ルリバトなど世界的に珍しい鳥が生息している。
ゴレ島 ゴレ島は、首都ダカールの沖合3kmの大西洋上に浮かぶ島。奴隷貿易中継の島として、
1814年に、フランスで奴隷貿易が廃止される頃まで使用された。島の南北の最長部分が
900m、東西が300mの小さなゴレ島には、人類の罪科を如実に示す負の遺産ともいえる、鎖
でつながれていた狭くて暗い奴隷の収容所、奴隷の売買が行われた商館、一方、セネガル
で最も古いイスラム教の石のモスク、古典主義様式のカトリックの聖堂なども残る。当初
、ポルトガル人がこの島にやって来た頃は、商業基地として栄えたが、その後、西アフリ
カ地方等から集められた黒人奴隷、アラビアゴム、黄金、密蝋などの交易を巡って、イギ
リス、フランス、オランダ、ポルトガルが商権を激しく競い合い、「絶好の錨地」という
意味をもつゴレ島の領有権は、転々とした歴史をもつ。1777年頃に建てられ奴隷の積み出
し場として使われた「奴隷の家」は、現在、歴史博物館として一般公開されている。現在
は、家並みも変り、観光客も多い。尚、ゴレ島などフランス領西アフリカ(AOF)の記録
史料は、世界記憶遺産に登録されており、セネガル公文書局(ダカール)に収蔵されてい
る。
ジュジ国立鳥類保護区 ジュジ国立鳥類保護区は、セネガル川河口の三角州からサハラ砂漠の最西端に接する地域
に広がり、1977年にラムサール条約にも登録されている湿地。北西部の植物が豊かに茂っ
ている緑地を目指して、ヨーロッパ大陸や東部アフリカから冬季にはオオフラミンゴ、モ
モイロペリカン、ガン、カモ、サギ、ツル、トキ、ワシ、タカなど300万羽もの渡り鳥が
飛来し越冬する。近年、砂漠化、農業排水による水質汚染、それに水草の大量発生による
生態系や自然環境の悪化が深刻化している。2000年には危機遺産に登録されたが、バイオ
・コントロールを講じたことにより湿地への侵入植物種の脅威を根絶したとして、2006年
危機遺産から解除された。
サルーム・デルタ サルーム・デルタは、セネガルの西部、ティエス州とファティック州にまたがるサルーム
川、ディオンボス川、バンディアラ川の3つの川の河口によって形成された三角州である
。サルーム・デルタでは、長年、人々が生活の糧とした貝の採集や魚釣りが行われ、積年
のうちに貝塚が形成された。サルーム・デルタの周辺は、約200の島々、砂州群、干潟群
、水路群、マングローブ林、大西洋の海洋環境、乾燥林などの自然環境に恵まれている。
先人が残した保存状態の良い218の貝塚と28の古墳丘と周辺の自然環境は、類いない独自
の文化的景観を形成している。サルーム・デルタは、三角州での人間の生活や文化の理解
、それに、西アフリカの沿岸での人類の定住の歴史を物語る証拠である。複合遺産として
登録推薦されたが、自然遺産としての価値は認められず、文化遺産として登録された。
セネガンビアの環状列石群 セネガンビアの環状列石群は、ガンビアのセントラル・リバー区とセネガルのカオラック
地域に分布し、ガンビア川の350kmに沿った幅100kmの地帯に集積する1000以上の遺跡を代
表する4つの大きな環状列石群からなる。紀元前3世紀から紀元後16世紀の間のものと思わ
れる93以上の環状列石からなるシネ・ンガエネ、ワナール、ワッス、ケルバチの4つの群
とおびただしい数の塚、古墳が発掘された。紅土の支柱からなる環状列石と一連の古墳は
、1500年以上にもわたって生み出された広大な聖なる景観を呈する。それは、繁栄し高度
に組織化された継続した社会を反映している。石群は、鉄の道具で、採石され、巧みにほ
とんど同一の円柱状、或は、約2mの高さで多角形の17トンの支柱で形成されている。各サ
ークルには、8〜14の支柱があり、直径は4〜6m、全ては、古墳の近くに立地している。セ
ネガンビアの環状列石群は、大きさ、密度、複雑性など世界的にも比類のない地域の広大
な巨石地帯を代表するものである。
サン・ルイ島 サン・ルイ島は、セネガルの北部、セネガル川の河口にあり、本土とはフェデルデ橋で結
ばれている。サン・ルイ島は、1683年頃にフランスの植民地になり、サン・ルイに総督府
がおかれた。また、サン・ルイは、アフリカ西海岸最古のヨーロッパ人の町で、1872年か
ら1957年までの間、セネガルの首都であり、西アフリカ諸国のなかで、経済的にも文化的
にも重要な役割を果たした。サン・ルイ島の都市計画や都市構造、そして、港湾都市とし
ての波止場の仕組みは独特である。サン・テクジュペリの小説「星の王子様」は、ここで
書き上げられたことでも知られている。
ニオコロ・コバ国立公園 ニオコロ・コバ国立公園は、セネガルの南西部、ギニアとの国境近くのタンバクンダ地方
にある総面積913000haの西部アフリカ最大の自然公園。国立公園内を流れるガンビア川を
本流に、北東にはニオコロ・コバ川、西にはクルントゥ川が蛇行を繰り返し、森林や草原
など豊かな緑を潤している。公園の大部分は、乾燥地帯であるスーダン・サバンナから湿
地地帯のギニア森林への移行地帯となっており、2つの植生区分をもつ。そのため、生息
する動物も多種多彩で、絶滅の危機にあるジャイアントイランドやイランド、コープ、ロ
ーンアンテロープ、ハーテービースト、キリン、ライオン、ヒョウ、カバ、アフリカゾウ
、ナイルワニなどが見られる。哺乳類は約80種、その他、330種の鳥類、36種の爬虫類、
20種の両生類、60種の魚類が生息する。植物も1500種類に及んでいる。アフリカゾウやキ
リン、ライオンなど密猟が後を絶たず、その数が激減しており問題化している。2007年に
、密猟の横行、ダム建設計画などの理由から、「危機にさらされている世界遺産リスト」
に登録された。
キリマンジャロ国立公園 キリマンジャロ国立公園は、タンザニアの北東部に広がる面積約753平方kmの国立公園。
キリマンジャロは、スワヒリ語で「輝く山」、「白き山」という名の通り、赤道下の万年
雪と氷河を頂く美しいコニーデ型のキリマンジャロ山(標高5895m)を中心に動植物の分
布が変化する。キリマンジャロは、最高峰のキボ峰をはじめシラー峰、マウェンジ峰の3
つの峰が並ぶアフリカ最高峰の山。アフリカゾウ、アフリカスイギュウ、シロサイ、ヒョ
ウ、クロシロコロブス、プッシュパックヤ、トムソンガゼル、この周辺特有のクリイロタ
イガーや、珍鳥ヒゲワシ、ノドグロキバラテリムクドリなどの動物や野鳥が生息。1921年
に自然保護区に指定され、1971年に国立公園に昇格した。登山者の捨てるゴミの問題など
新たな環境問題が発生している。
ザンジバルのストーン・タウン ザンジバルのストーン・タウンは、首都ダルエスサラームの北、約100km、ザンジバル島
の西端にある。ザンジバル島は、1499年にポルトガルの航海者のバスコ・ダ・ガマが喜望
峰を回って、東アフリカに上陸した地点の一つ。ザンジバルは、その後、ポルトガルの植
民地となり、後に、アラブ人がポルトガルを追放、1832年には、マスカット・オマーンの
領主(スルタン)がオマーンからザンジバルに拠点を移すなど、町の支配はめまぐるしく
変った。また、東アフリカのスワヒリ族が沿岸貿易で富を蓄えたこの町は、東アフリカの
全域から捕らえた年間数十万人のアフリカ人の奴隷も商品として扱い、奴隷貿易は1873年
まで続いた。ザンジバルの町並みは、1710年に築かれたアラブ要塞、1833年にスルタンが
建てた「驚嘆の家」、もとスルタンのハーレムだった「人民の庭園」、ディヴィッド・リ
ビングストン(1813〜1873年)の遺体を安置した旧英国領事館、1877年に建造された美し
い聖堂などアフリカ、アラブ地域、インド、それに、ヨーロッパの諸文化が時代を超えて
見事に調和している。
ンゴロンゴロ保全地域 ンゴロンゴロ保全地域は、タンザニアの北部、アルーシャ州に広がる。ンゴロンゴロ山の
面積264平方kmの火口原を中心とした南北16km、東西19kmの大草原。外輪山の高さは800m
、火口原には、キリン、ライオン、クロサイなど多くの動物が、クレーターの湖や沼には
、カバ、水牛、フラミンゴが生息、保全地域の西端のオルドゥヴァイ峡谷では、アウスト
ラロピテクス・ボイセイやホモ・ハビリスなど直立歩行をした人類最古の頭蓋骨も出土し
ている。2010年の第34回世界遺産委員会ブラジリア会議で、オルドゥヴァイ峡谷の発掘調
査によって、360万年前の初期人類の二足歩行の足跡が発見されたラエトリ遺跡の文化遺
産としての価値が評価され、複合遺産になった。
キルワ・キシワーニとソンゴ・ムナラの遺跡 キルワ・キシワーニとソンゴ・ムナラの遺跡群は、タンザニア南部のインド洋上に浮かぶ2
つの小さな島にある。キルワ・キシワーニ島は、モロッコ出身の大旅行家イブン・バトゥー
タ(1304年〜1368年/1369年或は1377年)の旅行記「三大陸周遊記」やミルトン(1608〜
74年)の「失楽園」にも登場する。キルワ・キシワーニ島は、13〜16世紀に、金、銀、真
珠、香水、アラビアの陶器、ペルシャの陶磁器、中国の磁器、それに奴隷の交易で栄え、
12世紀に建てられた大モスクをはじめ、フスニ・クブワ宮殿、ゲレザ(牢獄)の要塞など
が残る。一方、14〜15世紀に栄えたソンゴ・ムナラ島にはアラビア人居住地や五大モスク
などの廃虚が残る。キルワ・キシワーニとソンゴ・ムナラの遺跡群は、スワヒリ文化、ア
フリカの東海岸のイスラム化、中世から現代に至るインド洋における商業・貿易を知る上
での重要な考古学遺跡である。2004年に管理体制の欠如から、「危機にさらされている世
界遺産リスト」に登録された。
セルース動物保護区 セルース動物保護区は、タンザニアの南東部にある総面積約55000平方kmのアフリカ最大
級の人跡未踏の動物保護区。アフリカ・ゾウ、ライオン、アフリカスイギュウ、レイヨウ
、サイ、カバ、ワニなどの 草食・肉食・水辺の動物が多数生息する。豊富な餌を確保し
易い様に、猛禽類のワシやタカも多い。文字通り野生の王国。
コンドアの岩画遺跡群 コンドアの岩画遺跡群は、タンザニア中部、ドドマ州県にある。アフリカ大陸を南北に縦
断する巨大渓谷である大地溝帯と境界を接するマサイの崖の東斜面の断層によって分断さ
れた堆積岩が突き出した急峻な岩面にあり、少なくとも2000年間にわたって、岩画が描か
れてきた。面積は、2336平方kmに及ぶ150〜450の岩、洞窟、崖面に描かれた岩画の多くは
高い芸術的価値を有し、狩猟採集社会から農耕社会への変化など社会経済の推移、それに
、原住民の信仰や思想などがわかるユニークな証しである。コンドアの岩画遺跡群は、初
期の赤い岩画、後期の白と黒の岩画だけではなく、関連する考古学遺跡や儀式の場所など
を含む。周辺の森林伐採、心無い落書き、不法な発掘などの脅威にさらされている。
セレンゲティ国立公園 セレンゲティ国立公園は、タンザニアの北部、マラ州、アルーシャ州、シミャンガ州にま
たがり、キリマンジャロの麓に広がる面積14763平方kmの大サバンナ地帯。マサイ族の言
葉で「広大な平原」の意味の如く、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県の1都3県の広さに
匹敵する。ライオン、チーター、ヒョウなどの肉食動物からアフリカゾウ、バッファロー
、インパラ、キリン、シマウマ、ガゼル、アンテロープなどの草食動物まで、多くの動物
達の群れが絶え間ない生存競争の中で生息している。草原は雨季と乾季が交互に訪れ、動
物達は水と餌を求めて移動を繰り返す。セレンゲティ平原を象徴するのは、ヌー(ウシカ
モシカ)の大群で、300万頭の草食動物の3割を占め、1500kmも離れたケニアのマサイマラ
まで移動し、その大移動は壮観である。こうした動物達の群れを追って、ライオン、チー
ター、ヒョウ、ハイエナなどの肉食動物が続く。こうして数千年かけてつくられた生態系
のバランスも、19世紀に入植が進むと崩れていき、1921年には保護区に指定された。
マノボ・グンダ・サンフローリス国立公園 マノボ・グンダ・サン・フローリス国立公園は、 中央アフリカの北部にある1933年に設
定された総面積17400平方kmの国立公園。北からアウク川沿いの広大な草原地帯、サバン
ナ地帯、険しい砂岩のボンゴ山岳地帯からなる為に、アフリカゾウ、アフリカ・スイギュ
ウ、ライオン、チータ、キリン、カバ、クロサイ、カモシカなどの大型哺乳類が約60種、
モモイロペリカン、ワシ、タカ、オオシラサギなどの鳥類が約320種、植物が1200種など
豊かな動物相と植物相が見られる。ゾウやスイギュウの密猟があとを絶たず、1997年に「
危機にさらされている世界遺産リスト」に登録された。その後も治安の悪化、密猟、密漁
、放牧、マノヴォ川沿いでの鉱山開発などの脅威や危険は後を断たない。
イシュケウル国立公園 イシュケウル国立公園は、チュニジアの首都チュニスの北西約70km、北部アフリカの最北
端にある総面積12600haの自然公園。標高511mのイシュケウル山、その山麓のイシュケウ
ル湖とその周辺に広がる、1980年にラムサール条約にも登録されている広大な湿地帯から
なる。欧州大陸と北部アフリカを往復するハイイロガン、ヒドリガモ、メジロガモなど
180種の渡り鳥の越冬地として非常に重要な地域で、かつて王家の私有地だったこともあ
り、手つかずの湿原植物などの自然と生態系が残されており、1977年にはユネスコMAB生
物圏保護区に指定されている。ダム建設の影響で、1996年に危機遺産に登録されたが、農
業用の湖水使用の中止が塩分の減少と多くの鳥類の回帰をもたらしたことにより、2006年
危機遺産から解除された。
カルタゴの遺跡 カルタゴの遺跡は、チュニジアの北部、首都チュニス近郊の地中海沿岸にある。カルタゴ
は、航海の民で、当時、地中海貿易を独占していたフェニキア人が、紀元前9世紀に植民
市として建設した。カルタゴのハンニバル(紀元前246?〜紀元前183年)らの将軍は、3
回にわたるポエニ戦争(紀元前264〜紀元前146年)で、ローマ軍と果敢に戦ったが敗れた
。カルタゴの町は、建物の石は取り崩され、地には塩がまかれ、草木が二度と生えないよ
うに破壊された。しかし、後に再びローマの北部アフリカの属州の州都として復活。最盛
期の2〜3世紀には、神殿、ローマ劇場、円形闘技場、アニトニウスの共同浴場、水道など
が建設された。しかし、6世紀に亡びて放棄された。
チュニスのメディナ チュニスは、チュニジア北東部、地中海に面する古くからの首都である。その歴史は、7
世紀末にビザンチン帝国の統治下にあったカルタゴを破ったアラブの征服者ハッサーン率
いるサラセンが町を建設した時に始まる。アグラブ朝の首都になった9世紀に再建され、
イスラム教の礼拝場所で「オリーブの木のモスク」と呼ばれる大モスクであるジトウナ・
モスクを中心に、ミナレットが印象的なマレカイト・モスクやハネファイト・モスクなど
のイスラム建築物やスーク(市場)などがある市街地が城壁と堀で囲まれた。現在の町は
、中庭のある家並みの居住地域を含めて、ハフシド王朝時代の14世紀にほぼ固まった。メ
ディナ地区の保存及び再建は、メディナ保存協会を中心に行われてきた。
エル・ジェムの円形劇場 エル・ジェムの円形劇場は、チュニジア中北部のマハディア県の小さな村エル・ジェムに
ある北アフリカ最大のコロシアムの遺跡で、ローマ帝国のゴルディアヌスが240年に建造
させた円形劇場(アンフィテアトルム)である。切り石を積み上げ、縦149m、横124m、高
さ36m、舞台の直径65m、収容能力が35000人と巨大で、戦時は要塞として、平時は、ライ
オンと奴隷、また、人間同士を格闘させた劇場として使用された。エル・ジェムの円形劇
場は、17世紀まで、ほぼ原型を保っていたが、17世紀から、円形劇場の石材は、近くの村
やケルアンの大モスクを造るために使用され、オスマントルコとの戦闘において、トルコ
人は、円形劇場から敵を追い出すために大砲を使用した。現状、保存状態は良好である。
ケルクアンの古代カルタゴの町とネクロポリス ケルクアンは、チュニスの北東18km、地中海沿岸のボン岬にかつてあった海洋民族のフェ
ニキア人が築いた植民市のカルタゴの町。ローマとの紀元前264年から紀元前241年にかけ
ての第一次ポエニ戦争(ローマ人はフェニキア人をポエニと呼んだ)で敗れ、紀元前146
年頃に滅びたが、神殿、住宅、下水溝、城壁、職人の工房などカルタゴ都市の遺跡、それ
に、背後の岩山に散在する装飾が施された200基以上の墓地群(170m×100mが一単位)が
、当時の姿をそのまま伝えている。
ドゥッガ/トゥッガ ドゥッガは、チュニジアの北部、チュニスの南西97kmの山地にあるチュニジア最大の古代
ローマ遺跡である。世界遺産の登録面積は、コア・ゾ−ンが70ha、バッファー・ゾーンが
80haである。ドゥッガは、もともとは、ヌミディア王国に属し、紀元前9世紀にフェニキ
アのティルス市がアフリカ北岸に建設した植民市のカルタゴの影響下にあったが、紀元前
46年に、カエサル(シーザー)が率いるローマ軍の支配下となった。その後、東ローマ帝
国の支配地となり、その後バンダル人に占領された。168年に建造された3500席の野外劇
場をはじめ、ケレスティス神殿、共同浴場、アレクサンドロスの凱旋門、邸宅、城壁、水
道、貯水場、ベルベル人の廟など考古学的に高い価値のある遺跡が高度600m、25haもの地
に広がる。ドゥッガは古い時代には、「牧場」を意味するトゥッガと呼ばれ、肥沃な平野
が見渡せる地に建設された重要な古代カルタゴの首都であった。
カイルアン カイルアンは、チュニスの南約120kmにある9〜11世紀にアラブの王都として栄えた古都。
カイルアンにはマグレブ諸国で最も古いグランド・モスクがある為、カイルアンはマグレ
ブのイスラム教の聖地としても重要な役割を果たした。イスラム教徒にとっては、メッカ
、メディナ、エルサレムに次ぐ第4番目の聖地とされ、今も世界各地からの巡礼者がこの
地を訪れる。城壁が囲むメディナ(旧市街)には、マグレブで最も優美とされるアルハン
ブラを思わせるシディ・サハブ・モスクがある。マホメット(ムハンマド)の同志であっ
た聖サハブの墓があることでも知られている。
スースのメディナ スースは、チュニスの南150kmの地中海沿岸にある港町で、紀元前11世紀に海洋民族のフ
ェニキア人が植民地として建設したのが起源である。その後、カルタゴ、ローマ、ビザン
チンと支配者が替わったが、オリーブ油の交易で繁栄した。現在のスースのメディナが造
られたのは、7世紀、アラブ人の町となってから。メディナ(旧市街)は、フランスやイ
タリアなどの攻撃に備えて二重の城壁で囲まれており、密集した家並みと迷路の様に入り
組んだ路地が印象的。8世紀末に建設された1つの高塔と7つの見張り台があるリバトと呼
ばれる正方形の要塞(カスバ)は、礼拝所としても利用された施設で、初期イスラムの貴
重な遺構。9世紀に建設されたグラン・モスクが、当時のままの姿で残っている。
バタムマリバ族の地コウタマコウ バタムマリバ族の地 コウタマコウは、トーゴ北東部のカラ地方のコウタマコウにあり、
隣国のベナンにも広がる。コウタマコウには、先住民族のバタムマリバ族が農業、林業、
牧畜で生活を営んでおり、今も伝統的集落で暮らしている。バタムマリバ族は、ブルキナ
ファソのモシ族と一緒に生活をしていたが、16〜18世紀に、現在地に移住してきた。バタ
ムマリバ族の集落は、アタコラ山脈とケラン平原の間の麓にある。家屋は、タキエンタと
呼ばれる泥で作られた塔状の土造建築物で、トーゴの社会構造を反映するシンボルの一つ
でもある。コウタマコウの農地、森林などの自然環境は、バタムマリバ族の生活、信仰、
儀式とも深く関わっており、文化的景観を形成している。