Patrimoine de l'humanite
サンダーバンズ サンダーバンズは、バングラデシュの南西部のクルナ州にあり、広大なマングローブ林は、世界最大級で、ベンガル湾沿いのガンジス川、ブラマプトラ川、メジナ川流域のデルタ地帯を形成している。サンダーバンズの世界遺産の登録面積は、3つの野生生物保護区を含む139500haに及ぶ。
バゲラートのモスク都市 バゲラートは、バングラデシュの南部、クルナ州バゲラート県のバイラブ川南岸の小都市。その昔は、カリファバッドと呼ばれていた。12世紀末から約550年間にわたってベンガルおよび北部インドを統治したイスラムが残した建造物群が、6.5平方kmに散在する。15世紀前半にこの地を開拓したハーン・ジャーハン・アリ・ダーガによって建築された建造物群は、他のイスラム圏にはないユニークな建築様式で、煉瓦造りのサイト・グンバド・モスク、ハーン・ジャーハン・アリ廟など約50の建造物が残っている。
パハルプールの仏教寺院遺跡 パハルプールの仏教寺院遺跡は、首都ダッカの北西約180kmにある東インド地方最大の仏教寺院遺跡。8〜11世紀に北インドで繁栄したパーラ朝第2代の王、ダルマパーラ王(在位770〜810年)が創建した大僧院は、一辺約300m四方の正方形の厚い煉瓦の周壁の中に177の僧房があった。境内の広大な遺跡の中庭には、サマプリマハ僧院(ビハーラ)の大塔がそびえていた遺丘が今でも残っている。
ビックアップ モヘンジョダロの考古学遺跡 モヘンジョダロの考古学遺跡は、インダス川西岸のシンド州ラールカナの南36kmにある。世界四大文明の一つインダス文明を代表する最古最大の都市遺跡。
タキシラ タキシラは、パキスタン東北部、イスラマバードの北西40kmにある紀元前6世紀〜紀元後6世紀にかけて栄えた都市遺跡。その遺跡は年代の異なる3つの都市、ビール・マウント、カッチャー・コット、シルカップと、ガンダーラ仏をはじめとする多くの仏教伽藍遺跡からなる。1913年、イギリスのJ.マーシャルによって発掘された。タキシラ最古のビール丘には、紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャ、紀元前3世紀マウリヤ朝、その後、バクトリのギリシャ諸王の支配を示す遺跡が点在。ダルマラージカー仏教遺跡はガンダーラ様式の源流。
タクティ・バヒーの仏教遺跡と近隣のサハリ・バハロルの都市遺跡 タクティ・バヒーの仏教遺跡と近隣のサハリ・バハロルの都市遺跡は、ペシャワール市の北東約50kmにあるタクティ・バヒー(春の玉座)に残る山岳仏教の寺院遺跡。山の中腹には塔院、僧院、会堂などの跡が見られ、塔院跡には仏塔の方形基壇と祀堂群の跡がある。近くのサハリ・バハロルにも同時代の山岳寺院跡が残る。
タッタ、マクリの丘の歴史的記念物群 タッタは、カラチの北東約110kmのシンド州南部にあるインダス川のデルタ地帯にある古都である。タッタの郊外にあるムガール帝国の第5代のシャー・ジャハーン帝(在位1628〜1658年)が造営させたシャー・ジャハーン・モスクは、大きなアーチ開口部があるイーワン様式で、完成までに11年の歳月がかかった青いタイルが印象的な美しいモスクである。また、14〜16世紀には、サムマ、ウルグン、ムガール帝国の支配下にあり、ジャーミ・マスジド地域には、90ものモスク群が建造された。そして、15平方kmもあるイスラム世界では最大級といわれる
モヘンジョダロの考古学遺跡 モヘンジョダロの考古学遺跡は、インダス川西岸のシンド州ラールカナの南36kmにある。世界四大文明の一つインダス文明を代表する最古最大の都市遺跡。都市計画に基づき東に市街、西に城塞を配置。東西南北に直線道路、穀物倉庫、沐浴用の大浴場、焼煉瓦の住宅、会議用広場、学問所、祭祀場などが残る。1922年にR・D・バナルジーによる調査で発見された
ラホールの城塞とシャリマール庭園 ラホールは、パキスタン北西部のパンジャブ州にある東西約2km、南北約1.5kmの城塞都市。ラホールの城塞、いわゆるロイヤルフォートには、ムガール帝国の第3代のアクバル帝、第4代のジャハンギール帝、第5代のシャー・ジャハーン帝、そして第6代のオーラングゼーブ帝までの歴代の王が増改築した建造物が残っている。フォート(城塞)は、長方形の形をしており、正門は、西と東の中央に位置している。
ロータス要塞 ロータス要塞は、パキスタン北部、カハーン川岸にある。ムガール帝国のフマユーン政権を一時的に奪取したスール朝のスリ王が、1541年に建設した。主要塞は4kmに及ぶ長大な防護壁に囲まれ小砦と繋がり、また、バティアラ門などの城門が設けられている。城壁の厚さは、最大で12.5mにも達し、高さも10〜18mに及ぶ。キラ・ロータスは、アジアのこの地域における初期イスラム軍の重要な防衛拠点であった。
トゥバタハ珊瑚礁群自然公園 トゥバタハ珊瑚礁群自然公園(TRNP)は、フィリピンの南西部、パラワン州のスル海、平均水深が750mのカガヤン海嶺の中間の120kmに展開し、水深2000m以上の公海も含む。トゥバタハ珊瑚礁群自然公園は、ノース環礁、サウス環礁、ジェシー・ビーズリー珊瑚礁からなる。ノース環礁は、幅が4.5km、長さが16kmの長方形の台地、サウス環礁は、幅が3km、長さが5kmの小さな三角形の珊瑚礁、いずれの小島もカツオドリなどの海鳥や海亀の生息地であり、数多くの海洋性の動植物の宝庫であり、豊かな漁場にも接している。
フィリピンのコルディリェラ山脈の棚田群 フィリピンのコルディリェラ山脈の棚田群は、ルソン島の北部、南北方向に連なるコルディリェラ山脈の東側斜面のイフガオ州のバナウエ、マヨマヨ、キアンガン、フンドゥアンの各棚田の構成資産からなる。山岳民族のイフガオ族によって、2000年もの間、引き継がれてきた山ひだの水系を利用した伝統的農法のライス・テラス(棚田)は、人類と環境との調和を見事に克服してきた壮大で美しい棚田景観を形づくっており、世界最大規模といわれている
フィリピンのバロック様式の教会群 フィリピンのバロック様式の教会群は、ルソン島のマニラ、パオアイ、サンタ・マリア、それに、パナイ島のイロイロにあるスペイン植民地時代の遺産。マニラとパオアイには、同じ名前のサン・アグスチン教会、サンタ・マリアには、アスンシオン教会、パナイ島のイロイロの西南部には、ビリャヌエバ教会がある。これらの4つの教会群は、フィリピンが16〜18世紀にスペインの植民地支配によって影響を受けた建築文化の最たるもので、荘厳なバロック様式の石造建築が特色で、要塞としての機能も備えていた
プエルト・プリンセサ地底川国立公園 プエルト・プリンセサ地底川国立公園は、フィリピンの南西部、パラワン島のセント・ポール山岳地域にある。プエルト・プリンセサ地底川国立公園は、地下河川が流れる美しい石灰岩カルスト地形の景観が特徴で、地下河川は、直接海に注ぎ込み、下流の河口部は、潮の干満の影響をうける自然現象をもっている。また、この地域の年間平均降水量は2000〜3000mm、平均気温は27℃で、アジアでも有数のパラワン湿性林が繁り、また手付かずのままの山と海との生態系も保たれており、生物多様性の保全をはかる上での重要な生物地理区にある。
ヴィガンの歴史都市 ヴィガンは、ルソン島の北部、首都マニラから408kmの所にある南シナ海沿岸に位置するイロコス・スル州の州都。ヴィガンは、16世紀にスペインの植民都市となり、貿易と商業で栄えたが、今もその面影が町並み景観などにそのまま残っている。同じく植民都市であったマニラやセブは、第2次世界大戦でその面影を失ったが、ヴィガンは、戦禍を免れた。
古都ホイアン 古都ホイアンは、ヴェトナム中部、ダナンから南へ25km、トゥポン川のほとりにたたずむクアン・ナム省の閑静な港町。その昔、ヨーロッパの貿易商人にフェイホという旧名として知られていたこの町は、17世紀から19世紀までは、東南アジアでも活気のある中継貿易の拠点となっていた。ホイアンには、中国、日本、ポルトガル、フランスの商人が川沿いに定住して、茶、シルク、コーヒー、カシュナッツなどの貿易をしていた。商人たちが建てた細長い住居は、商人たちの故郷を偲ばせるいにしえの建築様式を、ほぼ完全な状態で現在に伝えている。
聖地ミーソン 聖地ミーソンは、ヴェトナム中部、ダナンの南西約70kmのところにある遺跡。13〜14世紀にかけて、インド系ヒンドゥー教の精神を源流としたユニークな文化が、ヴェトナム中部の海岸に発達した。ミーソンは、かつてこの地で全盛を誇った古代チャンパ王国の王都であり、また、宗教的な中心地としての聖地であった。チャンパ王国(林邑・環王・占城)は、2世紀末に海洋民族のチャム人が築いたが、15世紀にヴェトナムに滅ぼされるまで、海上貿易によって発展を遂げると共にインド文化も取り入れ東南アジア文化の形成に貢献した。
ハー・ロン湾 ハー・ロン湾は、ヴェトナムの北東部、中国との国境近くのトンキン湾にあり、その絶景は「海の桂林」(中国を代表する名峰奇峰の景勝地)と称されている。約1500平方kmの地域に、透明なエメラルド・グリーンの海、突き出た大小約1600の海食洞を持つ小島、断崖の小島などの奇岩が静かな波間に浮かぶヴェトナム随一の風光明媚な景勝地である。ヴェトナム語で、ハーは「降」、ロンは「竜」、ハー・ロンは「降り立つ竜」という意味で、かつて天から降り立った竜が外敵を撃退した時に、石灰岩の丘陵台地が砕かれ、無数の島が海に浮かんだという
ハノイのタンロン皇城の中心区域 ハノイのタンロン皇城は、ヴェトナムの北部、ヴェトナムの首都ハノイのホー・チ・ミン廟に近いバーディン地区にあった。1010年、李朝の創始者、李太祖が、ホアルーからダイラー(現在のハノイ)に大越王国(今日のヴェトナム)の首都として遷都し、昇龍を意味するタンロンと名づけた。かつてのタンロン皇城の中心区域の一帯には、黎朝が建造した中央宮殿・敬天殿の基壇、南門である端門、北門が現存している。
フエの建築物群
フエの建築物群は、ヴェトナム中部、ダナンの北西100kmにある小都市の古都フエにあり遺産規模は520haに及ぶ。フエは、フランス人の宣教師ピニョー(1741〜1799年)の保護を受けたザロン帝こと阮福映(在位1806〜1820年)が西山朝(1778〜1802年)を倒し、1802年に国内を統一して建てたヴェトナム最後の王朝となったグエン朝(阮朝)(1802〜1945年)の首都であった。
フォン・ニャ・ケ・バン国立公園 フォン・ニャ・ケ・バン国立公園は、ヴェトナム中部、ドン・フォイの北東55kmにあるクアンビン省のソン・トラック村を中心にラオスとの国境へと展開する。フォン・ニャ・ケ・バン国立公園には、ヴェトナムで最も大きく美しいと言われるフォン・ニャ洞窟があり、その総延長は約8kmにも及ぶ。洞窟内には、数多くの鍾乳石や石筍があり、その起源は、2億5000万年前にまでさかのぼる。また、この近くには他にも洞窟群があり、これまでに総延長65kmにも及ぶ地下河川が流れる空間が発見されており、地質学的、地形学的にも興味が尽きない。
胡朝の城塞 胡(ホー)朝の城塞は、ヴェトナムの北中部、タインホア省ヴィン・ロック郡ヴィン・ロン村及びヴィン・ティエン村にある。胡朝(1400〜1407年)は、陳朝末期の大臣、ホ・クイ・リーが支配した王朝である。胡朝の城塞(縦横870m×833m 別名タイドー)は、東西南北に美しいアーチ状の門があり、風水の原理に基づき建設され、ヴェトナムに朱子学を開花させた。
キナバル公園 キナバル公園は、ボルネオ島北東部のマレーシアのサバ州にある。キナバル公園は、1964年に国立公園に指定され、その面積は、753平方kmの広さである。キナバル公園は、マレーシアの最高峰を誇る標高4095mのキナバル山と共に熱帯雨林から高山帯まで移行する気候変化、および、ボルネオ島に生息するほとんどの、絶滅の危機に瀕する種を含む哺乳類、鳥類、両生類、無脊椎動物が棲息する場所として極めて重要である。
ムラカとジョージタウン、マラッカ海峡の歴史都市群 ムラカとジョージタウン、マラッカ海峡の歴史都市群は、マレー半島とインドネシアのスマトラ島を隔てるマラッカ海峡における500年以上にもわたる東西貿易や文化の交流点として発展した。マラッカ海峡を通るアジアとヨーロッパの影響によって、有形・無形の多文化の遺産をムラカとジョージタウンの町にもたらした。ムラカは、マラッカ州の州都で、政府関係の建造物群、セント・ピーターズ教会などの教会群、スタダイス広場(オランダ広場)、ポルトガル広場などの広場群、セント・ジョーンズ要塞などの要塞群と共に、15世紀を起源とする
ムル山国立公園 ムル山国立公園は、ボルネオ(カリマンタン)島のサラワク州にある生物多様性に富んだカルスト地域。その面積は、52864haに及び、17の植生ゾーンに3500種もの維管束植物が見られる。なかでも、ヤシの種類は豊富で100以上が確認されている。ムル山国立公園には、標高2377mの石灰岩の岩肌をむき出したムル山(グヌンGunungは現地語で山の意味)がそびえ立っており、太古の地殻変動によって造られた、
ウフス・ヌール盆地 ウフス・ヌール盆地は、首都ウランバートルの西北西およそ1000kmにあるモンゴルとロシア連邦にまたがる盆地である。ウフス・ヌール盆地は、モンゴル側のウフス湖とロシア連邦側のヌール湖からなる。広大、浅くて塩分濃度が高いウフス・ヌール湖を中心にその面積は、106.9万haに及ぶ。氷河をともなう高山帯、タイガ、ツンドラ、砂漠・半砂漠、ステップを含み、中央アジアにおける主要な生態系が全て見られる。この辺りは中央アジア砂漠の最北地で、3000m級の山々がウフス湖を囲むように連なっている。
オルホン渓谷の文化的景観 オルホン渓谷の文化的景観は、ウランバートルの南西360km、モンゴルの中央部にある。オルホン渓谷は、2000年にわたって遊牧生活が営まれてきた場所で、数多くの考古学遺跡が見つかっている。オルホン渓谷の文化的景観は、6〜7世紀のトルコの史跡、8〜9世紀のウィグル族の首都ハル・バルガス、13〜14世紀のモンゴル帝国のチンギス・ハン(成吉思汗・テムジン 在位1206〜1227年)の息子オゴタイが1235年につくったカラコルムなど5つの重要な史跡も含む。
モンゴル・アルタイ山脈の岩壁画群 モンゴル・アルタイ山脈の岩壁画群は、モンゴルの西部、ロシアの西シベリアとモンゴルにまたがるアルタイ山脈のモンゴル側のバヤンオルギー県ウラーン・ホス郡とツインガル郡に残っている。ツガーン・ザラー川とバガ・オイゴル川の合流域、アッパー・ツアガン・ゴル、アリア・トルゴイの3つの地域の岩場や洞窟で発見された数多くの岩壁画や葬祭遺跡から、12000年にわたるモンゴル文化の発展の歴史がわかる。
チャムパサックのワット・プーと関連古代集落群の文化的景観 チャムパサックのワット・プーと関連古代集落群の文化的景観は、ラオスの南部、タイ、カンボジアと国境を接するチャムパサック県を流れるメコン川の西岸のワット・プー地域を中心に展開する。ワット・プーは、「山寺」と言う意味で、10〜14世紀のクメール文化の全盛時代にカオ山の麓に建立された、レンガや石に芸術的な彫刻が施されたヒンドゥー教の寺院。また、周辺には、ワット・プー寺院に付随する関連寺院、それに、3〜13世紀の古代集落群からなる都市遺跡が残されている。
ルアン・プラバンの町 ルアン・プラバンは、首都ヴィエンチャンの北400km、メコン川とカン川の合流点にある。古くは、アン・スワと言い、その後、シェントンと呼ばれるようになった。1353年に成立したラオ族の王国、ランサン王朝(1353〜1975年)の王都であった古都で、1945年にルアン・プラバン王がラオス全土の独立を宣言以後、1975年にラオス人民民主共和国が成立するまで、ルアン・プラバンは、ラオス王国の王都でもあった。ルアン・プラバンの地名は、ルアンが「大きな」、プラバンが守護仏とされてきた黄金仏像に因み、「大きな黄金仏像」の意。